第13話 中津川ラジウム温泉や苗木城

文字数 2,120文字

■日程・行先不定の車中泊の旅 ⑬
3/30日
「木曽路は全て山の中である」は、あまりにも有名な藤村の「夜明け前」の書き出しだが、今木曽路に暮らす人々は、それをどう受けとめているのだろうか?
藤村に、「山の中」と規定されて怒っている人はいないだろうか?気になるところである。

藤村については、自然主義文学と云う以外忘れている。なにしろ50年以上昔のことだ。以来、文学とは無縁の生活を送っていたのだから尚更だ。
そんな中で、「新生」だけが妙に頭の隅にある。が、それとて中身は題名の域を出ない。
そして、藤村の詩や散文は教科書などによく出ていたが、今でもそうだろうか?あるいは、色あせて過去のものにされているのか?
仮に「今でも…」だったら、藤村はホンモノだ(笑)

昨日の「往復歩き」をはじめ、旅日記のまとめで本日も逗留を決め込む。
実際歩いてばかりいては、記憶は次々消え去って行くので、一日ごとのインターバルで「まとめ」は必要だ。

馬籠近くの湯舟沢の温泉に二晩入ったが、夕べは空いていた。塩素の臭いもしなかった。
おとといは日曜だったので子連れがたくさんいた。私は"悪いクセ"で、子どもが多いと「ションベン風呂」が頭をよぎってしまう。
現にその日も私のすぐ脇で、子供が「オシッコ」と言って風呂の中に向かってはじこうとしたら、親があわてて制止していた。と云うことは普段それをしている、と云うこと!?

尿は「尿飲療法」と云う民間療法があるほどで汚くない。ほとんど無菌だとも云われている。
私も現に妻が末期ガンを疑われたとき、ワラにもすがる思いで尿飲を試し、妻にも勧めたことがある。俳優の森繁久彌が実践していたことでも有名だが、私の場合は前日のお酒のにおいが強烈で長続きはしなかった(笑)
妻も、ゲップをしながら試みたが、すぐに末期ガンは「ガンもどき」であることが判明して止めた(笑) でもその時は真剣だった。
今でも効果はあると思っているが、実践となると背に腹を変えられない時でないとなかなかできない。

小学生だったときの担任が、「お前らの小便は薄くて肥やしにもならない」と云ったのが忘れられない。彼はなぜそんな話しをしたのか?推測だが、彼が小学校の頃は農家人たちが「汲み取り」に来た。その人たちの会話の記憶を話してくれたのかな、と思っている。
そんなオシッコではあるが、やはり風呂でされてはたまらない。
温泉での子ども、要注意である(笑)

日が傾きはじめた頃、中津川に移動した。もっともここも正式には中津川市。旧長野県山口村が県境をまたいで岐阜県中津川市に編入したそうだ。
戦後の町村合併が盛んな頃は、集落が二派に分裂して、血が流れたところもあるが、県境を跨ぐ編入劇にもドラマがあったのだろうか?

中津川では、先ずコインランドリーに向かった。
コインランドリーの利用は、15年ほど前の北海道山行以来二度目だ。北海道のときは仲間がいたので問題はなかったが、今回はさっぱり要領を得ない。
しばらく待つと同年代の人が来たので、一つ一つやり方を聞きながらどうにかこなした。
覚えてしまうと、なかなか便利なものだと思った。洗濯500円、乾燥200円だった。高いか安いか?
私は旅行先で下着などは自分で洗ってしまうが、ジーンズやトレーナーになるとそうはいかない。それらはコインランドリーに軍配だと思った。

街中のガソリンスタンドで、苗木温泉(ラジウム温泉かすみ荘)はどちらですか?と聞いても分からなかった。
小さな湯治宿のようなところだった。沸かし湯の油代を節約しているらしく予約制で、来る時間と携帯番号まで聞かれた。これほどのお風呂は初めてだ(笑)

5人も入るといっぱいの小さな風呂に「静岡ナンバー」が先にいた。
富士市の製紙会社の人で、出張でときどき泊まるそうだ。目的はラジウム泉だと云う。一時間は浸かるそうで、そのために極力ぬるま湯にするのだと、もともとぬるいのに「もう少し水を足してもいいですか?」と来た。
"先輩"にたてつくこともできないので「どうぞ」
ラジウム泉は「体がほぐれて温まって本当にいい」と絶賛するのだが、私にはさっぱり解らない。ラジウム温泉、ラドン温泉には幾度も入っているが「温泉はみんないい」。泉質の違いは分かるが効能になるとお手上げだ。
「信ずる者が救われる」ればイイ!(笑)
人一倍風の呂好きだが、超ぬるま湯に一時間はお付き合いできないので、「お先に」と云ってかすみ荘を後にした。

「今日の宿」はもうけものだった。
温泉の近くに、よさそうな城跡公園があったので何気なく泊まったのだが、後ろの小高い丘に小さな城跡が見え、下には木曽川が、その向こうに中津川市街、その背後に恵那山が浮かんでいた。
翌朝城跡に登ると、そこは苗木城という旧苗木藩の小さな山城であった。が、眺望は見事で、中津川市街を一望に照らしていた。
あてどのない放浪のような旅をしていると、時としてこのような〝獲物〟にありつける。
「旅と旅行の違い」? 広辞苑では「目的の有無」だそうだ。人はなぜ旅をするか?新しい偶然を求めているから、ともどこかに書いてあった。
「そんなつもりではないのだが…」私。(笑)
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