(二十四)桜

文字数 5,079文字

 夜明け前。着ぐるみマンは音もなく目を覚まし、まだ三上が眠っているのを確かめると、そっと三上の部屋を抜け出し、まだ薄暗い表に出て歩き出した。何処へ向かったかと言うと、最寄りの公衆電話ボックス。中に入って掛けた番号は三桁、一一〇番。
 その頃三上は眠りの中で夢を見ていた。そこは夏の午後の夢の丘公園で、三上はひとりのんびりとベンチに坐っていた。すると突然何か音がして耳を澄ますと、それはオルゴールの音色で、曲はフォローミー。見ると公園の中央に、青い屋根のカルーセルが。フォローミーの旋律と共に、カルーセルが回り出す。ゆっくりゆっくりと回転するカルーセルの古びた木馬の上に、誰かが坐ってこっちを見ていた。それは、着ぐるみマンだった。何してんだよ。三上が叫ぶ。叫ぶと言っても、声なのか文字なのかは定かでない。それには答えず、着ぐるみマンはただにこにこ手を振るばかり。おい、俺も乗せろよ。叫びながら三上が回転するカルーセルに無理矢理乗ろうとすると、三上を拒むように突然カルーセルの回転がくるくるくるくると速度を増した。回転は見る見る速くなり、空気を巻き込み風を切った。それはあたかも巨大なヘリコプターの如く、そしてカルーセルは少しずつ上昇を始めた。どんどん上昇し、遂に地面を離れて大気中に浮上し、回転したまんま空に浮かんだ。着ぐるみマンは上空から三上に手を振り、メモ帳に大きな文字で言葉を記した。
「さようならだな」
 そのメモ用紙は空から降って来た。吃驚した三上は空を見上げながら叫んだ。どこ、行くんだよ。するとまた返事のメモが落ちて来た。
「おいらは、夢の国に帰るだな」
 それから着ぐるみマンは傘を広げた。あの女物のおんぼろ傘。傘がくるくると回った。くるくるくるくる走馬燈のように。オルゴールのフォローミーが大音響で、三上の耳に迫って来る。その時着ぐるみマンは、カルーセルからふわあっと空へ飛び降りた。ところが広げた傘が直ぐにひっくり返って、着ぐるみマンはバランスを失った。
 うわあ、止めろーっ。落っこちるぞーっ。幾ら三上が叫んでも、着ぐるみマンはひっくり返った傘と共に地上へとまっ逆さま。待てよーっ。俺たち、約束したじゃねえかよ、約束……。
 はっとして、三上は目が覚めた。真冬だと言うのに汗びっしょり。急いで隣りを見ると、けれどそこに着ぐるみマンはいなかった。あいつ、何処行きやがった。飛び起きると三上は急いで自室を飛び出し、着ぐるみマンの部屋へ。けれどそこにもいない。しかし部屋の隅に、荷物がそのまんま。それを見て、一先ず三上は安心。じゃ、トイレか風呂か。でもその両方にもいない。あいつ、こんな時間に一体何処行きやがった。かっかしながら、三上は玄関へと向かった。
 そこへ、公衆電話から戻って来た着ぐるみマンが現れ、ふたりは鉢合わせ。ありゃ、しまったと言う顔の着ぐるみマンと、おう、いやがったかと胸を撫で下ろす三上。
「こら、どこ行ってたんだよ。こんな時間に」
 こんな時間と窓の外を見ると、もう夜明け。空に星は消え、夜の闇は朝の陽に融け始めていた。大都会新宿の、それはまだラッシュアワーのノイズに汚される前の、生まれ立ての東京の朝だった。
「雪だるま、作ってただな」
 笑う着ぐるみマンに力が抜けて、何言ってんだよと言うか書いてんだよ、あほか。三上も笑う。ところが笑い終わった後で、着ぐるみマンは神妙な顔。
「それじゃあんちゃん、世話になっただな」
 はあ、何だよ行き成り。吃驚する三上に、着ぐるみマンは続けた。
「ついに時間がきただな。カラータイマーがもうすぐ停止するんだな」
 おい、またかよ。だからてめえはウルトラマンじゃなくて、着ぐるみマンだってえの。怒った顔の三上に、けれど着ぐるみマンは尚も続ける。
「あんちゃん、いい夢を有難うだな。でもおいら、もう夢から覚める時間がきてしまっただな」
 三上はとうとう怒鳴るように、メモ帳に殴り書き。
「だから、さっきから何言ってんだよ」
 ぶるぶると震える三上の文字に頷きながら、着ぐるみマン。
「あんちゃん、もうすぐ夢の国から、おむかえがくるんだな」
