1-17:思いがけぬ妨害者
文字数 4,979文字
部屋に戻されたリオとユケイは計画の話を進めていた。
これまでの日々で施設の構造については必要十分把握できている。
やはり出口は研究棟一階の正面玄関をおいて他にない。Aクラスのカードキーは誰が持っているのか知っている。首輪を外す方法もわかった。
脱出の条件は揃ったとして、ユケイは作戦を決行する気満々だ。
しかしリオには懸念が浮かんだ。
不審な動きをした時点で隔離壁とやらが降り、正面玄関がより堅固に封鎖されてしまうのではないかと。
リオは脱出の機会として、正面玄関を開けざるを得ない事態が必要だとした。毒でも撒いて換気を促すのはどうか。その毒を特定するのはこれからである。
そう返すと、ユケイは超絶うんざりしていた。気持ちはわかるが、勢いで突破できるほど甘くはないと思っている。しかし長居も禁物だ。
なにかいい方法はないかと考えながら、リオは複雑な気分を覚えていた。
研究所に捕われて、かれこれ十年は経っているのに、最近になって知ったことが多すぎる。なぜ今の今まで何もしてこなかったのか。
全ては首輪のせいだと思えた。
そこへ機会が訪れたのだ。
ユケイとの出会い。因縁の相手との邂逅。止まっていた時間がようやく動き出そうとしているのに、ここにきて、脱出を願う気持ちのなかに一筋の拒否が存在していることに気付いた。それがリオを慎重たらしめていることも。理由を自分に問うも、答えは霞んではっきりとしない。
燻るものを振り払い、リオは計画に集中した。
案が浮かばず唸っていると、ぬいぐるみが視界を遮った。
「そういえばさー、イルディシミカって何のこと?」
思いがけぬ質問にリオはあたふたと。
「あー……オレ達の総称だよ。竜族っていうのは人間が勝手につけた呼び方でね。本来、オレ達は自分のことをイルディシミカって呼んでる。竜の姿の時はイルディス、この姿の時はシミカ。二つの姿を行き来する者、イルディシミカ」
「へー、初めて聞いた! なんかカッコイイね! まぁオレは違うけどね。でさぁ、あっちの世界とかこっちの世界とか言ってたのは何だったの? おにーさんは何であの竜族達に怒られちゃったのー?」
「それは……んー……」
リオはふと心配になった。
あの後、奴等はロゴドランデス族についてどこまで博士に話しただろう。ユケイが悪用されないよう、明かすべきではない事もあるのだが。
「……異世界の話さ。
「ちょっと興味あるけど、行かない。オレはシバと一緒がいい!」
「そっかー……。ところで、
「ほーん。なになに?」
「ハゲ猿。ははは……イブキさんには言えないな……」
小さなくしゃみをして、ずれた眼鏡をピシッと戻す。
イブキは監視カメラの映像が集まるモニター室にて、リオの様子を見守っていた。
親睦を深めたのか、リオとユケイはよく長話をしている。そこへ食事の配給がきて会話を中断させたようだ。
音声を拾わない安物カメラが憎い。イブキはリオの声が聞きたかった。会えなくなって久しいだけで、無意識にもリオの姿を求めてしまう。
管轄から外されてしまったが、なんとかして関わる機会を得られないものか。
考えを巡らせながらモニター室を出ると、誰かとのすれ違い際に呼びとめられた。
それはモニター室に務めている二人の女性職員だった。
「あっイブキさーん、竜族との恋愛は禁止でーす」
内心ドキとして、イブキは冷静に応えた。
「勘違いしないで下さい。あくまで研究の一環ですから」
「でも何となく分かります。だってあれ結構イケメンですよね。私の後輩も推してました」
「ねーほんとスタイルもいいし、人間だったら絶対モデルになれそうー」
「……ええ……(そう、そうなのよ。リオはかっこいい。最高よ……。どうしてリオは竜族で、私は人間なのかしら……)……はぁぁ……」
盛大なため息を残してゆくイブキを、二人の職員は首を傾げて見送った。
さらに物陰から、ヒロがねっとりと見詰めていた。
