第90話 逃走の算段

文字数 4,410文字

 ランプを床に置き、漆黒の宝玉(オーブ)に呼びかける。
「スサイン、聞こえますか?」
「ダリオか。何用だ? 話すべきことは多くないはずだが」
 頭の中に、声ならぬ声が響く。
「相談したいことがあって来ました。怒られるかもしれませんが、新しく分かったことがあったので」
「つまり、怒られると予想される行動をしたということだな」
 それは質問でも詰問でもなかった。呆れているというか、諦めている言葉のようにも聞こえた。ダリオは、一応神妙な顔を保ったまま、まず新たなスカラベオを発見し、それを追った顛末を話した。それを見たマナテアが、異端審問にかけられることになったことを含めてだ。
 ダリオが語り終えるまで、スサインは何も言わなかった。
「もし、その協力してくれたアタル族の娘が捕まり、スカラベオを調べていることが明らかになっていれば、どうなっていたことか。とにかく、悪い状況にはなっていないようで何よりだ」
「でも、まだ先もあるんです」
 ここからは、更に怒られそうな話だった。
「実は、相談しようとここに来る時に、尾けられていました。今話したマナテアと彼の護衛のゴラル、それと聖騎士団の見習いで僕を監視していたウェルタという人です」
「聖騎士団か……その三人は今どこにいる?」
「サナザーラのところです」
「ならば、その三人については問題ないな。彼らは他の者にその方のことを話しているのか?」
 スサインの考えは、やはりダリオを怪しむ者が増えないかどうかになってしまうようだ。
「ウェルタは、僕が最初にここに来た時に、薬草を採りに市外に出る条件として監視についていた人です。僕が彼を撒いてしまったので、怪しいということでその後も監視に付かされていたようです。ただ、地下通路を使ってここに来ていることについては、他の二人と協力する時の条件として、騎士団に報告していないようです」
 とりあえず、スサインの懸念に答える。マナテア自身が教皇庁から疑われているようだから、マナテアとゴラルは問題ないはずだ。ウェルタが本当の事を話しているか分からないものの、バカ正直なところがあるから、ダリオは本当だろうと思っていた。それに、彼が聖騎士団に報告していたら、マナテアは、ここに来ることができなかっただろう。そのことは、スサインも考えるはずだ。
「そのことを心配するよりも、僕は彼らを仲間にできないかと思っているんです」
 そう言っても、スサインは何も言ってくれない。顔が見えないので、何を考えているのか分からない。
「マナテアは、僕が掲げた(スフィア)を見ることができました。不死魔法の才能があるはずです。それに、祝福されし者(ギフテッド)で、今はストーナのアカデミーにいるそうです。十六が近いので、今回のことがなくても教皇庁から警戒されているみたいです」
「なるほど。そうであれば、そのマナテアという娘を誘うことは良いだろう。ゴラルという護衛が、その娘に本当に付き従っているのなら、その者も良いだろう。だが、その方はどうも軽率だ。信用するか否かの判断はサナザーラに任せなさい」
 三人に尾けられていた事実やマナテア達にも出会ったばかりの頃から注目されていたことを考えれば反論できなかった。
「……分かりました」
「問題は、聖騎士見習いだ。その方は、なぜ聖騎士団の者を仲間に引き入れようとする? ポルターシュを殺したのも聖騎士団ではなかったか?」
 スサインの言うことはもっともなことだ。しかし、ダリオは警戒するだけで良いとも考えていなかった。
「不死王の配下にも死霊術師(ネクロマンサー)は多くなかったと聞きました。でも、不死王が死んでからも戦争が続いたということは、教会が教えているように不死王が恐怖で支配しただけじゃないはずです。多くの仲間がいたはずです。そうですよね?」
 ダリオは、タイトナから聞かされる吟遊詩を、ただ過去の歴史として聞いていた訳ではなかった。
「その通りだ。だがそれは、聖騎士団の者を信じて良い理由にはならない」
 ダリオは肯いた。
「僕も信じている訳じゃありません。でも、仲間にできるなら仲間を増やした方がいいじゃないですか」
 ダリオの言葉は、当たり前なことだ。スサインは、半ば呆れたように問いかけてきた。
「もう一度問う。なぜその者を引き入れたいのだ?」
 引き入れなければ、ウェルタは文字通り切り捨てられるはずだ。そのことを受け入れ難いという気持ちもある。しかし、そんなことを口にしてもスサインが承服するはずはなかった。
 それに、ダリオだって考えている。
「このチルベスに来るまでは、ただウルリスがやっていたように白死病の原因を調べ、白死病を治療できるようになれば良いと思ってました。でも、教皇庁から派遣された司祭がスカラベオを使って白死病を引き起こしていることは間違いありません。何故そんなことをしているのかとか、まだ分からないことは多いですが、白死病を無くそうと思えば、どうしても教皇庁とはぶつかります」
「それだけではない。その方は死霊術師(ネクロマンサー)だ。悟られれば狩られることになる」
 ダリオは、スサインの言葉に肯いてみせた。
「不死王やスサイン、それにサナザーラが初代教皇と戦ったように、僕も教皇と戦わなければならないかもしれません。でも、その前に相手を知らなければ戦えません」
「そのための聖騎士か……」
 聖騎士団は、教皇の剣だ。ウェルタを仲間に引き込めれば、情報を集める上で役に立つことは間違いない。
