第10話 御嶽海の里から須原宿へ

文字数 1,155文字

■日程・行先不定の車中泊の旅 ⑩
3/27日
遅い出発で木曽町の「道の駅三岳」を後にし、南下し上松町に着いた。
「ウエマツ、カミマツ」?なかなか「あげまつ町」とは出てこなかった(笑)

ひなびた宿場町と云うより、どこにでもありそうな田舎の街と思いながら、町並みを歩き出したら、「小結・御嶽海」のポスターを所々に見かけた。そうか「ここが出身地か~」JR中央本線「上松駅」の広場に行ったら、のぼりが何本もたなびいていた。
近くの人に
「今場所は元気がないですね」と声かけたら、
「コロナで、みんなで応援に行けないのが残念」と云って「実家は少し離れたところにある」と教えてくれた。と云っても行く訳ではないが…(笑)

次の須原宿は「水舟の里」と云う看板が入り口に立っていた。
水が豊富なところらしく、道沿いに大木をくりぬいた水桶に清水が流れ込んでいる「舟」が、随所に置かれていた。
この集落は観光"繁盛"してないだけに、昔の旅籠がひっそりとたたずんでいる姿が気にいった。
ごく小さな造り酒屋があった。家はこの村の名主で、酒造りは江戸時代からだと看板には書かれていた。
(後日馬籠で酒が切れて店に飛び込んだら、「木曽のかけはし」と云う銘柄があった。よく見ると須原の西尾酒造製とあった。迷わず買った)

須原には、山門が重要文化財の定勝寺と云う臨済宗妙心寺派の寺があった。
越後は禅宗の多い地域だが、ほとんどは曹洞宗だ。この辺りは臨済宗が多いような気がする。道中どこかにもあった。
臨済宗妙心寺派の本山「妙心寺」は、京都「仁和寺」の南にある。京都学園大学に会議があった際、時間をみてそこを歩いたのだが、仁和寺より広い敷地に沢山の伽藍に目を丸くした思いでがある。
定勝寺も、重要文化財を抱くところをみると、この近辺の拠点寺の一つなのだろう?
境内に達磨大師が目立って祀られていた。中国の達磨大師は、禅宗の始祖の一人と云われるそうだが、越後に数多くある曹洞宗の寺で、私は達磨大師を見かけたことがない。臨済宗と曹洞宗では達磨大師の評価が違うのであろうか?
それとも私の目が節穴だけなのだろうか?
それ以上、私にはわからない(笑)

野尻宿は地味なところだが、ダムが近くにあるせいで岸辺は水量豊富で、珍しく広い堤外地もかかえている。(こう云うところは車中泊の適地にこと欠かない)
越後の川に比べ、木曽川に限らず表日本の川の水量は貧弱だ。やはり川は満々と水をたたえている方が豊かさを覚える。
対岸の右岸に「阿寺温泉」があった。
宿泊を主とした立派な施設だか、そちらはコロナの影響を受けているようだ。
温泉は変哲のないタイル張りの風呂場だが、中身を論ずる前に立ち寄りの湯・日帰り入浴が「ある」ことに感謝したい。料金もワンコインだ。
今夜も気持ちよく眠られる(笑)
おやすみ
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