 おむかえだと。どきっとする三上。おむかえって、何だよ。死神でも来んのか。三上の脳裏に、夜明け前のカルーセルの夢が甦った。
「おいら、急ぐだな」
「まてよ、どこ行くんだよ」
 尖がる文字。いちいち書くのが、もどかしくて堪んねえ。声に出して叫びたい三上。
「急がないと、あんちゃんに迷惑がかかるだな」
「そんなこた、いいんだよ」
「あんちゃんはこない方がいいだな」
「そんなわけにゃ、いかねえよ」
 部屋に置いた荷物を手に、さっさと表に出てゆく着ぐるみマン。急いでパジャマから服に着替え、三上がその後を追う。着ぐるみマンはバッグの中から傘を取り出し、よっこらしょとふたつのバッグを右手に持つと、左手に傘。
 おんぼろ傘を差しながら、悠々と雪道を歩く着ぐるみマン。その唇には痩せた口笛。吹く曲はお馴染み、テリーのテーマ。エデンの東でないのにほっとしながら三上は、様子を見ようと黙って後を付いてゆく。そんな三上を幾度となく振り返っては、何とも悲しげな表情を浮かべる着ぐるみマン。だけども、俺は尾行するんだぜと。こりゃ丸で、映画フォローミーのシーンだな。そんなことを考える三上。
 積もった雪の融け始めたアスファルトの道を、一歩一歩進んでゆく着ぐるみマン。その先に、夢の丘公園が見えて来る。何だ、もしかしてあいつ、あそこに行くのか。ほっとため息を吐く三上。しかしそれも束の間、公園の前に停まっている一台の車が、三上の視界に入る。
 それは、白と黒のボディ。屋根には赤いサイレン。そしてボディに「警視庁」の三文字。警視庁、何だと。はっとして立ち止まる三上。その顔がさっと青ざめる。
 おむかえって、あれか……。ごくりっと三上は唾を飲み込んだ。車のドアが開いて、中から警官が降りて来る。着ぐるみマンの痩せた口笛がぱたりっと止まり、警官たちは近付いて来る着ぐるみマンに声を掛けた。
『海野保雄さん、ですね』
 着ぐるみマンは、こっくりと頷いた……。

 これは夢だ、悪夢だ、なんかの間違いだと懸命に思おうとしても、無駄なことだと分かっている。何処が夢の国のおむかえなんだよ、なあ一体何処に夢の国なんざあるんだ、教えてくれ誰か。
『ばかやろう』
 俺はやっぱり良い人なんかにゃ戻らねえから。俺はこのまんま、死ぬまで人間の屑でい続けるからな……。
 気付いたら、三上の目からぼろぼろ涙が零れ落ちていた。止め処なく零れ落ち、積もった雪の上に滴り落ちた。
 夢の丘公園の中には、子どもたちが作った無数の雪だるまが並んでいた。けれど今やみんな、朝の陽に融け始めている。きらきらと目映い朝陽の中で、白い白い雪だるまが。ところが涙のせいか或いは緊張、恐怖、それとも絶望からか、三上の視覚は色彩を失い、今三上の目に映る世界はすべてがモノクロ。
 しかし今更思い返せば麻田美樹を失ったあの時からずっと、三上にとって世界はモノクロTVの世界だったではないか。例えればそれは、サイレント映画。サイレント。そういやメモ帳のやり取りって、何だかサイレント映画みてえだったじゃねえか。な、着ぐるみマン。サイレント映画っちいえば、やっぱチャップリンの街の灯、だな。花売りの娘が俺でさ、チャップリンがおめえ。確か娘はチャップリンのお陰で目が見えるようになったんだよな。そいで、俺はってえと。三上の脳裏に、街の灯をふたりして見た土曜日の夜のひと時が鮮やかに甦る。あれはいつのことだったっけ、なあ着ぐるみマン。いっしょにいること自体に意味があるってかい、ほんとうか。おい、答えてくれよ。なあ、そんなやつらを相手になんかしていないでさ。またいっしょにふたりで、なあ、着ぐるみマン……。
 呆然と立ち尽くす三上の頬にひんやりとした風が吹いて、空から何かが落ちて来る。何処から飛んで来たのか、ひらり、ひらりと三上の頭に、肩に落ちて来る。雪。雪だろうと三上は思う。また雪が降って来やがったか。
 三上は手のひらを広げ、それをつかまえてみる。あれっ、でもおかしい。冷たくねえぞ。それに融けてもいかねえ。なんでだ。あれっ、もしかしてこいつは。やっぱ、こいつ雪じゃねえぞ。雪程に純白でなく、いやむしろ白と言うより、あわいピンク……。
 ピンク。
