第6話 白帯

文字数 2,280文字

 翌日目覚めた時、癖で時計を確認した、左手に男物の時計があることに安堵している。
 夢ではなかった、夢ではなかったことを望んでいた自分に少なからず驚く。
 ベッドから降りて身体を動かしてみる、背中の痛みはすっかりなくなっていた、魔族の血は異常なほど早く傷を塞ぐ。
 昔からそうだった、あまりの直りの早さに気味悪がられた。
 (腕を落としてもトカゲのしっぽみたいにまた生えてくるんだろ)
腕を抑えられて鉈を振り上げられた、振り下ろされる寸前に誰かが止めてくれた、あれは誰だったのだろう。
 記憶が抜け落ちている。
 ズキンッ 思い出そうとすると記憶回路が痛みを発して拒否する。
 過ぎた事だ、どうでもいい。

 外はまだ暗い、病棟は静まりかえり人の気配はない。
 深く息を整える、徒手を切り、呼吸に合わせて示現流徒手柔術の型を始める。
 覚醒教練校時代に習得したものだ、もともと身体能力は高い、特にハンドスピードの早さと背中の筋肉の強さは教官を驚かせた。
 足を前後に開き、正中を芯に腰を落とす。
 「スーーゥゥゥッ」「シッ」
 仮想の敵が繰り出す拳を払い、間を詰める、密着した状態から膝を巻くように相手の頬を痛撃する、反動で脇に飛びながら引きショートフック、腰を回し地を蹴る右ストレート、踊るように、舞うように仮想の敵を打つ。
 気持ち悪いと組み手の相手はいなかった、実際は型の速度とキレをみれば相手をしたいと思う猛者はそうそういない、見かねた教官が相手をしたが、早すぎるフェイについてこれず怪我をする事態になった。
 それ以来、人を相手にすることは止めた、痛みに歪む教官の顔が既に枯れていた感情の湖にまたひとつ防壁を作った。
 倒れた教官を見下ろしていた無表情なコーンスネーク、周りには不気味な呪いの人形のように見えていただろう。
 正確な軌道、絶妙なタイミング、間違いの無さすぎる動きが芸術の型を、プログラムされたアンドロイドのように感じさせる、血が通っていない。
 仮想の相手は自分自身、どんなに打ちつけても哀しくはない。
 皮肉だ、人を傷つければその何倍もの痛みを背負うフェイに、神か魔人は誰よりも人を傷つける才能を与えた、背中の鱗が呪いの烙印、人を殺す才能の証明。

 その才能を吐き出しておく必要があると思う、蓄積すれば爆発するのが怖い。
 そう、まるで排泄、暴力衝動のトイレのようだ。
 恥ずべき自慰行為を見ていた人がいた。

 「見事だな、示現流徒手術、何段だ?」
 まったく気づかなかった、ライダースーツ姿のリリィ少佐がいつの間にか部屋の中にいた。
 「隊長、失礼しました」
 今日は直立不動の敬礼が可能だ。
 「白帯です」
 「冗談はよせ、どう見ても皆伝レベルだ、まともにやり合って勝てそうな人間を三人しか思いつかないぞ」
 「本当です、私は組み手が苦手でした」
 「!」
 リリィには大体の事情が想像できた。
 「まあいい、楽にしろ」
 挙手だけを降ろした。
 「報告書にあった諜報員から今朝連絡が入った、敵対空戦車の出現ポイントと搬送ルートの全容を掴んだそうだ、これで対策が出来る」
 チヒロがやったのか、無事だろうか、連絡があったなら死んではいないと言うことか、不安が焦燥を連れてくる。
 「隊長、諜報員の方は無事なのでしょうか?」
 珍しく感情の乗った声にリリィの唇が緩む。
 「大丈夫、奴は優秀だ、任務を継続している」
 「・・・」
 無事だと聞いて安心したはずなのに足下がグラグラする、急に視界が歪む。
 鼻の奥にチヒロの匂いが蘇った、ダマスク・クラシックの香り。
 無表情の頬に涙が伝っていた。
 「!?」 
 手に取った涙を何が起こったか解らずに無表情のまま眺めていた。
 「なに・・・これ」
 「フッ」
 リリィは少し安心したように目を伏せた。
 「私はこれよりルート293基地において陸軍航空隊と対ケーリアン対空戦車討伐作戦会議に出席するため、一時この補給基地を離れる」
 踵を返したところで再度振り向いた。
 「チヒロからラッキーガールに伝言だ、(時計は無事だ)何のことか分かるか?」
 「はい・・・隊長、受電いたしました」
 涙が止まらぬまま、敬礼で出ていくリリィ隊長を見送る。
 小さな背中が見えなくなったとき自然に膝が折れた。
 「な・・・なんで・・・」
 また不整脈だ、チヒロの無事が脈を乱す。
 
 「それとな!」
 帰ったと思ったリリィ隊長がひょっこり開いたドアから顔だけ出した。
 「!!はっい」
 「帰りにお前用の機体を持って帰る、期待してろ」
 「それとな!!ちゃんと休め、休まないと殺すぞ」
 「分かったな!」
 「はい・・・」
 「良し」
 ニヤリと口元を上げて今度こそは小さな靴音が遠ざかる。
 
 「チヒロの奴、やっぱり名乗ってやがったな、今度会ったら殺してやる」
 黒髪をハーフフェイスのヘルメットから靡かせて発着場へ向かう。
 愛機の識別旗はワンアイズ・フォックス、隻眼の蝙蝠。
 「エンジン回せ、出るぞ」
 ヘルメットのベルトを閉めると度付きのレイバンをかけ、安全帯を機体と繋ぐ。
 
 カァァァァァァァァー
 水平対向四気筒ワンサイクルエンジンが甲高くも静かに吠える。
 二重反転式の四つのプロペラが空気を蹴り、軽い機体をふわりと空中に投げ出す。
 前方のローターの角度を変えて機首を上げると、さらに出力を上げる。
 そこに線路が有るように斜め上方咆哮に一直線に高度を上げる。
 シュオオオオオオオッ
 ある程度高度が取れたところで機首を下げて速度アップに繋げる。
 山を下りながら加速していくカカポ機は飛べないオウムではない、朝焼けに舞う猛禽だ。

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