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文字数 4,847文字

 山菜採り、きのこ狩り、果物の木の摘花、よそのおばあちゃんの庭の花の植え替え、野生動物からの畑の保護、冬囲いの取り外し、野菜の種まき、ときには子守や買い出しの代行など、崎について回って町のみんなの手伝いをすると本当に様々なことを頼まれる。
 その頼まれ事をこなすたびに町の人と仲よくなり、顔と名前を覚えてもらって。少しずつ、町のみんなに受け入れてもらえていくのは楽しかった。
 都内からひとりでやってきたと言うと皆不思議そうにするが、その都度崎が「都会暮らしに疲れて家出したんだって~」と適当に言い訳をしてくれるのも助かった。家出といいつつもひとり暮らしアパートからふらりとやってきたのだから、家出というのも的確ではないのだが。
 崎を頼ってやってくる町の人は高齢者が多い。というよりもそういう人を主に助けるようにと崎の祖父が言ったらしい。若い人にも頼まれごとをされたときは当然引き受けるが、全体数としては少なかった。

 町の人の手伝いがない日は基本的に家にいる。そういう日は崎が株やら為替やらの話をしてくれたり、パソコンを使っての実際の取引を見せてくれたりもした。小難しいことはわからないし、なにせ株やらなにやらと言われても大金が絡むと思えばおそろしくて手を出しようもない。それでも、一応は崎の収入源として少しは生活の足しになっているらしいので大したものだと思う。
 「難しいこと考えないで、まあまずは金稼ぎってよりもどんなものかわかればいいから好きな飲みものの会社でも好きなお菓子の会社でも、ゲーム会社でもレコード会社でもなんでも好きなものの株を買ってみたらいいよー」と言われ、よくわからないまま言うとおりにしてみたりもした。一応株は持っている、という状態になってもそれが何になるのかもわからず。追々わかるよーとのほほんと言う崎のお気楽さを信じて、どうにかうまくいきますように大損はしませんようにと祈るだけだった。

 その他には週に一度、金曜日に崎が大家をしているというアパートの共用部分の掃除に向かう。
 清掃業者を入れてもいいが、どうせなら自分たちでやった方が安く上がるし、丁度通りがかった住人と話をして、困りごとだとか相談事を聞けるのも良い点だとのことだった。
 アパートは二階建て、八畳ほどの1Kが上下に四部屋ずつの全八室。共用の廊下や階段、玄関口や庭先の掃除をざっと済ませる。住人も綺麗に使ってくれているので基本的に目立つ汚れはない。大家らしいことはそれくらいとのことだった。基本的に管理会社が住人との間に入るため、設備等で問題があった際はそちら任せ。主に掃除をするだけなので楽ちんかなーと崎は笑っていた。

 日々はこのように、町の皆の手伝いと株の勉強とアパートの手入れで過ぎていく。この街に来てから数週間が経過し、内海は疲労と心労が溜まったのか数日の間体調を崩し布団の中から出られなくなっていた。
 慣れない場所で、慣れない作業と慣れない人間関係で。ドタバタと忙しなく過ぎる日々に追われ、気持ちの疲れを察知する暇もなく、自分自身のケアができないままのダウンだった。
 情けない。今までの会社勤めのストレスフルな毎日よりは、田舎でのスローライフで余裕が生まれたはずなのに。いや余裕があったかと言われると連日どこかで何か、やったことのない新しいことに駆り出されて、普段よりもよっぽど緊張続きだったかもしれない。元はといえば気持ちの疲れが原因で自死を選びここに来たのだ。そりゃ消耗もするだろう。
 崎もさすがに気を遣ってくれて、数日町の手伝いはせずに家に置いておいてくれた。情けなくて涙が出る。泣くとまた自己嫌悪でいっぱいになって悪循環だった。そんなときは銀二郎がそばにいてくれて、ふかふかの体を撫でるとほんの少し元気が出るような気がした。アニマルセラピーって本当に効くんだな、とぼんやり思った。