 これは……桜だ。桜の花びらだあ。そう思った瞬間、三上の視界に色彩が甦る。三上の前に再び世界が、色鮮やかな極彩色の世界となって現れる。いつしか三上の唇に、痩せた口笛。奏でるはエデンの東ではなく、テリーのテーマ。着ぐるみマン、聴こえるかい。俺の痩せた口笛が、なあ、着ぐるみマン……。
「ねえ、着ぐるみマンさん。教えて下さい。ここは地獄ですか、それとも天国ですか。ねえ、渡辺さん」
「そんなこた知らねだな。おいらにわかるのは、あんちゃんが仏様だってことだけだな」
 そんな顔して、ふたりの警官に両腕をつかまえられた着ぐるみマンが、三上に向かって微笑んでいる気がした。いつまでも微笑んでいてくれる、そんな気がした。
 三上の痩せた口笛に負けじと、着ぐるみマンも再び痩せた口笛。警官に注意されても止めない着ぐるみマン。ふたりの痩せた口笛に乗って桜が舞い踊り、やがて踊り疲れた桜の花はそして雪の地面にひらひらと舞い落ちた。あっ、つうめたい、と吃驚したように、ぶるぶるぶるっと震えながら。なぜなら、まだまだ寒い二月の下旬。
 三上はようやく歩き出し、パトカーの前へ。今まさに着ぐるみマンがパトカーに乗せられようとする刹那、三上は警官に懇願する。
『少しだけ、話をさせてもらえませんか』
『良し、少しだけだぞ』
 警官の許可を得て、ふたりはいつものようにメモ帳でやり取りをする。
「渡辺さん、また戻ってきて下さい」
 その文字に、着ぐるみマンは悟る。三上が以前の三上に戻ったことを。
「あんちゃん、おいら渡辺じゃないだな。おいらは、着ぐるみマン。でも良い人のあんちゃんに戻って、よかっただな」
 三上は照れ臭そうに苦笑い。
「そうでしたね、着ぐるみマンさん。面会行きますから、百合さんとふたりで」
「だから、百合さんじゃないだな、もう。呼びすてでいいだな、百合って。まったく、ほんとあんちゃんは根っからの良い人なんだから、しかたないだな」
「すいません、そうでしたね。でもやっぱりぼくは良い人なんかじゃありません。だって渡辺さんすら、助けてあげられないんですから」
「何いってるだな、あんちゃん」
「だからぼくはこれからも、人間のくずでいくつもりです」
「ま、それもひとつの生き方だな」
「でも困ってる人は、手助けするつもりですから」
「それじゃ、あんちゃん、立派な人間のくずにはなれないだな」
 ふたりはしばし笑い合う。
「それじゃ、お元気で」
「あんちゃんもだな」
 三上とのメモ帳でのやり取りが終わると、着ぐるみマンはメモ帳を大事にお腹のポケットにしまった。それから痩せた口笛でテリーのテーマを吹きながら、颯爽とパトカーの中へ。着ぐるみマンは三上に手を振りながら、パトカーと共に桜舞う雪道を去っていった。
 三上はその足で公衆電話へ。相手は百合。今すぐ百合の声が聴きたい、どうしても百合に連絡しなければ。受話器を上げ硬貨を投入し、百合の家の番号を押す。ツルルルッ。百合の応答を待ちながら、けれど、あっ……。
 ガチャン。
 慌てて受話器を下ろす三上。しまった、そうだった。メモ帳じゃなきゃ、あいつ、駄目だったんだ。またやってしまったと、三上はひとり苦笑い。
 その頃百合は、最初のコールで受話器を取っていた。あれっ誰だろう、こんな朝早く。間違い電話かしら。けれどそこは以心伝心。はっと百合は、もしかして三上さんではないかと感じた。胸騒ぎ。何かあったのかしら。そう思ったらもう、居ても立っても居られない。
『お母さん、ちょっと出掛けて来る』
 家を飛び出すと、通り掛かったタクシーを止め、飛び乗っていた。
 三上のアパートへ直行。けれど不在。あら、勘違いかしら。どうしようかと迷っているところへ、背中丸め、とぼとぼと三上が戻って来る。
 あっ。互いに見詰め合うふたり。三上の目に、じわあっと涙が……。行き成り走り出した三上は百合の前に来ると、そのまま思い切り、がばあっと百合を抱き締めた。
 驚いた百合。けれど三上の涙に気付いて、黙って抱き締められるままに任せた。何処からか桜の花が飛んで来て、ひらひらとふたりの肩にそっと舞い落ちた。
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