第11話 南木曽町の巨大なつり橋

文字数 1,603文字

■日程・行先不定の車中泊の旅 ⑪
3/28日
夕べの木曽町野尻のダム湖畔の"宿"は暖かだった。天候のせいだろうが、ダム湖に近かったせいかも知れない。
これまでは氷点下ばかりで、シュラフの紐を閉じて文字通り"袋"になって寝ていた(笑)
目前に木曽駒連山が眺める場所に駐車したのだが、今日は曇り空から雨模様で山は雲に隠れてしまっていた。

柿其(かきぞの)渓谷という看板があった。たいした所ではあるまい、と思いながらも車を走らせた。
間もなく道路の上を覆い被さるように横切る大きな水路橋が現れた。大同電力(現関西電力)が大正末期に造った、当時国内最大出力の水路式発電所の一部だそうだ。
この道の終わりの集落は、桃源郷のようなたたずまいだった。棚田の畦はきれいに刈り込まれ、道ばたの小さな雑草がかれんな花を咲かせている。民家の周りのモクレンやレンギョウ、桜の花があざやかに彩りを添えていた。
用水路には清冽がほとばしっている。
老夫婦が野焼きをしていた。畦から立ち昇る煙りが、辺りを活き写していた。
その脇道を通って私は柿其渓谷に向かう。
途中に鉱泉宿があった。「立ち寄り湯歓迎」の看板があったけど、少し寂しそうで残念な気がした。
渓谷を歩き出した。つり橋を渡り、湧水が随所に流れる川沿いの道を進む。釣り人が二人いた。イワナ釣りだ。「釣れますか?」「全然」(笑)
最後の絶景は滝だった。滝壺に落ちる水が轟音と鳴り響いていた。
滝見場に上る鉄製の階段は、頑丈そうだが朽ちはじめていた。往時はたくさんの客で賑わったのかも知れない。
釣り人以外客人とは会わなかったけど、景色とは予想外の出会いであった。

南木曽町役場付近をゆるやかに走っていたら、木曽川に架かる大きなつり橋が目に入った。渡り口が分からなかったので車を周回させて確認したら、今は歩くだけの文化財で、観光に役立っているようだが、元は前述の発電所施設の一部だったそうだ。
全長200m余りか?つり橋を往復しながら景観を楽しむには最適で、木曽川の上下流の景色が手にとるように楽しめた。

つり橋の名前は「桃介(ももすけ)橋」。由来は当時の大同電力の社長「福沢桃介」からで、桃介は福沢諭吉の娘婿だったそうだ。
対岸に彼らが別荘にしていた家が記念館になっている。
隣には木曽の山と林業の歴史を伝える記念館もある。

昼飯を、その前の橋の袂で取ることにした。といっても粗食だが、眼下に見下ろす木曽の清流をおかずに取り入れれば、立派な御馳走に様変わりする。

雨あしが強くなったり弱ったり。だが、明日は快晴のようだ。これからの日程を決めた。
妻籠をゆっくり通り越して、馬籠まで行き、"今晩の宿"を決めてから島崎藤村記念館を時間をかけて見学する。終わる頃には「温泉時間」になるので、丘を一つ越した中津川神坂の「湯舟沢」温泉に浸かる。
明日は、天候を見ながら、馬籠から妻籠まで9キロを歩いて往復する。

と云うことで、藤村記念館。
雨あしが弱まらないなか、寒さも増してきた。500円の入館料を払った記念館は閑散としていた。先ずストーブに当たりながら30分間のビデオを見た。
ゆっくりと一通り観て回ったが、特段真新しい発見はなかった。

そのなかで、新聞切り抜きコーナーに文芸評論家の斉藤美奈子が「夜明け前」について寄せた一言、「夜明け前の前編はだらだらと冗長な文体で、我慢できないかも知れない」とした上で「後編から読む手法もあながち悪くはない」と云うのが目に止まった。
斉藤の、独特の感性で評論することには注目していた。「文章読本さん江」など面白い著書がある。ほとんど読んでないけど(笑)
彼女は新潟市の出身だが、それと評価は関係ない。ただこれからも注目すべき評論を書いて欲しいだけ(笑)
もう一つ、面白い指摘がGoogle Mapのクチコミにあった。「藤村は字が下手で安心した!と。
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