第5話 初仕事

文字数 4,796文字

「エリカさん。ちょっと、いいかな」
 私が呼びかけると、帰り支度をはじめていたエリカが、ビクッと肩を震わせた。恐る恐ると言った風情で振り向いた彼女に私は、陪審員のごとき謹厳な表情を作って告げる。もっともこみあげる笑いをこらえるのに必死で口がムズムズするのをいかんともしがたかったが。ククク……私がこのセリフをこいつに言う日が来るとは、愉快愉快。
「ねえ。私、今日の午後、用事があるんだ。シフト代わってよ」
「え……でも」
「でも。何?」
 私の剣幕にエリカは黙り込む。以前からは想像もできないような、しおれきった態度。それもそのはず。あの腐れ店長はもういないのだから。私とキウラさんが警察につきだした後、あいつは会社をクビになったのだ。強力な後ろ盾を失ったエリカは、それまでの権勢をすべて失った。それまで横暴なふるまいをして多くのスタッフに恨まれていた分、その凋落ぶりは甚だしいものがある。それはさながら、皇帝の後宮での権力争いに負けた妃のごとし。驕る平家は久しからず。栄枯盛衰。盛者必衰の理をあらわす。なむなむ……。
 だからといってこの女に容赦する気はない。今までさんざん私の休日を奪っていったんだ。その分はきちんと取り立ててやらないと。
「この前、あんたの代わりに仕事出たんだよ。それだけじゃない。その前も。何十時間も。それを忘れたとは言わせないよ」
 ちゃんと記録も残してある。その奪われた私の時間を詳細に記した紙を鞄から取り出し、私はこれ見よがしに扇子のようにひらひらとあおいだ。今までこいつから奪われた私の権利。当然返してもらう。拒ませはしない。でも必要以上に奪おうってわけじゃないんだ。あんたよりもずっと良心的だろう。
「その分当然働いてよね。じゃ。私帰るから」
 ぴしゃりと言って、私は意気揚々と店を後にした。

 用事があるというのは本当だ。その日私が私鉄に乗って向かったのはあの郊外の静かな住宅街の中にある教会もどき。謎の組織髑髏十字の世田谷支部だった。
「さて。それではこれより任務に就きます。真子さんは初めての仕事ですね」
 そう、例の壇上から私に語り掛けるキウラさんは、今日はシスターの格好をしている。正直そんな衣装に身を包もうともその風貌から漏れ出す邪気は隠しようもなく、魔物がコスプレをしているようにしか見えない。しかし本人は大真面目だ。実はこの教会もどき、悩み相談所としての表の顔を持っている。この雰囲気の怪しさから訪れる人は多くはないが、彼女はこの格好で聖人面して世の不条理を嘆く人々の声を聞いているとのことだ。そして髑髏十字は、そんな人々から寄せられた相談のなかから、特に悪質なケースを選んで行動を起こすのである。ちなみにこの世田谷支部にはキウラさん以外に三人のシスター(髑髏十字では、工作員のことをシスターと呼ぶらしい)がいたのだが、そのうちの一人が退会してしまったらしい。シスターは基本二人でコンビを組んで活動する。だから私が誘われたようだ。キウラさんの新しい相棒として。
「さて。今回の仕事についてお話しします」
 まるで学校の先生のように演台に手をついて、キウラさんは語りはじめた。
 それは二十代の女の人から数ヶ月前に寄せられた相談だった。相談者には将来を誓い合った男の人がいて、婚約もしていた。しかしある日突然、その婚約が破棄される。その理由は、相手の男の人に別に好きな人ができたから。その好きな人というのは相談者の同級生だった。相談者はその同級生のことをよく知っていた。美人で人当たりがよく、先生からも先輩からも異性からもかわいがられ人気があった。しかしその裏で、自分の下とみた者には容赦をしなかった。彼女は相談者を侍女扱いし、彼女の意見や思想を否定し、その尊厳を奪うことしきりであったという。相談者に何かしらの好意が向けられそうになるとあらゆる手でそれをつぶし、彼女に訪れる好機はことごとく奪ったのだとか。
 その同級生のことを婚約者が好きになった。おかしいと思いひそかに調べた結果、やはり同級生が婚約者に近づいて、当初全くその気ではなかった婚約者を奪ったのだということが判明した。その同級生と、奪われた元婚約者は結婚し、今日、式を挙げるという。
「彼女は泣いていましたよ。『あいつは、私から青春を奪い、自信を奪い、さらには愛する人を奪った。許せない。許せない……』と言って」
 顔を伏せてしばし黙とうしたキウラさんは、やがて顔を上げると、ニヤァーっと口の端をゆがめた。牙のような真っ白い犬歯が紅い唇の隙間にのぞく。
「これは罪深いですなぁ」
 獲物を見つけた獣のように嬉しそうにそう言って、紺色のベールを脱ぎ捨てた。
「今日はその結婚式が行われるそうです。その略奪女を祝ってやりに行きましょう」

