黒い雲

文字数 1,537文字

 その組織はまたたく間に大きくなり。圧倒的な影響力を得ることをしたが、同時に問題も多発した。仲間同士でのいざこざ、独占欲や、承認欲求の渦は組織の成長のスピードに比例して大きくなった。彼は影響力はあったが、組織運営については少々無頓着だったのだ。
 当然のごとく、国家に対する反乱者ではないかと目をつけられる。彼は動じなかったが、周りの者たちがうろたえ、保身に走り。組織の象徴である彼を密告する。

 彼は王の虜となる。

「みせしめだ。無残に殺せ」

 丘の上にいる私の元に人々が集まってくる。彼の信奉者達だ。暗くうつむいた顔。この丘の上で彼は磔にされ処刑されるのだという。もはや誰にも何もできない。王に逆らって自身が死んでしまえば元も子もない。しかし、彼が救ってくれるはずなのに。いや、必ず救ってくれると確信めいたものは今でも掴める実体のようにここにあるというのに。私たちは彼の死をただじっと見つめていることしかできない。

 丘のてっぺんまで人の道が出来ていた。そこを彼は歩いてゆく。人の体ほどある大きな十字架を背負い。息も絶え絶えに歩いている。少しでも止まれば兵士の鞭がしなる。半裸の彼の肌に血がにじむ。何もできない信奉者たちは息を飲んでその行為を見つめることしかできない。その感情は暗い。闇の感情である。ぐるぐると渦巻く暗黒の想い。

 丘の上で一部始終を見ている私は、その黒いものが見えた。人々の頭上にもくもくと煙のようにそれは浮かんでゆく。しかし、彼らには見えていないようだ。その黒い雲のようなものは塊となり、流れに沿って流れてゆく。同じ方向に流れてゆく。それは中心に流れ込んでゆく。彼のところへと、民衆の暗黒の全てが流れ込んでゆくのだ。

 十字架を背負い、肉体的疲弊をギリギリと受けながらも、彼は少し口角を上げ笑った。

 そしてその口から、その鼻から、すうっと息を吸う。そうするとその黒い雲は彼の中へと吸い込まれてゆく。しかし、その黒い雲は後から後から途切れることなく生み出されるので、彼は延々と吸い続ける。一歩進んでは、二歩進んでは、暗黒をその内へと取り込んでゆく。

「あぁ、そうかあれが悪魔の言っていた人間の中にある悪魔なのかもしれない」

 私はふとそう思った。しかし、そんなことをしてしまっては彼が悪魔になってしまうのではないだろうか。人の心にある悪意をひとりの人間が請け負うことなど出来はしないだろう。きっと彼は死んでしまう。なのになぜ、こんなことをやっているのだ。バカだ。彼は馬鹿なのではないか?

 そんなとき彼は伏せていた目をすっと上げ私の方を向いた。

「君が何か知らないが、教えてあげよう。これが救世だ」

 なっ!突然彼が私に話しかけて来たので動揺が隠せない。な、ななな、なんなだのだあなたは?何をしているというのだ。救世?これのいったいどこが人を救うというのだ。

「ふふふ、この黒い雲。これは人々の罪だ。罪を侵さぬ人間はいない。しかし罪に押しつぶされてしまっては生をまっとうすることは出来ない。こんなものはない方が良い。みんなもっと気楽に生きれば良いのだよ」

 それはつまり、あなたが全てを?

「そうさ、世界の人々の罪を全て私が請け負おう、ということだ。全ての失敗を私のせいにすれば良い。私は生まれもって気違いなので、全ての暗黒を受け入れることができるのさ。むしろ、私にできることはこのくらいなんだ。しかし、これでみんなが幸せになれるんなら、それで、いいんじゃないかな?」

 そんな!いや、それであなたは満足なのか!?自分の幸せは?自分の人生はどこにある?

「はっ!ははは!それは今、ここにあるよ。今、この瞬間だ!」

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