第23話 父娘の再会

文字数 3,811文字

 香久さんの号令に、髑髏十字の組織員たちはざわつきながらも従った。彼らの中には先代当主である香久さんの顔を見知っている人も多いようだ。しかも高遠さんが人質にとられて「皆のもの、いうことをきけい」と言うものだから、手を出してくるものは誰もいなかった。
 モーゼの祈りの前に海がわかれたごとく、玄関ホールに道ができる。私はバラ鞭を、鈴木さんは棘付きナックルをつけた拳を構えて戦闘に備えていたが、その必要はなさそうだ。若干拍子抜けしながらも、我々は悠々と黒衣の人垣の間を通りぬける。
「安寿は今、どこにいる?」
「お……大広間にいます。しかし今はお客人と……」
「かまわん。案内してもらうぞ」
 香久さんの有無を言わせぬ態度に、高遠さんもあきらめたようにうなずいた。
「あと、おかしなマネはしないでね。そしたらこれで首を絞めるから」
 念のために私がバラ鞭で彼の頬をつついてやると、高遠さんは顔を青ざめさせた。私のことを毛虫を見るような目で見たことはこれで勘弁してやるとしよう。さあ、あとは無事このまま大広間まで行くだけだ。

 我々は順調に大広間への行進をつづけた。高遠さんを先頭に進む私たちの前に誰もが道を開けていく。はたから見れば案内されているように見えるが、もちろん老執事の背中には我々三人から刃を突きつけられていることは言うまでもない。
 途中、中庭に面する区域にさしかかったところで、香久さんが足を止めた。
 相変わらず広い庭だ。あの時と同じように、草花が生い茂り、小川が流れ、注ぐ陽光にキラキラと白い光の粒がまたたいている。庭の中ほどにたっている大きな木の枝に、今日も綺麗な花が咲き乱れる。ただ、この前よりも、その花の数は明らかに多いようだ。木全体が白く覆われているようになっていて、美しくも少し不気味な雰囲気を醸し出していた。
「あれは、幸福の花を咲かせる木だよ」
 香久さんがぼそりと、つぶやくように言った。
「幸福の木? なんですかそれは」
「我が一族が儀式で使っていたお香『天国の花びら』は、あの花を練って造られているんだ。不思議な花で、普通の花のように自然に咲くことはない。幸福の象徴たるてんとう虫が、あの木の枝に芽吹いた蕾におりたつことで開花する」
 そのとき、私ははじめててんとう虫の役割を理解した。髑髏十字の任務の後、必ず回収して幹部に送っていたてんとう虫。本部に集められ、組織員の仕事の成果の指標になっていたてんとう虫。あの花を開花させ、ひいては「天国の花びら」製造の根源になっていたとは。
「あんなに咲いているのを見るのは、初めてだ」
 香久さんは哀しそうにため息をついた。
「あんなふうに咲かせてはいけない。そんな扱いをしていい代物ではないんだ」
「なぜ?」
 私の問いにしばらく沈黙してから、彼は暗い声で答えた。
「すべての枝が満開の花で埋め尽くされたとき、あの樹は枯れると、言い伝えられている」

