第1話 哀しき同窓会

文字数 4,672文字

 私は飲み会やパーティーといったものが嫌いである。理由は簡単。そんなところに行っても、話し相手がいないから。仲間同士集まってワイワイガヤガヤと楽しそうに盛り上がっている紳士淑女を横目に、ぽつんとひとりで酒を舐めている時間は、地獄としか言いようがない。
 なぜ一人でいる必要があるのかって? 一人が嫌なら仲間をつくってお前もワイワイガヤガヤすればいいではないかって? どうかそんな無理難題をふっかけて私を困らせないでほしい。そんな器用なことができるのなら、きっと私はこんな歪んだ性格にはならなかったことだろう。いや、歪んだ性格だからこそ仲間なんかできなかったのかもしれない。今となってはどちらが先かはわからない。
 私は人と馴れ合って和気あいあいとするのが、何よりも苦手なのだ。女として生まれたからには(男でもそうだろうが)、そういった社交性は世をわたってゆくのに重要なスキルなのだろうが、私にはそれが決定的に欠如していた。人に媚びを売ったり、うまいこと異性や同性の先輩上司に取り入ることができない。人間関係を構築することができない。それをうまくやってのける者たちを見ていると、虫唾が走り、自分はああなってなるものかと、ますます己の孤独に拍車をかけた。
 おかげさまで孤高の乙女を貫き通して今年で二十と八年。もはや他人の嘲笑など子猫のくしゃみほどにも感じぬほどの境地に達した。そのような者たちなど私にとっては路傍の石に過ぎない。私のほうこそ彼らからすれば路傍の石なのでは、という疑念は胸のうちにしまっておこう。
 そんな私が今、同窓会などという、およそ吸血鬼にとっての日中の繁華街に等しい場所に身をおいているのには、理由がある。
 それは、ある人物が来ているからだ。
 私は苦いワインをひとり舐めながら、なるべく光の届かない隅の席から、紳士淑女でにぎわう広間中央をうかがった。
 その人は私の幼馴染であり、同学年屈指の秀才であり、かつ出世頭。おまけに顔よし性格よしでおよそ非の打ちどころのない好男子。もちろん女子連中からモテモテなのは言うまでもない。本来ならば私がもっとも苦手とするタイプの男の人なのだが、この人は違った。どういうわけか小さいころからこの私に優しくしてくれる唯一の人間だったのだ。なぜかはわからない。ひょっとしたら、優しいわけではなく普通に接しているだけだったのかもしれない。誰にでも優しいだけなのかもしれない。しかし、普通に接せられるだけでも、擦れ切った私の心に潤いの一滴を与えるのに十分であった。しかも己をもてはやし媚を売る異性たちを歯牙にもかけないその硬骨漢ぶりもあいまって、私は彼を意識せざるを得なかった。
 要は、惚れていたのである。


