第4話  交換

文字数 2,473文字

 人の背中に乗ったのも初めてだが、そこで眠ってしまった自分に驚いた。
 こんなに長い時間人に触れていたことはなかった。
 戸惑いが頭を混乱させる、心に張った防壁が崩れそうになる。

 男は日が落ちるまで森を下り補給基地を目指して歩き続ける、遅いと言われるカカポ機でも数時間の距離、高空を跳ぶFナンバーの戦闘機なら数十分、いや数分の距離、人間の足で歩くことの大変さを思い知る。
 それはカカポ隊の任務の重要性を再認識すること、カカポ機が無ければ人力で物資を運ぶか大工事を行い道を作るか、また空輸して物資を投下するかだ。
 どれも現実的ではない。
 分断された前線の命綱がカカポ隊に託されている。
 小回りが効き、垂直に降りることの出来る機体で小ロットで運搬する。
 やはりリリィ・チラン少佐は覚醒者、そして天才だと納得する。

 この山は神獣ケツァルの故郷、十年前の麻薬事件で一度は消えたケツァル、神獣の王、ダーラニーの努力によって今は少しずつ戻ってきている。
 我が国の民は二度とあの惨劇を繰り返さないと誓った、この山にある資源を狙っているのは隣国だけではない、同盟国でさえ開発と輸出の圧力をかけてきている。
 この世界は人だけの物ではない、犯してはいけない場所がある。
 先人の言葉を良く聞かなければいけなかった、もう犠牲は嫌と言うほど払ったのだ。
 そのために流す血は意義があるのだと信じたい。

 フェイの体重は四十キロ前半、自分の装備が十キロ、銃火気が十キロ、合計六十キロを背負い男は起伏の激しい道なき道を行く、藪を漕ぎ、川を渡り岩を登る。
 それでいて平然としている、なんという体力、夕方になっても姿勢を崩すことはなかった。
 疲れを見せない男に聞いてみる。
 「なぜそんなに強いのですか」
 「俺が強い?・・・普通だ、本当の怪物はもっと次元が違う、俺みたいな凡人じゃ届きそうにない所に立っている人たちがいる、でも俺もいつか辿り着けるように努力する、今もだ」
 少し照れたように話す横顔に影はない、自分とは違う世界にいる人。
 その真っ直ぐな眼差しが眩しい。
 同じ戦場に立っていても彼は光りを見て、彼女は影を見ている。
 羨ましくも憧れた、そんな表情だった。
 「そんな俺が努力もせずに君を放り出すことなんかない、君も生きることを考えろ、呪いになんか負けるな、俺と共に戦え」
 曇りのない瞳に見つめられと隠していた全てを見透かされているようで、耐えきれずに視線を外してしまう、いつか対等にその視線を受け止められる日が自分にやってくるだろうか、想像出来なかった。

 「今日はここまでだな、あの洞窟を宿にしよう」
 無数にある洞窟は迷宮、鍾乳洞ではない、何の穴なのかは未だに解っていない。
 その一つに腰を降ろしフェイと荷物を解放する。
 「揺られているのは辛かったろう、手足を伸ばしてくれ、それと傷口を消毒だ」
 「それは・・・」
 「リリィ少佐ならこう言う、呪いとか言うなら殺すぞ」
 声真似がそっくりだった。
 「フフッ」
 「おっ、笑ったな、今、笑ったよな!」
 「いいえ、笑っていません」
 「嘘だ、確かに笑った」
 「勘違いです」 
 「ぬううっ、絶対大笑いさせてやる」
 この空気はステラと似ている、彼女とならお似合いかもしれない。
 人が笑っている姿を見るのは好きだ、幸せそうな人を見るのは好きだ。

 男が持参したバーナーに火を付けて粥を作ってくれた、ベーコンと青菜を入れた粥は塩味が効いていて美味しかった。
 食事の後にフェイは男の指示に素直に従って背中を晒した。
 二回目だからか拒絶感が薄らいでいる、彼の手が温かい。
 「凄いな、もう傷口が閉じている」
 物心がついたときには自分の異常さに気がついていた、他人とは違う皮膚。
 悪魔、魔神、人外、出来損ない、失敗作、気持ち悪い、近寄るな、移る。
 ありとあらゆる罵詈雑言を聞いた、その全ては自分のためにあると知った。
 死のうとは思わなかった、感覚と思考が先に死んでいた、何を言われてもああ、そうかと思うだけになっていた。
 笑うことも、怒ることも、泣くこともない無機質な少女が出来上がった。
 
 「君は美しい、神が作った芸術のようだ」
 男の声に偽りはない。
 自分に向けられた初めての言葉、また一つ防壁を破られる。
 「違うわ、私の周りの人は皆不幸になった、これは呪いなの、でなきゃ・・・」
 最後の言葉を飲み込んだのと同時に、下流の洞窟から人工的な明かりと重苦しいエンジン音が響いてくる。
 「なんだ!?
 真っ先にマントでフェイの上半身を隠すと男は岩の影から音のする方向を覗く。

 ゴォォォォッ ブォォンッ 
 ケーリアン対空戦車だ、洞窟内を移動していたのだ。
 「やつらだ、なんてこった洞窟に道を作ったのか!?
 フェイも急いで服を着て身支度を整える。
 「あなたのターゲットはあれなのですね」
 「ああ、その通りだ、発見追尾して陸軍攻撃隊に情報を送るのが俺の役目だ」
 「では行ってください、私ならもう大丈夫です、ここまで来れば一人で帰れます」
 「しかし・・・」
 「逃がせばまたカカポ隊に犠牲がでます、補給が絶たれれば孤立した前線の兵士たちは全滅してしまうかもしれません」
 「本当に平気か、死にたがっていないと誓えるか」
 「・・・」
 少し思案して男の時計が目に止まった、目覚めるといつもそこにあった時計。
 自分の時計を外して差し出す。
 「母の形見の時計です、少しは値の張る物だと聞いています、次に会うことが出来るまで、これをあなたにお預けします」
 「形見・・・いいのか」
 「約束です」
 「よし、それじゃ交換しよう」
 「はい」
 互いの時計を左手に巻く。
 「やはり大きいですね」
 「いつになるか分からんぞ」
 「私の生死はリリィ少佐にお尋ね頂ければ解ります」
 「そうだな、もっとモノマネの練習をしておくとしよう」

 「約束だ」
 「はい」
 男は銃を取ると静かに闇に身体を溶かす。
 「あのっ!」
 「!?
 「名前を・・・名前を教えて頂けますか?」

 「俺の名前は・・・チヒロ、チヒロ・ハマダだ」
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