 中庭を過ぎたあたりから、あきらかに香久さんの様子がおかしくなった。表情をこわばらせ、思案に浸るようにうつむいて、何やらぶつぶつ口の中でつぶやいている。
「おい姐御。このおっさん大丈夫かな」
 心配そうにささやきかけてくる鈴木さんに、私は喝を入れる。
「気を散らさないで。ここは敵地だよ。油断したら終わりなんだからね」
 虚勢を張るがしかし私も心配だった。この作戦の成否は香久さんにかかっている。彼がその大いなる愛で安寿さんの心を解きほぐしてくれなければ、我々は孤立無援の敵地で簡単に叩き潰されてしまうだろう。今、彼が自分の世界に入り込んで、荒ぶる安寿さんを鎮撫する言葉でも考えてくれているのならいいのだが。彼まで荒ぶっていたらおしまいだ。
 そうこうしているうちに、私たちはついに大広間の扉の前までやってきた。
 鈴木さんにせっつかれて高遠さんが扉をノックし、私たちの来訪を告げる。中から返答はない。もう一度ノックをさせると、少しだけ扉が開いてその隙間から組織員の男がヒョイと顔をのぞかせた。
 高遠さんが男に事情を説明しようとしたそのとき、それまで自分の世界に入ってうつむいていた香久さんが突然前に進み出て、大きな扉を勢いよく全開した。
 大広間の内部は、以前私とキウラさんが連れられてきたときとはずいぶん風情が異なっていた。広間中央には大きなテーブルがしつらえられ、白いテーブルクロスの上にはご馳走が並んでいる。ご馳走を囲んで何人かの正装のおっさんが座っていて、それぞれが私たちに視線を注ぐ。驚いた視線。非難する視線。好奇の視線。威圧する視線。それぞれの表情には共通するものがある。それは傲慢さと強欲さとずる賢さが隠しようもなく刻み込まれていることだ。どこのお偉いさんかは知らないが、きっと地位も金もある者たちなのだろう。
 そんな男たちの向こう側、テーブルの一番奥の席に、見覚えのある人物が鎮座していた。見覚えのある人物というか、見覚えのあるお面。あの、角だらけのジャングルの奥地の破壊神みたいなお面だ。相変わらずの禍々しさ。そしてお面をつけたままどうやって飯を食べるんだ……という疑問については、今考えている余裕はない。
 どうやらお偉い人々との大事な会食の場に乗り込んでしまったようだ。しかしお食事を邪魔したことなど意に介さず、注がれる非難の視線の中、香久さんはずかずかと仮面の人物の前まで歩み寄っていく。途中、テーブルについた男のひとりが立ちふさがろうとしたが、それは鈴木さんが襟首をつかんでひょいとほおり投げた。
「何するんだ貴様。このわしを誰だと……」
「うるせぇ。だまってろ」
 鈴木さんが威嚇してきた男を一喝してその目の前に鉄拳を突きつけると、広場の中はしんと静まり返った。
 その静寂の中、お面の人物……安寿さんの前に立った香久さんはその仮面に手をかけたかと思うと、何のためらいもなくそれを剥ぎ取った。
 衆目にさらされた髑髏十字総裁、安寿さんの素顔は、とても美しかった。目鼻立ちが整っているだけでなく、聡明さと意志の強さがその目もとや額ににじんでいる。それでいて口もとや頬にはほのかな色気と優しさが香っているように見えた。総じて理知的で魅惑的な女の人といえる。ただ、彼女の右目は昔の海賊がしていたような黒い眼帯で覆われ、その下から無残な傷跡の先端が隠しきれずに覗いていた。香久さんが語ってくれた、昔の事故の傷跡なのだろう。それが彼女のまとう雰囲気をどこか陰惨なものにしているように思えた。
 安寿さんと香久さんは、しばらく無言のまま見つめあっていた。それを邪魔する者は誰もいなかった。広間にいる誰もが、かたずをのんで事の成り行きを見守っている。ついに成った、父娘の感動の再会。父と娘はそれぞれ何を思うのか。それは誰にも分らぬが、私は予感する。これから父は娘を抱きしめ、愛の言葉をその荒んだ娘の頭に注ぐのだ。
 やがて香久さんがおもむろに口を開いた。顔を真っ赤にして、そして一声。
「この、大馬鹿者!」
 大喝したかと思うと、やにわにテーブルの端をひっつかんで、それを力任せにひっくり返した。雷親父の卓袱台返しならぬ、テーブル返し。しかも豪華な料理大盛りの、大きなテーブルだ。なんという膂力。なんという見境のなさ。唖然とする安寿さんの頭上に、愛の言葉のかわりにエビや魚が降り注ぐ。その片方だけ開かれた目に、みるみるうちに涙が浮かぶ。
「こ……こいつらを捕まえて、牢にほおりこめ!」
 彼女がそう叫んだのも無理はあるまい。
 作戦ははかなくも失敗に終わった。なにしてくれてんだこの親父……と香久さんを責める暇もなく、広間になだれ込んできた組織員たちによって、我々はあえなく捕縛の憂き目にあったのである。

 牢は、館の地下二階にあった。薄暗く冷え冷えとしたフロアを、レンガ造りの壁が囲んでいる。壁にはいくつもの穴が一定の間隔で穿たれていて、そのそれぞれに鉄格子がはめられていた。
 穴のひとつにほおり込まれた私は、しばらく悪態をつくことも忘れて茫然としていた。道中、力の限りに口汚くののしりあって疲れきったということもある。鈴木さんは「やっぱり姐御なんかに運命を託すんじゃなかった」と文句を言いまくり、私は「父親の愛はどこ行った」と香久さんを責めたて、香久さんは「あんな花の咲かせ方をさせてはだめだ」と喚いた。
 暗く冷たい牢の底で頭を冷やした私は、今後のことを協議しようと、隣の牢に放り込まれた鈴木さんと香久さんに声をかける。
「どうする?」
「どうしましょう」
「どうしたものか」
 三人いれば文殊の知恵と言うが、頭寄せ合っても何もいい案が浮かばない。なんと情けない三人であろうか。
 あきらめのため息と一緒に再び沈黙がおりかけた、その時だった。
「みなさん、雁首揃えてこんなところにピクニックとは。いよいよ外の空気に耐えられなくなりましたか」
 牢の奥の闇から声がした。文殊様の声か。いや、文殊様にしては毒々しい。しかもいやらしい笑い声までする。その笑い方にはききおぼえがある。文殊様なんてとんでもない。そのニチャニチャと糸を引くようなしゃべり方と笑い方は、あの人のそれだ。
 奥で何かが動く気配がしたかと思うと、闇の中に白い肌が浮かび上がり、つづいて爛々と輝く紅い瞳が屏風絵の虎のごとく私をみつめた。
「久しぶりですねえ、真子さん」
 そう言って、キウラさんは鋭い犬歯を光らせた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み