「はい。それに、彼は話の通じない人ではありません」
 東門の外で初めて会った時もそうだった。聖騎士ではない各地の領主に仕える騎士や兵にも横暴な者は多い。ウェルタは、厳しいことを言いながらも理不尽ではなかった。
「今、マナテアがスカラベオのことを彼に話してくれているはずです。教皇庁が白死病に関係していることを知れば、手を貸してくれるかもしれません」
 そう言ったものの、スサインには「甘い」と言われてしまった。
「人の結びつきは道理で何とかなるものではない……だが、その者を見ることもできない我が、これ以上言っても意味はないであろう。その聖騎士見習いについても、判断はサナザーラに任せよ。あれは、人を見る目は持っている」
 剣を振るうだけかと思っていたら、サナザーラは、思いの外スサインから信用されているようだった。
「分かりました」
 そう答えてひと息吐く。何せ、元々スサインに尋ねようと思っていたこと、相談しようと思っていたことはまだ話せていないのだ。今までの話は、三人に尾けられてしまったことで、急遽相談したものだ。
「それとスカラベオなんですが、やはり魔導具なのでしょうか?」
「間違いなかろう。二つの教会がどれだけ離れているか知らぬが、距離は相当あったはずだ。それにも関わらず、その司祭の元に辿り着く様子は、本来のスカラベオではあり得ぬことだ」
「教皇庁は、集めた生命力をどうしているのでしょう?」
「想像はできるが、裏付けとなるものは何も無い。まだ、話さぬ方がいいだろう」
 ダリオには想像も付かなかった。ただ、今は教えてくれるつもりがないようだ。
「分かりました。それなら……」
 大切なのは、これからどうするかだ。ただ前に話した時も、これ以上はスカラベオを追うなと言われた。今までは、得られた情報から教皇庁が怪しいと考えられただけだ。ミシュラがスカラベオを追いかけたことで、白死病の背後にいるのが教皇庁だとはっきりした。
「それならどうするというのだ? その方も言うとおり、仲間を集めるのは良い。それが何故かと言えば、今戦っても勝ち目がないからであろう。その方も、それを分かっているから仲間を集めると言ったのではないか?」
 確かにスサインの言う通りだった。それに、もう一つ優先すべきことがある。
「分かりました。でも、マナテアは異端審問から助けたいと思います」
「その娘が、我らの仲間になるのであれば、確かに助けなければならぬだろう。一つの方法は逃げることだ。ここにいるならば、今から逃げ出すこともできるが、街の封鎖が解かれてからの方が良いはずだ。今逃げ出せば、騎士団は封鎖を解いてでも追ってくる。直ぐに捕まるであろう。同じように、封鎖が解かれた後でも、軟禁されている状況では、ここを出た以後は即座に追跡を受ける。直ぐに捕捉される」
「そう思います」
 ダリオも旅には慣れている。マナテアとゴラルの二人では目立ちすぎることは良く分かった。。
「薬売りとして旅慣れていたポルターシュでさえ、恐らくささいな何かで怪しまれ、追われることになった。領主の娘であれば、尚のこと各地で怪しまれるだろう。しばらくここに潜むのも方法の一つではあるが、ここに居たのでは逃走の準備もできまい」
 確かにそうだ。ウルリスとダリオが、なぜ怪しまれ、追跡されることになったのか、ダリオは理解していなかった。治療団として赴くことに慣れているとは言え、マナテアが普通の旅人、行商人や巡礼者に化けることは難しいだろう。初めて会った時、ゴラルから教えられる前でも、とても普通の町娘には見えなかった。マナテアが逃げるなら、かなりの準備が必要なはずだ。
「あの、ここに居てはいけないのでしょうか」
「ここで”暮らす”と言うのか?」
 そう言われてしまうと、確かに難しいかもしれなかった。人が暮らして行くには、いろいろな物が必要だ。サナザーラが必要としているのは酒だけかもしれない。それだけなら、封鎖さえ解かれればエイトが運んでくれるだろう。しかしマナテア、と恐らくゴラルが暮らすための物資を運んでもらえば、エイトが怪しまれることになる。
「では、逃げる以外に方法はないのですか?」
「いずれは逃げる必要がある。それは間違いない。だが、追跡がかかった状態から居場所を眩ますことは難しい。故に、できれば追跡されない状態が望ましい」
「やはり、異端審問にかけられないようにするってことですね?」
「そうだ。軟禁されていなければ、封鎖が解除された際に警戒されることなく移動することができる。そうなれば、行方を眩ますことも容易だ。我らの仲間が保護できる場所に行くこともできるだろう。それに、移動の準備も容易なはずだ」
「仲間が保護してくれる場所……そんな場所があるのですか?」
「ある。だが、それよりも先に異端審問を回避しなければならぬ。それが無理なら封鎖の解除後に、ここに一時留まるなど、何とかして逃げるしかあるまい」
「分かりました。異端審問を回避する方法は、マナテア達とも相談します」
「その前に、我らの仲間に引き入れることが出来るか否かだぞ」
 スサインにはそう釘をさされた。しかし、マナテアは死が確定しているような立場だ。それに不死魔法の素質がある。ダリオは、マナテアとゴラルについては心配していなかった。大変なのはウェルタだろう。
「ありがとう。また来ます」
 床に置いてあったランプを持ち、片手で(スフィア)を掲げた。
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