第19話 夢の跡

文字数 3,265文字

「待って、キウラさん。そんなことをしたら、あなたがただでは済まない」
 牢から出た私は、すがるように彼女に訴えた。本部の命令を無視して私を逃し、そのうえでしれっと褒美をもらいに行くなんて、どう考えても自殺行為だ。
「あなたが勝手に逃げたことにします。大丈夫ですよ。彼等に私を抹殺することはできません。私の嫌がらせの才能は、まだ利用価値があるはずです」
「いっそ、キウラさんも組織を辞めちゃえば。私と一緒に逃げようよ」
 私はキウラさんをとどめようと、無意識に彼女の手を握っていた。このまま永遠に手の届かないところに行ってしまうような気がしたから。怖かった。これが彼女と話す最後の時間になってしまうことが。だって、フラグがビンビンに立っているのだもの。その透きとおるほど青ざめた顔色も、燃えるような瞳も、彼女のただならぬ決意を表している。鈍い私でも、痛いほどに感じるんだ。彼女は何かを……命を賭した何かを、企んでいるのだと。
「そういうわけにはいきません。私はまだやりたいことがあるのです。それをせずに逃げることはできません」
「でも……」
「そんなに心配しないでください」こちらがますます心配になるような穏やかな口調で言って、彼女は私の手をとった。「これを、あなたにたくします」
 手にのせられた物に視線を落とすと、それは手のひらサイズの小さな瓢箪だった。
「私たちのてんとう虫が、その中に入っています」
 てんとう虫……。今まで私たちが標的から奪ってきた、幸福の象徴。そして組織中枢が私たちからも奪おうとしたもの。まだここにあったのか。
「そのてんとう虫は特殊なてんとう虫なので、そのまま七匹瓢箪に入れっぱなしで大丈夫ですよ。餌もいりません。じゃあ、私は行きます」
「待って。私も行く」
「ダメです。あなたが来たら即処罰されてしまう。私はあなたに生き延びてほしいのです」
「どうして……」私は鼻をすすりながらキウラさんに縋りつく。彼女を逃すまいとその腕にしがみつき、額を押し付けながら「どうして、私に優しくしてくれるの。キウラさんは、そういうの嫌いでしょ」
 キウラさんはしばらく鬱陶しく絡みつく私のなすがままになっていたが、やがて遠慮がちに答えた。
「あなたは……私にとってはじめてできた、友達だから」
 友達……。キウラさんの口からそんなセリフが飛び出してきたことに驚いて、私は弾かれたように顔をあげた。
 キウラさんはホッと表情から力を抜いて、優しい笑みを浮かべた。普段は決して見せないような、普通の女の人の、普通の笑み。その笑みに私は見惚れた。ああ、この人は、普通にしていれば本来こんなにも美しく魅力的なのか。
「それじゃあ、私はこれで。真子さんもお元気で」
 そう言い残して、キウラさんは私に背を向けた。さらりと揺れたその髪が、光の粒を散らす。窓から差し込む幾本もの光の幕をくぐりながら、彼女の後ろ姿が遠ざかっていく。
 それを私は、呆けたようにいつまでも見送っていた。

 髑髏十字の監獄を脱した私は、しばらくあてもなく近所の住宅街を徘徊した。自由の身になっても行くあてはなかった。支部に行けばまた捕まるかもしれないし、無頼亭を覗いてみる気にもなれない。作戦を邪魔した私には、かつての仲間に合わせる顔がなかったから。モヒカンの世紀末男やブラックシスターズが私との再会を笑顔で喜んでくれる光景は、まったく想像できなかった。こうなってみると、いかに自分がひとりぼっちであるのかを思い知らずにはおれない。
 頭上から注ぐさざめきに誘われ、私は立ち止まって周囲を見渡した。静かだ。郊外とはいえ東京であるのに、私のほかに道を歩いている者がいない。物憂い陽光のみが散る、人気のない昼下りの街路は、私にはおあつらえ向きの居場所に思える。お前はそうやって、ひとりであてどなく歩き続けているがいい。まるでそう、神様からも言われているようだ。意地悪な神様。大嫌いな神様。私はその神様の思惑から逃れるように、また静かな道に足を踏み出した。

