第78話 追跡(ミシュラ視点)
文字数 1,978文字
全身が沸き立つような感覚に包まれ、周囲の景色が巨大化して行く。手も足も小さくなり、足だけで立っていることができなくなった。着ていた貫頭衣が頭を覆い、鋭敏になった耳と鼻が、周囲の音と匂いでミシュラに外界を教えてくれた。
肉体の変貌が終わると、ミシュラは貫頭衣から顔を出した。小さく鳴いて、変身し終えたことをダリオに伝える。体が小さくなりすぎ、人の声が出せなかった。そのまま節穴に飛び込んだ。
節穴から外に飛び出すと、もう、スカラベオは見えない。それでも、人の能力を大きく超える嗅覚は、目の前にしていた病人の匂いを嗅ぎ取った。匂いを辿り、教会の敷地を出る。そして、人がまばらに歩いている路上を駆け抜けた。
ネズミの姿を気に止める人などいない。ミシュラがしばらく走っていると、目の前に黒い点が見えた。ネズミの姿なら、スカラベオを捕まえることも容易いはずだ。咥えればいい。
ただ、スカラベオは捕まえようとしていたミシュラとダリオから逃げていたし、今もどこかに向かっている様子だった。ダリオは、誰かがスカラベオを集めていると言っていた。しかし、集めているのではなく、スカラベオが集まっているのかもしれない。
ミシュラは、そう考えてスカラベオを捕まえずに追いかけることにした。追いかけることが簡単だったためでもある。ミシュラを蹴り飛ばそうとしてくる子供と女性にだけ注意すれば良かった。路上を歩くネズミの姿は、悪ガキにとっては格好の玩具だったし、不潔を嫌う女性にとっては憎き敵だ。
スカラベオは、建物にぶつかって右に左に曲がっていた。それでも道に出ればいつも同じ方向を目指しているようだ。それに、右に行って突き当たれば左に戻っている。新市街の路地を、ミシュラが来たことのない場所に向けて進んでいた。
崩れかけた石で出来た門を潜る。開け放たれたままの門だ。ミシュラは、話に聞いていた旧市外に続く門だろうと推測する。周囲の建物も、大きく綺麗なものに変わっていた。
それでも、スカラベオが路地を縫って進んでいることには変わりなかった。そして、塀に囲まれた大きな建物に辿り着く。その建物は教会のようだった。塀をぐるりと回り、門から建物の中に入った。
そのまま、ヌール派教会と同じように多数の白死病患者が横たえられた礼拝堂を抜け、回廊に出る。回廊に出ても、スカラベオは真っ直ぐにどこかを目指しているように見えた。
スカラベオは、塀をぐるりと回ってから教会に入っている。この教会の中にスカラベオの目的地があることは明らかだった。
『もうすぐ目指す場所に着くはず。その場所に着いたら捕まえよう!』
ミシュラがそう考えていると、壁際を這っていたスカラベオが木製のドアの隙間に入ってしまった。それでも、ネズミは、ほんの少しの隙間があれば通り抜けられる。ミシュラは、慌ててドアの隙間、小指の爪ほどの隙間に顔をねじ込んだ。
部屋の中にはランプが灯されていた。窓がなかったからだ。落ちかけているとは言え、まだ日出ている時間だ。何かを行うなら、普通は明るい場所で行うものだ。それなのに、この部屋にいた男は、窓のない部屋でドアを閉め切り、ランプを灯しているのだ。よほど秘密にしたいことがあるに違いなかった。
大柄な人物で、高価そうな服を着ていた。トムラ司祭の着ている服に似ていたが、もっと豪華なものだ。その人物の足下を黒く小さなスカラベオが歩いて行く。
スカラベオは、机の脚に登ろうとしていた。
『捕まえなきゃ!』
ミシュラは、スカラベオに駆け寄った。その彼女の視界に、左から巨大な影が迫る。黒革のブーツだった。はじき飛ばされたミシュラは、壁にぶち当たって床に落ちる。部屋に居た人物に蹴り飛ばされたのだった。
幸い、ネズミの体が柔らかいおかげで、まだ何とか動けた。見上げると、またブーツが迫ってくるところだった。
『踏みつぶされる!』
ミシュラは慌てて逃げ出した。入って来たドアに向けて一目散で走る。ドアの隙間に体を押しつぶすようにして滑り込み、何とか回廊に抜けた。部屋の中からは大きな物音が響いている。ミシュラを蹴り飛ばした人物が、鍵を開け、追いかけて来ようとしているのだった。
『どっちに逃げよう?』
回廊の左右を見ると、左側から歩いてくる人物がいた。思わず目が合う。見たことのある人だった。墨染めの喪服に、濡れ羽の黒髪。マナテアだ。彼女も、足を止めていた。突然現れネズミに見つめられ、驚いたのかもしれない。彼女は、ミシュラがダリオに怒られた時にも優しくしてくれた。
「あなたは悪くないわよ」