翌朝。
リオは嫌な気配に起こされた。
窓に目をやると興奮気味の博士がへばりついていた。
『やぁ! 昨日は色々と興味深い話が聞けたんだよ! なんでもユケイ君はロゴドランデスと呼ばれる種族で、並大抵のことでは死なない……死ねないくらい丈夫なんだってね!? しかもその唾液には強力な殺菌力とあらゆる毒に対する解毒作用があるんだってー!?』
「あいつら……」
恐れていた事が起こってしまった。
しかし知られるきっかけを作ったのは自分だとして、リオは口ごもった。
ユケイも目を覚ましたが、博士を見るなり毛布のなかに隠れてしまった。
『それが本当なら万病に効く薬が作れるってことだろう!? あぁ~なんてこったい! 私も竜王の所業が気にくわないよ。だってこんなに素晴らしい素材を根絶やしにしてしまったというではないかーっ!』
リオは目を見開き、ラダリェオの安否を想った。
『さしずめユケイ君は生き残りといったところかな。まったく勿体ない話だよ! でも安心してくれ。竜族の人工受精もクローンも既に実現しているんだ。成長促進剤だってある。ユケイ君の種族はこちらの世界で、我々が取り戻してあげるからねぇ~』
「いい加減にしろ、まだ子供だぞ。それもアンタらが思ってるよりずっと幼い」
『子供とか大人とかねぇ、関係ないんだよ。我々にとってキミ達はモルモットに変わりないのだから』
「もうやだぁぁ~~……オレ竜族じゃないのにぃ~~……」
怖がるユケイを楽しむように、博士はさらに窓へと迫る。
『あぁそうだ! リオ君のことも聞いたよ。ヨークラート族……あちらでは七大種族と呼ばれる、大変希少な古代種らしいね。なんでそんな大事なこと、もっと早く教えてくれなかったの! 私はキミのことを、処分したくてしたくてたまらなかったんだよーーッ!!!?』
興奮しすぎて苦しくなったのか、博士は窓枠の下に消えた。再び
『……そんな珍しいキミは、七階の部屋に移ってもらうよ。世界の分け目に関する調査に協力してもらいたいんだ。そしたら今より少しはマシな待遇にしてあげるよ。帰る方法もわかるだろうし、断る理由もないだろう?
……さあてその為にも、ユケイ君には私に忠実になってもらわないといけないな。本日は昨日の続きをしよう。プレス機がいいかな、引き伸ばし機もあるよ。何を使おうか悩んでいるんだ! ここには何でもあるからねぇ~!!』
博士の邪悪な微笑みが、窓にベタァと張りついた。
毛布のなかで泣きだしてしまったユケイを、リオは強く抱きしめた。
もう駄目だ。これ以上は機会を窺っていられない。
ユケイの案を強行するしかないのか ―― !
「博士、お忙しいところすみません。……少々問題が」
そこへ一人の職員が現れ、博士に外を見るよう促した。
ヒエイ博士はそこで厄介な光景を目の当たりにするのだった。
朝礼を終えた職員達は、いまだ止まない外の騒ぎを耳障りにしていた。
各階にて窓辺に集い、誰もが眉間にシワを寄せる。
イブキもその様子を眺めていた。
騒音の正体は竜族の愛護団体。目がくらむ程の大勢が研究所を囲うフェンスに張りつき、『竜族は主人に従っただけ』『竜族に罪はない』『一番の被害者は竜族だ』などのプラカードを掲げているのだ。
火の国では海軍が三大海賊団を追い、半壊となって戻ったニュースが連日のように報じられていた。猛威を振るった竜族の子供を捕らえ、殺処分にしたという部分に反発して押し寄せたのだろう。
中にはメディアの関係者もいて、職員達は誰が対応するのかと狼狽えていた。
そして口々に愛護団体を嫌悪する。
「竜族は危険生物の類に入る動物だぞ? たかが動物の殺処分なのに、見た目が似ているからって人間と区別ができないなんて、困った連中だね」
「あんなこと言って、任務で亡くなった方達に失礼だとは思わないのかな。どうせ奴等の身内は死んでないから関係ないんだろう。人間より竜族様の方が大事ってか?」