 私が星乃雑貨店に到着したときには、時刻はすでに夕方に差し掛かっていた。決心をつけるのに時間がかかったからと、少し道にも迷ったからだ。自分の優柔不断っぷりと方向音痴をいかんなく発揮しながらも、心折ることなく陽のあるうちに目的地に到着できたのは、奇跡というか運命というか。
 私が星乃雑貨店を訪れたのは、もちろん、今さらここに居場所を欲したからではない。ただ、確かめたかった。あの日の……私がやらかしたことの結末を。みんな捕まったあとの、あの人たちの夢のなれの果てを。確かめてどうしたかったのかはわからない。ただ、私がここで過ごしたわずかな時間を思い出した時、気になったのだ。何かがここにあったような気がする。海岸の砂利に紛れた宝玉のように、棚や陳列台にごちゃごちゃと飾られた雑貨に紛れて。貴重なものが、何か。
 そんな特別な感じは一切漂わせず、星乃雑貨店のモルタルの建物はみかん色の陽を浴びて、今日も窮屈そうにビルとビルの間にたたずんでいた。店名の入ったガラス戸は閉まっているけど、小さな灯りがともっている。誰かいるのだろうか。
 ガラス戸に手をかけて引くと、それは抵抗なく開いた。店内に足を踏み入れる。静かだ。私のほかに客はいない。店員も。呼びかけてくる人のいない薄暗い店内に、窓辺の簾を通して差し込む光だけがにぎやかに、青や緑の透明な色彩を散らしていた。
「もしもーし」
 呼びかけてみるも当然返事はない。かまわず私は店の中へと進んでいく。
 店の中はあの日と何も変わらない。種々雑多なアイテムが、陳列棚や壁を所狭しと占拠している。真鍮製の猫の置物。ガラス製の用途不明の小瓶。南の島の儀式で使われていそうな木彫りのお面。コケシみたいな人形……。
 雑貨に埋もれるように鎮座する木製のカウンターの前を通ったときだった。
「むぐ……。お客さんか」
 カウンター上のウサギの置物がしょぼくれた声を発したので、私は危うく悲鳴を上げそうになった。続いて無人と思っていたカウンターの向こうにヒョイと恵比寿様が姿を表したものだから、喉に押し込めかけた悲鳴は「ウヒョウ!」という世にも情けない声となって漏れ出てしまった。
「これは失礼。あまりに暇なので寝てしまった。どうぞ、ごゆっくり」
 そう猫なで声をかけてくれた彼は、もちろん私の知らない人だ。だが、まごうことなきこの店の店員。私は以前二階堂さんから教えてもらった、星乃雑貨店のメンバーを思い出してみる。南条君、恵子、二階堂さん、梨々香、そして店長。その中で私がまだあったことのない人はただひとり。ということは、目の前にいる人物はひょっとして……。
「店長……」
 思わずそうこぼすと、恵比須顔のそのおじさんは私をしげしげと見て目をぱちくりさせた。
「いかにも。私が店長だが。……あなたは?」
「失礼しました。私、南条君の幼馴染で、先日この店の仲間に入れてもらったのです」
 いったん口を閉じてから、よせばいいのに付け加えた。
「……以前は髑髏十字にいました」
 そんなこと知ったなら、この店長は怒って私を罵るだろうか。それとも訥々と説教をたれるだろうか。それでもかまわないと思った。何を言われてもいい。なんとなく懺悔をするような心持ちだった。この静かな店内と、簾を通して射し込むステンドグラスみたいな光と、店長の柔らかい雰囲気と先日見た風景が、私をそんな気分にさせたのだ。
 店長は怒ることはなかった。その恵比寿顔を崩すことなく、しばらく遠くを見るように目を細め、むしろにこやかに言った。
「そうか。あそこにいたのか。安寿は、元気だったかい?」
 予想した悪口も戒めの言葉も出てこず、また知らないキャラの名が相手から発せられたものだから、私は困惑して目をしばたたかせた。安寿? 誰だそれは。
「君は会わなかったかな」
 はにかむような表情になった店長は、次にとんでもないことを言い放った。
「彼女は髑髏十字の総帥をやっているんだ。安寿は、私の娘だった」
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