─15─

文字数 3,795文字

 居間のソファに崎が沈んでいる。うつ伏せで、片腕はソファから落ちてだらんとさがっている。時々あーだのうーだのという声も聞こえる。こういうときは大抵、株か何かで大きく勝負に出て派手にしくじったときだと決まっている。
「いくら損したの」
「……ちょっと言えな~い……」
「ちまちま細々やるっていってたくせに」
「今回はちょっと強気でもいけると思ったんだよねえ~……」
「じゃあ細々取り戻せよ」
「傷が癒えてからね……」
 へろへろと力の入らない声で話す崎に、内海は追い打ちをかけるように畳みかけてくさしていく。もっと言ってやろうかと思っているときに、廊下に置かれた固定電話からプルルルと音高くコール音が鳴った。内海が電話に出ようかと部屋の外に出ようとすると、内海の追及を逃れるかのように崎が廊下に出ていった。それでもずるずるだらだらとしているので、このままだと電話が切れるぞと尻を蹴ってやった。ひえ~とやる気のない悲鳴が上がり、そのまま廊下へと消えていった。
 固定電話など今どきあるものなのかと思いはするが、これが結構電話がかかってくるものなので驚いた。大半はご近所さんからで、手伝ってほしいことがあるんだけど、という依頼の電話だが。
 電話、そういえば東京のアパートにスマートフォンを置きっぱなしにしてきたのだった。特別連絡をこまめに取る相手もおらず、SNSやゲームもやるわけではなかったので、別に持っていなくても不便はなかった。だが崎とそれぞれ別の場所で町の人の手伝いをしているときだけは連絡用の道具が欲しいと思っていたのだった。
 格安SIMでもなんでもいいから契約するかななんて思いつつ、現状無職の人間が携帯電話を購入できるのかは疑問だった。
 町の人の手伝いは無償、たまに昼食代をもらう程度。他は野菜や果物や弁当や手作りのおかずの差し入れをもらうくらい。あとはアパートの家賃収入と少しの株で儲ける小遣い。仕事をしている、というほどではないが一応は自営業扱いにしてもいいだろうかと勝手に考える。
 携帯電話の契約ってどうやったっけ。考えてもまともに思い出せはしない。なにせ学生時代に姉と一緒にショップに行ったっきりだからだ。学生時代ならば仕事も関係ないしなんなら収入も関係ない。大人になってからの契約ではどうなるのだろうかと考えていると、崎が居間に戻ってきた。
「俺さー今日夜に通夜行くことになったから。今日はごはんひとりで食べて」
「通夜?」
「そう。たまにお手伝いに行ってたおじいちゃんが亡くなったって、おばあちゃんから電話」
「そっか……」
「俺だけ行ってくるから、ミミちゃんはおうちでお留守番お願いね」
「わかった」
 町の人の手伝いに行く際、崎の祖父の言い付けもあり高齢者のもとに手伝いに行くことが多かった。こういうことも少なくはないのだろうなと思う。特別崎は表情を崩したりはしないが、いつもならばもっと口数が多い。やはり思うことはあるのだろう。
「俺、風呂洗って、飯作っておくから。お前は帰ってきたらなんもしなくていいよ」
「ありがて~、頼むわあ」
 いつもなら家事は分担するが、このときばかりは仕方ない。自分から申し出ると、崎はへらりと笑って両手を合わせた。