 布団から出ないのもそれはそれで罪悪感があるので、アニマルセラピーも兼ねて小鳥のケージを掃除したり、水槽の掃除をしてついでに亀の甲羅や腹を洗ってやったりもしてやった。庭に来る猫に水だけでなくこっそり冷蔵庫のカニカマを食べさせたりもした。銀二郎のブラッシングをしてやったりもした。一応はこれで家のことをしていることにはなるので、罪悪感も紛れる。玄関先の雑草を抜いたりもしていると、崎はそれを見て庭の一画に内海を連れていった。
 そこには、盆栽の鉢植えと多肉植物の鉢がたくさん置いてあった。
「よかったらこれにも水とかあげてくれると助かるかな。多肉は株分けしたりして増やしてもいいし。できるやつなら地植えしてもいいよ。じいちゃんがかわいがってたやつだから、面倒見てくれるとうれしい」
 勿論俺もやるからあんまり気負わず気が向いたらでいいからさー、とアロエの葉を撫でながら彼が言う。家を出なくても、仕事を与えてくれるのは正直ありがたかった。何もしないよりはいい。少し、救われたような気持ちになった。

 数日そうして家のことをして過ごしていると、崎が軽トラックのキーを指先でくるくる回しながら声をかけてきた。
「甘いもの食べにいかなーい? お気に入りの喫茶店、ご紹介いたしやすよ」
「喫茶店?」
「そ。俺が小さいときからじいちゃんが連れてってくれた店。地元の人しか来ないし、まあいつも静かだし。ちょっと息抜き。どう?」
 急な誘いに驚きはしたが、この田舎町にある喫茶店というものが気になって、内海は二つ返事で崎の誘いに乗ることにした。

