第5話 下諏訪と上諏訪の〝異質〟

文字数 1,056文字

■日程・行先不定の車中泊の旅 ⑤
3/22日
諏訪湖畔は有名な温泉地でない(私的に)けど、利用しやすい格安の風呂屋が多い。
逆に名高い温泉地には日帰り入浴施設がなく、せいぜい足湯程度も多い。
諏訪湖畔では三百円足らずで入れるところも多く、高くても五百円程度であった。
泉質は弱アルカリの単純泉が多いようで、肌がすべすべする。
と云う訳で、朝6時から営業している岡谷市の「ロマネット岡谷」に入った。
名前の通り古代ローマの風呂をまねた、直径8mくらいの円形湯船で、浸かると自然と対面の人と話したくなるような仕組みになっている。残念ながら、コロナ禍ではそれがかなわない。
この風呂に限らず、湯船での見知らぬ人との会話は、旅先では貴重な情報源。思いがけない話が聞けたりする。それがままならない今は残念でならない。

ところが、その温泉と湖畔の雰囲気は南岸の諏訪市に行くと一変する。コンクリートの温泉宿などが岸辺まで建ち並び、公園などの空間がほとんどない。
満足な日帰り温泉もなく、雰囲気だけ"ダメな有名温泉地"であった。ここの「名物間欠泉」を見ながらもう一泊と思ったが、早々に立ち去るはめになった。

諏訪大社と云えば「御柱落とし」、たまに死者が出る、と云うことしか知らなかった。
訪れたら、伊勢神宮のように社が分かれていて四つもあった。その中の「秋宮」に行き、そこから「春宮」、「春宮大門」の三角巡りを歩いた。門前町は、どこでもその歴史から風情があるものだが、下諏訪には旧中山道が通っていたので歴史の重みをさらに増していた。宿場町でもあったので、小さな旅籠のようななごりを感じさせる家が、なだらかな道沿いに幾重にも連なっていた。
ただ、軒先が道端まで出ているので、今日の車社会との相性は合い入れない。景観保持と生活維持のせめぎあいで苦労しているだろうことが想像できる。

立派な神社仏閣に出合うたびに想うことがある。「この立派な建造物を誰が維持しているのだろう?」と。
ある程度は想像できるのだが、その先が私には見通せないことが多い。世の中には、神様仏様のためなら身を粉にして尽くす者がいる。全財産を進呈することなど序の口だ、と云う人々を知らない訳でもない。
ただ、そう云う人々が造った建造物を見て、「すごいな~!」と思うのであったら頂けない。どこかの国の「将軍様」を見て「すごいな~」と云うのと同類に思われるからである。
願わくは諏訪大社が「宗教」を離れて護持されてほしいと思うのだが、果たしてその処方が私にはわからないのである(笑)
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