「あらー。阿久津さんじゃない。めずらしいわね」
 いきなり声をかけられたので、喉を通ろうとしていたワインが少し気管支に入りそうになって、思いっきりむせた。
 咳き込む私の顔を、赤いドレスを着た女が無遠慮に覗き込む。失礼なやつ。っていうか、私の存在に気づくとは、只者ではないな。……などと思って見返すも、見覚えのない女だった。よく考えればわからないのは当然だ。十年ぶりに会う面々なのだから。しかも高校生当時ですらクラスメイトの顔なんぞよく認識していなかったのに、今、厚い化粧に覆われた顔を識別できるわけがない。
 こいつ、誰だっけ。という疑問は表情にださず、精一杯の愛想笑いを顔に貼り付けて私は彼女に返事をする。
「ひ、久しぶりー。よく私がわかったね」
「そりゃあ、もう」
 女は意地悪そうに口の端を歪める。
「だってさー。阿久津さんってさ、いっつも教室の隅でひとりでうつむいて本読んでたじゃん。分厚い黒縁メガネかけて、死神みたいな憂鬱そうな顔してさ。あの時と全然変わんないんだもん。すぐに分かったわー」
 そしてあざけるようにケタケタと笑った。
 こいつ。喧嘩売ってんのか。
 電気ケトルもかくやというスピードで頭が沸騰しかけた私だが、黒縁メガネに指を当ててなんとかそれを押し留めた。
 気にするな、阿久津真子よ。この程度の侮辱は今まで幾度もかわしてきたではないか。それにこいつは今酔っ払っている。ここは適当にあしらって追い返すのが大人の対応というものだろう。
「ちょっと、飲みすぎちゃったみたいね。ほら。あちらでお仲間が……」
「ところで、どうしてさー。今頃阿久津さんが来るわけー。ひょっとして、あれ? 南条君が来るから?」
 私は思わず言葉を飲み込んで彼女を見返す。意表を突かれて一瞬頭が真っ白になってしまった。この女……なぜ、それを知っている。私の密やかな想いを。私の顔にかいてあるのか。いやいや、そんなはずはない。彼に想いを寄せているなんて、誰にも悟られぬよう、高校の三年間慎重に身を処してきたはずなのだ。でもそれってひょっとして自分でそう思っていただけで、みんなには筒抜けだったのだろうか。自分では誰にも知られていないつもりでその実、発情した牝猫のごときフェロモンを駄々漏れにしていたのだろうか。もしそうだとしたら、私はなんという恥さらしを……。
 羞恥にむせかえる私の表情はさぞかし面白かったのだろう。彼女はまたケタケタと笑いながら、酒くさい息を吹きかけてきた。
「ざーんねーん。彼、もうすぐ結婚するんだよ。ほらほら、恵子と。彼女だったら納得だよねー」
 そして私の顔をまたねめつけるように覗き込んでから、ようやく満足したようにその場をあとにした。
「あ。そうそう」
 とっとと去ればいいのに、女はまた振り返って、ご丁寧にも捨て台詞をはいた。
「阿久津さん。あんた、自殺したって噂たてられてたよ。うけるよねー、そのホントっぽい冗談」


 女の去ったあとの私の周囲は静かであった。会場内のざわめきが、まるで砂浜で聴く潮騒のように感じられた。私一人砂浜に座っていて、他人事のように遠い海を見つめている。そういえば、私の故郷の小さな港町は、いつもどこかから海のうねる音が、塩の香りとともに流れてきたものだった。高校三年まで住んでいた街。私はあの街が懐かしく、しかし憎かった。
 もう、帰ろう。
 私はバッグを肩にかけて席をたった。やはりくるんじゃなかった。バカな私。傷つくことなんてわかっていたのに。何を期待していたのか。
 私が席をたっても、会場の出口に手をかけても、もはや言葉をかけてくる人はいなかった。ひょっとしたら南条君が……などと思わなかったと言えば嘘になる。だけどそれは一瞬だけだ。私はほんの少しだけ足をとめてから、振り返らず、毅然として誇り高き撤退を敢行した。けっしてあの女に色々言われておめおめ逃げるのではない。これは戦略的撤退。彼らが私を捨てるんじゃない。私が彼らを捨てるのだ。
 扉を開き、会場の外に出ると、そこには一台のワゴンがおかれてあった。そしてどういうわけか、それを運ぶはずのスタッフの姿がない。トイレにでも行っているのか。そのワゴンには、シャンパンのつがれたグラスがところ狭しと並べられていた。このあと誰かさんの結婚を祝って乾杯でもするのだろう。グラスたちはロビーの照明の光をうけて燦然と輝き、黄金色の液体のなかで細かい気泡が楽しげにゆれている。扉の向こうから楽しそうな笑い声が漏れ聞こえる。
 ふと、私は言い知れぬ怒りにかられた。
 このまま私だけ、ただただこけにされて帰るのは、いかにもつまらない。なんで、私にあんなに悔しい想いをさせたやつが笑っているんだ。
 私はおもむろにショルダーバッグに手をさしこんだ。取り出したるは十包ほどの薬の小袋。私が常用している、激まずの漢方薬だ。そのまずさたるや、筆舌に尽くしがたし。口にした者の十人に八人は顔を青くして悶絶した挙げ句に吐き出し、残りの二人は悶絶したままぶっ倒れるという代物だ。なぜこんなものが売り物になっているのかわからない。なぜ私はぶっ倒れずにすんでるのかも。ごく一部の人間には効果があるのだろう。少なくとも私の家族全員はだめだった。
 ……とにかく、私はキョロキョロと不審者感満載で周囲を見渡し、誰もいないのを確認してから、その激まず漢方薬の袋を切ってシャンパンのグラスの一つに注ぎ入れてやった。注ぎ終わってから、つづけて残りの袋の封も切る。ひとつだけじゃ物足りないしつまらない。持ってる十包全部使って、十杯の真子さま特性シャンパンを作ってやる。特別大サービスだ。会場の同窓生諸君よ、感謝するがよい。
 扉がきしむ音がして、部屋から誰かがひょいと顔を出す。
「あれ? そんなとこでどうしたの」
「い、いや、その。ちょっと具合が悪いから、先に帰るね」
 ぴょんと飛び上がりながらワゴンから離れた私は、彼から顔を背けつつその場をあとにした。廊下への角を曲がったところですかさず壁に背を張り付けて様子をうかがう。広間から出てきた男と、トイレから戻ってきたらしい会場のスタッフが、一緒にシャンパンのワゴンを扉の向こうに運びいれているところだった。
 私は下の階への階段を降りながら、これからあの会場を襲うであろう阿鼻叫喚の地獄絵図を想像して、ひとり至福の気分にひたった。私をバカにしたあの女。得意気な恵子とその取り巻きたち。私を自殺したことにして楽しそうに飲み食いしているやつら。彼らが高々とグラスをあげ、なんの疑いもなくあの液体を口にいれる。そのあと、あいつらはいったいどんな顔をするだろう。それまでの笑顔が一変、苦しみに目を剥いてのたうち回るんだ。ククク……。愉快愉快。笑いが止まらねえ。ざまあみろ。


