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文字数 2,631文字

「おはよーーー起きろーーー」
 わしゃわしゃわしゃ。突如頭をめちゃくちゃに撫でくりまわされ、内海は何事かと飛び起きた。ぐしゃぐしゃになった長い髪は視界を覆い、何が何だかわからない。
「七時よ! はい早く身支度してキヨさんとこの畑行くよ!」
 そうだそう言えばそういうことになっていた。両手で前髪を掻き分けてようやく辺りがはっきり見える。布団の上ではころんと横になっている銀二郎がぼやけた目でこちらを見上げていて、枕元には崎がしゃがみこんでいた。見たところ寝間着ではなくもう着替えも済ませているようだ。心なしかもじゃもじゃの黒髪にも櫛が通されているような気がする。それでもまだもじゃもじゃで寝癖頭のように見えるが。
「……おはよう」
「はいおはようさん。朝はパン派? ごはん派?」
「……朝は食べない」
「うっそ。ちゃんと食べなさい。まあ俺もコーヒーだけ派だったけど。お互い人生リスタートよ、規則正しく清く正しくいこう。ということで食パン焼くけど何枚がいい?」
「一枚でいい……」
「絶対二枚いけるぜ。二枚焼くね」
「人の話聞けよ……」
 朝から適当絶好調の崎の勢いに押され、布団から出る。眠気を振り解くようにざっと顔を洗って寝癖を整え歯を磨き、それから居間に向かうと、崎が焼き色のついたパン四枚を皿に積んでローテーブルに置いたところだった。
 隣の台所に一緒に向かい、ジャムやコーヒーの用意をする。それらを居間のテーブルに運び、銀二郎にもエサ皿にドッグフードを入れてやって、両手を合わせて朝食を取ることにした。
 ジャムはストロベリー。そのほかにバターも置かれていて、崎は両方を食パンに挟み込んで食べていた。内海はひとまずバターのみパンに塗り込み、もぐもぐと食べる。ひさびさの朝食だ。今までは朝、コーヒー以外を胃に入れようとすると体が拒否するのか徐々にものを噛めなくなり、飲み込むのはまた一苦労だった。次第に口の中に固形物を入れることも苦しくなっていったのだが、今日は不思議と食欲がそそられた。会社に行かなくてもいいという解放感があるからかもしれなかった。
 スマートフォンは都内の自分のアパートにあるため、もし会社から電話が来ていてもこの田舎にいる自分にはわかりやしない。罪悪感がないわけではなかったが、もう別の道を歩むと決めたのだ。これで終わり。会社と上司、同僚には申し訳ないが、どうにかうまくやってくれ。そう心の中で祈った。
「よく眠れた?」
 ジャムを塗り込みすぎてパンの端からこぼし、それを小皿で受けながら崎がこちらに尋ねてきた。
「……そういえば眠れたな」
 尋ねられるまで忘れていた。昨夜は眠れないかもと心配していたのに、そのことが頭からすっぽ抜けるまでしっかりと眠れていたのだ。自分でも驚いて、パンを食べる手が止まる。
「そういえばって」
「……俺不眠症だったの」
「あらま」
「……正直絶対眠れないと思ってた。銀二郎ゆたんぽが効いたのかも」
「じゃあ毎晩一緒に寝なきゃね」
 なー銀二郎、と崎がふかふかのまあるい頭を撫でてやると、かりかりと音を立ててフードを食べていた銀二郎が顔を上げて嬉しそうにしっぽを振った。


 朝食を食べ終わってから、さっと身支度をして内海は崎に続いて玄関を出る。昨日買った作業用の服だ。おろしたてではあるがこれから汚れる作業をするのかと思うと少しもったいないような気もした。銀二郎は家で留守番だ。いい子でねと手を振ると、任せてくれと言わんばかりに銀二郎はわんと一声鳴いた。
 さて、これから内海にとっての初仕事になる。前日に庭の影に来て枝拾いを依頼したキヨさんという、七十代半ばの男性の畑での仕事だ。
 朝八時という、心なしか早いのではないかと思わないでもない時間に依頼主の家の裏手にあるりんご畑に集合とのことだった。
「……ふつう会社勤めでも八時スタートはちょっと早いよ……」
 崎の運転する軽トラックの助手席に座ってそう言うと、崎はははんと笑って見せた。
「農家の朝はもっと早いよ。歳いった人はもっともっと早い。夏なんかは本当に。暑くなる前に済ませたいからね、日の出とともに畑へGOとかよくある」
「うそでしょ……」
 キヨさんの畑は崎の家から数分の距離だった。民家の多い場所の中、そこそこ広めの土地に木が何本も生えている。その畑のすぐそばの路肩にトラックを停めて、先は車を降りた。
「キヨさーん来たよー」
「いっちゃん! おはようさん、よく来てくれたなあ」
「おはよ。今日から友達も一緒に手伝いたいんだけど、いいかな」
「おお、人手が増えるのは大歓迎よ。お友達も来てくれてありがとなあ」
「いえ、あの、よろしくお願いします」
 キヨさんは白髪の目立つ頭につばのついたキャップをかぶり、厚手のフランネルシャツを着ていた。足元は長靴だ。
「今日は枝拾い頼むよ。ここ終わったら山の畑の方にも行くから頼むなあ」
「はいよー」
 崎はそう返事をして軍手を手にはめた。それから畑の入り口の辺り、焚火の跡や割る前の薪と思われる短い丸太、枝の山、それから木材とトタンでつくられたと思われる小さな小屋のある方へ向かった。そちらにある、一本のタイヤのついた手押し車を持ってこちらに戻ってきた。
「ぱっと見でここがなんの畑かってわかんないでしょ」
 それからこちらに手招きして、畑の端の方へ手押し車を押しながら移動する。内海はそのあとについて行きながら声に耳を傾けた。
「ここはりんご畑です。それで今日やる枝拾いなんですがね」
「うん」
「冬の間って雪降ったりするし、収穫も秋に済ませてるから農家ってあんまりやることないの。でも葉っぱ全部落ちて見やすくなってるから、伸びすぎたり邪魔だったりする枝を切っておくわけ」
「へえ」
「冬だと雪あって焚火もしにくいからさ、とりあえず雪の上に全部枝も落としたままにすんの。それを春に集めて一気に燃やす。落としたまんまだと足に引っかかって邪魔だし、草刈りの機械にも絡んじゃったりするからね」
「なるほど……」
「だから今日はその枝拾いやってもらいます。難しくないよ、本当にただ枝集めてこれに載せていくだけ。さっき枝積んであったのわかる? ネコいっぱいになったらそこに持ってくよ」
「ネコ?」
「猫車。これのことね」
 崎は手押し車を指差した。だいぶ年季が入り、錆びついている。
「じゃあ、やりますか」
 胸の前で両手で拳を握り、ファイティングポーズ。それからゆるーく作業に入る崎に倣い、内海も枝を拾い始めた。
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登場人物紹介

◆内海 満弦《うつみ みつる》

男性。いろいろなことに疲れてしまった。

◆崎 出帆 《さき いずほ》

男性。山で不法投棄と証拠隠滅を図る。

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