 それから。内海が崎からパソコンを借りてネットニュースだとかをチェックしていると、崎がおもむろに居間に入ってきた。
 崎は黒の礼服に白いシャツ、黒のネクタイ、それにいつもは寝癖だか何だかわからない髪をしっかりワックス、というかオイルか? ジェルか? 詳しくはわからないがとにかくしっかりセットしてまるでおしゃれパーマのように、それに普段は眼鏡にかかる邪魔そうな前髪もセンターで分けて、なんというか、これから通夜に行くというよりはバチバチにきめた流行りのバンドマンのような格好で現れた。
「えっ誰?」
「出帆くんなんですが……」
「喪に服せよ、なんで髪そんなきめたの」
「いや俺普段お出かけするときはこうなんですけどね……」
「おばあちゃんびっくりするでしょオシャレする場所じゃないんだよ」
「いやだからね普段実はこうなんです……」
 適当人間が急に洒落っ気を出したと思い、TPOを考えろと叱りたくなったが。まあ寝癖頭よりはましかという考えに着地する。
「香典、俺も用意した方がいい?」
「いいよ。ミミちゃんは会ったことのない人だから。気持ちだけもらう」
「わかった。もう行く?」
「行く~」
「オーケー。いってらっしゃい。通夜行くときは塩とか要るんだっけ?」
「今はいらない。俺が帰ってきたら塩かけて」
「了解」
 なんとなく、見慣れない姿の崎をそのまま観察しつつ玄関まで見送る。へろへろとあまり普段と変わらない適当な態度ではあるが、知っている人が亡くなったという現状と、その人の通夜に向かうとなると心細いだろうと思った。
「いってらっしゃいのハグするか?」
「なんでよ」
「お前がボロ泣きで帰ってきても俺は笑わないからな」
「なんの気遣いだよ」
 大丈夫だよ、と笑う崎が玄関を出て夕暮れの空の下を歩いてゆく背を見送る。それからふと、自分が崎と出会ったあの日、彼と出会わずに死ねていたらということを考える。
 遺書は残してこなかった。彼の祖父のように通夜も葬式もいらないと書いておいておけばよかったか。それとも姉に喪主を頼んで葬式をやってもらうべきだったのか。特別、自分の死を悼んでくれる人物も思い浮かばない。それくらいならば式も何もしてもらわず、静かに消えていくのが正しいのか。今となってはわからない問いを考える。
 姉は元気だろうか。もとより互いに筆不精、もとい連絡不精というか。互いの近況を伝え合うようなことはほとんどなかった。もしかしたらアパートに置いてきたスマートフォンには姉からの連絡が来ているかもしれない。または来ていないかもしれない。どちらともいえない、そんな距離感の存在だった。
 近すぎず、遠すぎず。自分にとっては心地いい距離感を保ってくれる姉だったため、連絡を取り合うのなど数ヶ月に一度あるかないか。もし、あのとき自分が死んでいたら姉はどうしただろう。泣いてくれただろうか。いや、ひとり取り残すのはしのびない。死ななくてよかったのかもしれない。まあその自分の安否すら姉は知ることもできずにいるのだろうが。
 結局、自分は死なずにここにいる。崎の言うとおり、人生リセット、というか半ば捨ててまったく別の生き方を選んではいるが、生きているのだ。いつだって姉と会うことができる。話すことができる。それなら、それでいいだろう。結局は誰にも迷惑はかけていない。むしろ人助けをして生きている。それで十分だ。連絡も取れず今まで何をしていたのかと姉に問い詰められるようなことがあっても、胸を張って誰かのために生きていたと言える。今はそれで十分だ。
 そう、結論は出たとはいえ。喪服に身を包んで歩いて行った崎の背中が目に焼き付いて。
 内海は目を閉じ、かぶりを振って居間に戻った。

   ***

 ピンポーン。これまたレトロな呼び鈴の音が家中に響いた。
「はーい!!」
 できるかぎり大きな声を出るよう、玄関まで届くよう内海は声を張り上げた。ソファに横になってテレビを観ていた体を起こし、玄関まで小走りで向かった。
 がらりとガラス戸を開けると、やはり外には崎が立っていた。外はもう日が暮れて真っ暗だ。黒い服に身を包んだ崎はその暗闇に溶け込むように佇んでいた。
「お塩かけて~」
「はいはい」
 玄関先の靴箱の上、小皿に先に用意していた盛り塩から少量、指でつまんで崎の左肩に投げる。それから崎が少しだけ体を回転させるので、次は背中の左側、右側、それから正面を向いて右肩、と順に塩をかけていった。
「これでいい?」
「いい、いい。ありがとさん」
 肩に乗った塩を手で軽く払いながら、崎が家の中に入る。
 葬式や通夜など、自分は一体いつから行っていないだろう。親戚付き合いがある家でもなかった。もしかしたら、子どもの頃の母を亡くしたその時以来かもしれなかった。身近な人が亡くなったことがないというのは恵まれていることなのかもしれないとふと思った。 
 ふたりで居間に入ると、ジャケットを脱いで鴨居に引っかかっていたハンガーに適当にかけながら崎が声を発した。
「あ、今日通夜行ったとこのばあちゃんにさ、何日かしてから遺品整理の手伝いも頼まれたから。ミミちゃん手伝いは来てくれる?」
「それは……いいけど。遺品整理って家族でやるもんじゃないのかよ」
「お子さんとか、いないんだって。だからおばあちゃんひとりでやるんだけど、捨てるものの運び出しとかあるからさ。家具とかも使わないもの捨てちゃうから、人手が欲しいみたい」
「……わかった」
 急な依頼に驚く。今までも依頼されることの内容の幅はかなり広かったが、まさかこんなことまで頼まれるとは。
 遺品整理ともなると他人である自分たちが立ち入っていいことなのかと少しばかり気後れするが、困っているからこそ崎に頼んだのだろう。それならば、少しでも力になれれば。内海は戸惑い混じりではあるものの、ひとまずは手伝いに行くことに決めた。
 人の死に深く関わることすらも、母の死以来だ。それも見ず知らずの他人の遺品整理をすることになるとは。人の人生とはどうなるかわからないものだなと、ぼんやり、ひとごとのように思った。

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登場人物紹介

◆内海 満弦《うつみ みつる》

男性。いろいろなことに疲れてしまった。

◆崎 出帆 《さき いずほ》

男性。山で不法投棄と証拠隠滅を図る。

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