「ああいう偽善者共には反吐がでるよ。普段の暮らしが竜族の脅威から守られてるのは、こういう研究機関のおかげなんだぞ。田舎とかで人が竜に襲われる問題はどうでもいいのか?」
誰もが不快に思うなか、イブキは団体の主張を静かに聞いていた。
彼らの要求は極端ではあるが、言わんとしていることはわかる。竜族に対する倫理が守られていないのは事実。理不尽な殺処分だけではない。ここには無意味な虐待もある。残酷な実験もある。そこに竜族は人間を襲うからという弁解があってはならないはずだ。
復讐のための研究ではないのだから。
人々が竜族を恐れるのは、その生態や能力に未知が多いから。しかし未知が科学的な理解に変われば恐れという壁は払拭され、人と竜は共に文明を築いてゆけるだろう。それが真に実現した時、火の国はより先進的になれる。これが火の国の国章の由来であり、これこそが研究所の本来の理念であったはずだ。
竜族は研究に協力し、その代わり人間は衣食住と生命の安全を保証する。入社する前は、そういう関係のもとに仕事ができると思っていたのに ―― 。
『おっせーんだよバカ! ずっと待ってたんだぞ! 何でなんだよ! 何であんなヤツの言いなりなんだよ!! おにーさんのこと大事じゃないのかよ!!!?』
赤い少年に言われた言葉が、未だに胸に刺さっている。
「もはや新興宗教に似たものがあるよなぁ。きっと誰かが儲かってるんだ。そのうち竜族との結婚を認めろとか言い出したら面白いな」
しかし、現実の壁は理念だけでは越えられない複雑な構想で聳え立っているのだ。いくら疑念を抱いたとして、この集団のなかで一体なにができるというのか。
イブキはひとり無力を噛みしめ、研究室を後にした。
ヒエイ博士は研究棟の応接室にて、終日対応に追われることとなった。
とある職員が業務妨害だとして警察を呼ぶことを提案したが、博士はそれを頑なに拒んだ。下手に警察を関与させてユケイの存在に気付かれる方が問題だった。
研究に連れられる時間となっても、迎えがこないまま一日が過ぎてゆく。
ユケイとリオは研究所に何かが起こったと察したが、食事を持ってくる者は何も教えてくれないのだった。
愛護団体の追求は収まらず、団体のリーダーたる女性とヒエイ博士の会見がテレビで報じられるまでとなった。竜族への倫理的扱いをめぐる論争は賛否両論を呼んで視聴率が高く、メディアにとっても美味しい話題となった。
愛護団体は今回の件で竜族についての考えを発信する機会を得られたが、ヒエイ博士はメディアに追われてユケイの研究にとりかかる時間を失っていた。
処分方法の残酷性も指摘され、適切であったと反論することで証拠の提示を求められてしまった。そこまでする義務はないとして拒否すると、何かを隠しているのではないかという世論が愛護団体の追い風となった。
やむなく提供した映像は無音モザイク入りで放送されたが、とある男がこれを刑務所の食堂で目にして、虚偽だと騒いでいるらしい。その男とは、ネヴァサの一員として逮捕されたカロムという人物である。
囚人の言葉に耳を傾けたのは、当時の現場に関わった軍人達だった。実際の目撃者達がこぞって違和感を覚えていることは、単なる偶然では済まされなかった。
疑惑が疑惑を生み、捻じれて広まり、世間が研究所を疑う声は増すばかりだった。
遂に竜族の研究所に政府の調査機関が立ち入ることとなった。
これは状況を見かねた政府から研究所への助け船でもある。表向きは抜き打ち調査として演じるが、研究所は日程の予告を受けており、数日前から対策にあたっていた。
この機会で違犯がない事を証明し、愛護に関する疑惑騒動を終わらせる目論みだ。
ヒエイ博士は職員達を巧みに使って万全なとり繕いを用意した。
あとは調査の間だけ問題の竜族を隠しておくだけである。
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