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文字数 2,854文字

 崎の軽トラックには一応だがカーナビが取り付けられている。それも納車時から備え付けられたものではなく、シガーソケットに電源コードを差し込むタイプのちゃちなものだ。取り付けたのがいつかはわからないがそれなりに年季が入っているように見える。新設された道路などは反映されていないこともあるほどだ。
 そんなオンボロカーナビと馬力のない軽トラックで高速道路を走るのは正直怖かった。
 高速道路など自動車教習所の講習で一度運転したきりだ。今はひとり。教習所の教官は同乗していない。崎も隣にはいない。トラックの運転はかなり上達してエンストなどは起こさなくなってはいるが、道中でもし何かトラブルが発生したらと思うと冷や汗が流れた。
 どうにかこうにか事故もなく、三時間弱運転し自分のアパートの近くまで到着したころにはへとへとだった。運転中気を張り続けた精神的な疲労と、緊張から体が強張って肩や首は腕がバキバキになっている。のろのろとコインパーキングにトラックを止め、内海は数か月ぶりに自宅に帰宅した。

 部屋の中はふらりと死を求めて出かけたあの日と何も変わっていなかった。郵便受けに数ヶ月分の公共料金の請求書が溜まっていたくらいだろうか。ほこりも大して積もらず、どこか空気が暗く落ち込むような空気を残したまま、何事もなかったかのようにアパートは内海を迎え入れた。
 まずはカーテンを開けて、窓を開け放つ。しばらくぶりに外気を取り入れた室内はそれだけでがらりと雰囲気が変わったような気がした。残暑のむっとした熱風が入る、普段ならば不愉快にも思えるそれも、この部屋にはようやく血が通い温度を取り戻したように思えた。
 家賃は銀行口座から引き落とされていたため払われ続け、滞納はしていない。問題は電気と水道とガスだ。自宅に届く払込書を使用し支払う形式をとっていたため、郵便受けに溜まっているぶんだけ未払いになっている。当然それらすべては使用不可になっていた。
 ローテーブルの上に置かれたままだったスマートフォンを手に取る。充電が切れていて電源は入らない。充電しようにも電気が止められていてどうにもならない。内海は仕方なく、充電器を手に近所のチェーンのカフェに向かうことにした。

 外は蒸し暑いというのに、カフェは冷房が効きすぎているほどで肌寒かった。内海は窓際の一人掛けの席に荷物を置いてからブラックコーヒーを注文した。
 コーヒーカップを載せたトレイを手に座席に戻る。それから充電器をコンセントに差し込み、スマートフォンを繋いだ。数ヶ月動かしていないスマートフォンがどうなっているのかなどわからなかったが、とりあえずはいつも通りの起動画面が表示された。
 それからは。大量の着信履歴と受信メールに渋い顔をすることになった。勢いでやめてしまった会社からの連絡が主だ。
 退職代行として崎が手続きや会社とのやりとりはしてくれたとはいえ、直接内海に連絡を取ろうとなるとやはりスマートフォンのアドレスしかない。すべてが嫌になったからすべてを諦めて死を選んだのだ、どっちにしろもうあの会社で働くことはなかったのだろうが、会社自体が嫌いだったわけではないため少々罪悪感で胸がずしりと重くなった。
 でももうすべて過ぎたこと。退職に伴う書類だのなんだのはちゃんと会社が崎の家に宛てて送ってくれていたのだから、すでに縁は切れている。もうあれこれと悩む必要はない。今は大家業と人助けを生業にしているのだし、もう前の会社のことを気にする必要はないのだ。内海はかぶりを振って、うだうだと落ち込みそうになった気分を振り払った。
 その他、会社以外からの連絡は大したものはなかった。もとより友人もいないようなものだ。休日も家に閉じこもってばかりで、誰かに誘われてどこかに出掛けるということもなかった。だから誰かから連絡がきているということもない。まあ音信不通で自宅にも帰った形跡もないともなれば誰かに捜索願を出されていても不思議ではない状況で、騒ぎにならなかったのはいいことだと思うことにする。
 連絡が来ていないのは姉からも同じだった。もとより互いに筆不精のきょうだいだ。数ヶ月やりとりが一切なくとも困ることはない。まあそうだよなと思いつつ、こちらから姉に向かってメッセージを送った。
『引っ越すことになった。今週中に。急ぎで片付けて荷物運びたいからよかったら手伝って』
 まともに連絡を取り合っていない分、突然こうして用事だけメッセ-ジを送ったとしても不審がられることもない。姉のことだから、ああそう、と軽く納得してくれることだろう。
 そうしていると、スマートフォンの画面にはすぐに既読の表示が出る。それからすぐに返事が来た。
『了解』
 そっけない。でもまあ姉のことだからこんなものかと思う。
『今日から片付け始める。いつこれる?』
『いつでも。今リモートで仕事してるからサボれる』
 淡々と、適当な返事が返ってくる。ちゃんと仕事しろよと思わないでもないが、今は姉の返事が頼もしかった。
『じゃあ午後来て。ちなみに電気と水道ガス全部止まってるから涼しい格好で来て』
『最悪』
『よろしく』
『はいよ』
 何も聞かず、急な引っ越しとライフラインが止められているという話をしてもただ簡素な返事だけ送ってくる姉のそっけなさに、この人会社でちゃんと人付き合い出来てるかなと少しだけ気にかかったが、それが姉らしくて。内海はふっと体から力が抜けていくのを感じた。
 ひとまず人手は確保できた。次はダンボールとガムテープ、あとは適当に使えそうな緩衝材やら梱包材やらを調達しなくては。以前はアパートの近くは徒歩で移動できる範囲しか足を運ぶことはなかったが、今はトラックがある。ホームセンターを探さなくては、と地図アプリを起動した。
 地図を見ながら、このあたりってこんな店もあったのか、と今更ながら驚く。数日後にはこの街から完全に去るというのに、そうして新たな発見がいくつか続くと少しだけ寂しさを覚えた。
 大学時代から住んでいて、この部屋で暮らすのも六年ほどになる。一度はすべて捨てるつもりで自殺を選んだが、ちゃんと引っ越しをするとなるとなんだか感慨深い。がらんとした部屋ではあるが、それなりに気に入っていた。
 それもあと数日でさよならだ。実感もわかないまま、内海はコーヒーを口にした。
 コーヒーはしっかりと味が濃く、香り高く香ばしい。おいしい、間違いなくおいしいのだ。しかしふっと思い出したのは崎の淹れた薄くてぬるくておいしくないコーヒー。あんなにふざけたコーヒー、おいしいはずがないのに。それなのになんだか、やけに恋しくなってしまって。
 おまえのせいだふざけんな。引っ越し強行も、なぜだかこうして無性に泣きたくなってしまったのも。全部全部おまえのせいだ。
 涙が落ちることを許さず、眉間にめいっぱいしわを寄せてスンと鼻をすすりながら、内海はホームセンターで何を買うかをスマートフォンのメモアプリに書き出していった。
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登場人物紹介

◆内海 満弦《うつみ みつる》

男性。いろいろなことに疲れてしまった。

◆崎 出帆 《さき いずほ》

男性。山で不法投棄と証拠隠滅を図る。

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