そう言い、逆にダリオを叱ってくれたことを思い出す。今、部屋にいた人物が出てきたら、今度こそ踏みつぶされるかもしれなかった。ミシュラは、意を決して走り出す。何とか、ドアが開く前にマナテアの喪服の下に走り込んだ。
肉体の変貌が終わると、ミシュラは貫頭衣から顔を出した。小さく鳴いて、変身し終えたことをダリオに伝える。体が小さくなりすぎ、人の声が出せなかった。そのまま節穴に飛び込んだ。
節穴から外に飛び出すと、もう、スカラベオは見えない。それでも、人の能力を大きく超える嗅覚は、目の前にしていた病人の匂いを嗅ぎ取った。匂いを辿り、教会の敷地を出る。そして、人がまばらに歩いている路上を駆け抜けた。
ネズミの姿を気に止める人などいない。ミシュラがしばらく走っていると、目の前に黒い点が見えた。ネズミの姿なら、スカラベオを捕まえることも容易いはずだ。咥えればいい。
ただ、スカラベオは捕まえようとしていたミシュラとダリオから逃げていたし、今もどこかに向かっている様子だった。ダリオは、誰かがスカラベオを集めていると言っていた。しかし、集めているのではなく、スカラベオが集まっているのかもしれない。
ミシュラは、そう考えてスカラベオを捕まえずに追いかけることにした。追いかけることが簡単だったためでもある。ミシュラを蹴り飛ばそうとしてくる子供と女性にだけ注意すれば良かった。路上を歩くネズミの姿は、悪ガキにとっては格好の玩具だったし、不潔を嫌う女性にとっては憎き敵だ。
スカラベオは、建物にぶつかって右に左に曲がっていた。それでも道に出ればいつも同じ方向を目指しているようだ。それに、右に行って突き当たれば左に戻っている。新市街の路地を、ミシュラが来たことのない場所に向けて進んでいた。
崩れかけた石で出来た門を潜る。開け放たれたままの門だ。ミシュラは、話に聞いていた旧市外に続く門だろうと推測する。周囲の建物も、大きく綺麗なものに変わっていた。
それでも、スカラベオが路地を縫って進んでいることには変わりなかった。そして、塀に囲まれた大きな建物に辿り着く。その建物は教会のようだった。塀をぐるりと回り、門から建物の中に入った。
そのまま、ヌール派教会と同じように多数の白死病患者が横たえられた礼拝堂を抜け、回廊に出る。回廊に出ても、スカラベオは真っ直ぐにどこかを目指しているように見えた。
スカラベオは、塀をぐるりと回ってから教会に入っている。この教会の中にスカラベオの目的地があることは明らかだった。
『もうすぐ目指す場所に着くはず。その場所に着いたら捕まえよう!』
ミシュラがそう考えていると、壁際を這っていたスカラベオが木製のドアの隙間に入ってしまった。それでも、ネズミは、ほんの少しの隙間があれば通り抜けられる。ミシュラは、慌ててドアの隙間、小指の爪ほどの隙間に顔をねじ込んだ。
部屋の中にはランプが灯されていた。窓がなかったからだ。落ちかけているとは言え、まだ日出ている時間だ。何かを行うなら、普通は明るい場所で行うものだ。それなのに、この部屋にいた男は、窓のない部屋でドアを閉め切り、ランプを灯しているのだ。よほど秘密にしたいことがあるに違いなかった。
大柄な人物で、高価そうな服を着ていた。トムラ司祭の着ている服に似ていたが、もっと豪華なものだ。その人物の足下を黒く小さなスカラベオが歩いて行く。
スカラベオは、机の脚に登ろうとしていた。
『捕まえなきゃ!』
ミシュラは、スカラベオに駆け寄った。その彼女の視界に、左から巨大な影が迫る。黒革のブーツだった。はじき飛ばされたミシュラは、壁にぶち当たって床に落ちる。部屋に居た人物に蹴り飛ばされたのだった。
幸い、ネズミの体が柔らかいおかげで、まだ何とか動けた。見上げると、またブーツが迫ってくるところだった。
『踏みつぶされる!』
ミシュラは慌てて逃げ出した。入って来たドアに向けて一目散で走る。ドアの隙間に体を押しつぶすようにして滑り込み、何とか回廊に抜けた。部屋の中からは大きな物音が響いている。ミシュラを蹴り飛ばした人物が、鍵を開け、追いかけて来ようとしているのだった。
『どっちに逃げよう?』
回廊の左右を見ると、左側から歩いてくる人物がいた。思わず目が合う。見たことのある人だった。墨染めの喪服に、濡れ羽の黒髪。マナテアだ。彼女も、足を止めていた。突然現れネズミに見つめられ、驚いたのかもしれない。彼女は、ミシュラがダリオに怒られた時にも優しくしてくれた。
「あなたは悪くないわよ」
そう言い、逆にダリオを叱ってくれたことを思い出す。今、部屋にいた人物が出てきたら、今度こそ踏みつぶされるかもしれなかった。ミシュラは、意を決して走り出す。何とか、ドアが開く前にマナテアの喪服の下に走り込んだ。