 トラックに乗って十五分ほどだろうか。住宅地からぽつぽつと店が増え始める通りに入ると、崎は少しレトロな見た目の小さな店の横に車を停めた。駐車場も狭く、ぎりぎり二台ほどしか停められなさそうだ。店の外壁にはところどころツタが伸び、入り口の古びた木製のドアの前にはパンジーやマリーゴールドなどの寄せ植えの鉢が置かれている。
 ドアには木材にペンキのようなもので『OPEN』と書かれた札が下げられていた。その他は看板らしきものはない。店の名前もわからないが、大きな窓からは店の中が窺える。陽の差す明るい店内は深い色の木目の板張りに、同じ色のカウンターがあるようだった。カウンターの奥にはたくさんのグラスやカップ、皿が並ぶ大きな食器棚がある。年季の入った、それでいてボロくはない喫茶店はドラマや映画に出てきそうな佇まいをしていた。
 崎がドアを開けて中に入る。カララン、とこれまたレトロなドアベルの音がした。
「ジュンさんこんにちはー、甘いのちょうだい」
「おういっちゃん、いらっしゃい」
 崎のゆるい声に返事をしたのは、白髪混じりの髪を横にさらりと流した男性だ。目元や眉間には深いしわが刻まれており、切れ長の瞳の視線は鋭い。だが落ち着いた本人の雰囲気と穏やかな声で威圧感などはない、独特の雰囲気を持った、ナイスミドルとも呼べるような人物だった。黒のエプロンをつけ、カウンターの内側の椅子に腰を下ろしてコーヒーを飲む姿はとても様になっていた。
 店内に他の客はいない。静かに流れているのはスロージャズ。なんとも、昭和の純喫茶らしい雰囲気の残る小洒落た店だった。
 崎は慣れた様子でカウンター席に座る。手招きされ、内海はその隣に座った。
「ミミちゃん、こちらがジュンさん。ここのマスターね」
「こんにちは」
「おう。ゆっくりしていってくれ」
 ジュンさんはゆるやかに目を細めて微笑んでくれた。厳つさのある見た目の人だが、笑うと柔和な雰囲気もプラスされ、なんとも魅力のある人だと思った。この人目当てで通うファンがいると言われても不思議ではない。
「ジュンさん、こっちはミミちゃん。東京から来たの」
「東京から?」
 手元を動かしつつもジュンさんは崎の話を聞いている。崎はカウンターに肘をつき、両手を組むようにした。
「俺が山にいたら登ってきてさ。疲れてもういやになっちゃって、逃げてきたのを俺が拾ったの。そんで俺の仕事手伝ってもらってたんだけど、無茶させちゃった。だからおいしいもの食べさせてあげて」
 ごめんね、と崎がこちらを向いた。急に謝られ、ぶんぶんと首を横に振ってしまう。慣れない生活のせいもあるが、新生活に少し浮かれていたせいで自分の体調の様子を見誤ったのだ。謝られてしまうとそれはそれで申し訳なくなる。
「……山に?」
 ジュンさんはそう一言だけこぼした。山で最初に崎に会ったときも、自殺をしに来たのだとすぐに見抜かれてしまった。見たところ、というか見た目しか知らないがジュンさんも頭のよさそうな人だし、もしかしたら気付かれてしまっただろうか。
 何も言えず、黙ってカウンターに目を落としていると、急に大きな手で頭をぐしゃぐしゃと撫でくり回された。
「なっ、え、ちょっ……」
 撫でられるがまま、力強いその手に揺さぶられる。しばらくそうして撫でたあと、ジュンさんはカウンターの上にコーヒーを置いた。それから、冷蔵庫から何かを出す。なんだろうと思っていると、足つきのグラスを目の前に出された。中にはカラメルがたくさんかかったプリンが入っている。
「よく今まで踏ん張った、ちょっと疲れちまっただろ」
 それからカウンターには手作りらしきクッキーやキャラメルが乗った皿も置かれる。
「ちょっとそれ食って待ってろ、今他にも作ってやるから。パフェとフレンチトーストどっちがいい?」
「どっちも~」
 ジュンさんはこちらを見て尋ねたが、横にいた崎がはーいと手を挙げて代わりに答えた。はいよ、と軽く返事をしてジュンさんは調理に取り掛かった。
「ジュンさんの作るものなんでもおいしいから」
 崎は皿の上のクッキーを口に運びながら言う。頬杖をついて力を抜いて、まったりとくつろいだ様子で、流し目でこちらを見るとゆったりと笑んだ。
「俺も悩みとか困ったことあったらジュンさんに聞いてもらって、ジュンさんが作ったもの食べてさっぱりして帰るの。ジュンさんやさしいよ、なんでも聞いてくれるよ。俺いなくても、来たくなったら来たらいいよ」
 とん、とカウンターの上にロンググラスが置かれる。中にはいちごのムースにコーンフレーク、合間にたっぷりの果物、上部には大きないちごとアイスクリームに生クリーム、それに多くなビスケットが刺さっていた。大きな大きなパフェだった。ずい、と目の前にそれを差し出される。
「いつでもここに来い。いくらでも食わしてやるし、たまには息抜きも必要だ」
 ジュンさんはそう言うと今度は厚切りのパンを手に取って、ボウルにたまごと砂糖と牛乳を入れてかき混ぜ始めた。どうやら今度は本当にフレンチトーストを作ってくれるらしい。
「食べちゃいな、それ。アイス溶けちゃうよ」
 崎がパフェを指差した。お前は何か食べないの、と聞くより先に崎はクッキーを頬張った。
「甘いもの食べるとしあわせな気持ちになるでしょ」
 出されていたコーヒーに角砂糖をいくつか落とし、スプーンでくるりと混ぜて崎が言う。穏やかな笑みは残されたままだ。
「俺はミミちゃんにしあわせになってほしいよ」
 こちらを見ず、揺れるコーヒーの水面に視線を落としたままにそう言われた。
 内海はそれに返事ができなかった。なんだか鼻の奥がツンとして、何か声を発そうものなら涙が落ちてしまいそうだったからだ。
 内海はそのまま何も言わず、ビスケットでアイスクリームを掬って口に運んだ。ひやりとしたバニラアイスが口の中でとろりと溶けて、ほのかな甘みはやさしく心を包んでくれるようだった。
 スプーンを手にとってパフェに本格的にありつく。クリームもアイスも、ムースも甘くて、おいしくて。時々、先に出されていたプリンにもスプーンを伸ばす。こちらもたまごの味が濃いが、ほんのりと甘くてうまかった。そうして甘いものを夢中で食べ進める途中、小さくありがと、と呟いた。呟くとその拍子にやはりぽろりとひとつぶ目からは涙がこぼれたが、内海も崎も、気付かないふりをした。
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登場人物紹介

◆内海 満弦《うつみ みつる》

男性。いろいろなことに疲れてしまった。

◆崎 出帆 《さき いずほ》

男性。山で不法投棄と証拠隠滅を図る。

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