 その日、私は二つのミスを犯した。
 ひとつは会場の外であの男に顔を見られてしまったこと。そしてもうひとつは余裕をかましてトイレなんぞに寄ってしまったことだ。会場は大きなホテルで、そう簡単に見つかるわけがないとたかをくくっていたし、そして心のどこかで大騒ぎするやつらの無様な姿を遠目に眺めてみたいという誘惑もあった。しかし私はほどなくそれを後悔する。
 一階エントランスに悠々と降り立った私はそこに展開されている光景を目の当たりにし、即座に我が身に迫る危険を感じて柱の陰に身を隠した。そこにはあの同窓会場にいたメンバーが、何人もたむろしていたのだ。呑気に憩うているのではない。逃げ出した殺人犯を追跡する警察のごとく、血眼になって誰かを探している。ターゲットはもちろん私だ。
「くっそ。どこ行ったあのクソ女」
「みつけたらただじゃおかねえ」
 血に飢えた狼のような彼等の形相を見て、私は恐怖に打ち震えた。このまま奴らに捕まったらただではすまない。皆の嘲笑を浴びせられながらホテル内を引き回された挙句、打ち首獄門。さらされた骸は憐れ新宿に巣食うネズミたちの餌になってしまうことだろう。
 逃げなければ。今さら慌てて右往左往するも、出口はすでにふさがれている。こうしているうちにも背広姿の屈強なハンターたちはこちらに近づいてくる。見つかるのは時間の問題だ。進退窮まったり。私の人生もこれまでか。
 ……と、思ったその時だった。
 突然私の腕が何者かにつかまれ、近くにあったランドリールームに連れ込まれた。
 悲鳴を上げる暇もない。何が起こったのか理解できないままの私の耳に、楽しそうな甘い声が流れ込んできた。
「あなた。なかなかやりますね。見どころのある方です」
 振り返るとそこには若い女の人がいた。あの会場にはなかった顔だ。真っ白な肌の、赤い目と髪をした女の人。
「助けてあげましょう。ついてきてください」
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