 一時間後、真っ黒いスーツに身を包んだ私たちは、同じ区内にある結婚式場の前にいた。あの教会もどきの支部とは大違いの、大きな建物だ。教会とホテルと式場が一緒になっていそうな立派な建物。その建物のガラス張りの玄関をくぐると、式場内はまだ準備中らしく、私たちと同じような黒スーツのスタッフさんたちが忙しそうにたち働いていた。
 エントランスホールの隅に、ひとりだけスーツではなく水色のドレス姿の女の人がいた。ショートカットの、眼鏡をかけたおとなしそうな若い女の人。
「あれ。さとみさんだ」
 キウラさんがつぶやくと、その声に反応するように振り向いたその女の人は、弱々しい笑みを浮かべてこちらに歩み寄ってきた。
「こんにちは。シスター」
「こんにちは。さとみさん」
 返事をしてから、キウラさんは彼女を私に紹介してくれた。
「こちら、今回の件を相談してくれた、工藤さとみさんです」
「ああ、これは……。どうも」
 私はちょこんと頭を下げてあいさつするも、なんだかちょっと気まずい。なにせ意外だったから。自分の婚約者を略奪した女の結婚式だぞ。ふつう来るか? いったい何て声をかければいいんだよ。
 そう感じたのはキウラさんも同じだったのか、彼女の表情も珍しくちょっと困惑げだ。
 そんな微妙な空気をかもしだす私たちを、さとみさんはその弱々しい笑みで交互に見やりながらもじもじとしている。何か言いたいことがあるけれど、言い出すきっかけがつかめないといったふうに。
「あの……、ところでさとみさん。あなたはどうしてここに?」
 キウラさんが促して、ようやく彼女は意を決したという表情になり口を開いた。
「実は、今日のことなんですけど……」
 そのとき、ホールを歩き回っていたスーツ姿の中年女性が近づいてきて、私たちに声をかけた。
「ようこそおいでくださいました。ゲストのお方ですか」
「あ。はい。新婦の友人です」
 中年女性の方に向きなおったキウラさんは背筋を伸ばし、別人のようなハキハキした挨拶をして深々とお辞儀をした。もちろん新婦の友人なんて真っ赤な嘘だ。式に呼ばれてもいない。スタッフにはゲストのふりをし、ゲストにはスタッフのふりをして式場を泳ぎ回り、ある行動を起こす。それが今日のここに来た目的。これって不法侵入ではないのだろうかとも思うのだが、キウラさんは堂々としたものだ。たいしたものだよ。私なんかさっきから、緊張で吐きそうだっていうのに。
 式場で実際のスタッフさんと接してみると、やばいことに手を染めようとしている実感が急にわいて足がすくんだ。本当に私にできるのだろうか。もし……もし、しくじって不審者だってことがばれたらどうしよう。そしたらきっと罪人のようにふん縛られた挙句つるし上げられて、会場のゲストとスタッフ全員の罵声とウエディングケーキの食べかすを投げつけられながら結婚式の余興にされるに違いない。
 被害妄想モードに突入した私の様子に気づいたのか、待合室への道中、キウラさんは忠告してくれた。
「いいですか真子さん。ためらってはいけませんよ。これは斬るか斬られるかの真剣勝負。ちょっとでも臆すれば不審者であると見破られてしまう。堂々としていなければいけない。覚悟を決めるのです」
 がくがく震えながらうなずく私をみて、隣を歩いていたさとみさんが不思議そうに首を傾げた。
 
 待合室には誰もいないと思っていたら、先客がひとりだけいた。これまたさとみさんと同年代くらいの若い女の人だ。さとみさんのようなドレス姿でもなく私たちのように黒スーツを着込んでいるわけでもなく、ラフな普段着であることが、この場にあっては異様に見える。ただ、パッと見ただけでもわかるほどに、その人は美人だった。
 ぼんやりと待合室の天井や壁や窓を眺めていたその普段着の美女は、入り口にたたずむ私たちに気づくと、パッと表情を笑みに変えてかけ寄ってきた。
「まあ。さとみじゃないの。今日は来てくれたのね。ありがとう」
「え、ええ。紗代。今日は……」
 さとみさんの手を取ってぶんぶん振る美女に対して、さとみさんはうつむき苦い表情をしている。その顔に貼り付けた弱い笑みが明らかにこわばって、今にも泣きだしそうだ。その様子を見てわたしは瞬時に悟った。ああ、この女が、さとみさんの婚約者を奪った女だなと。きっとこれからこいつは、普段着を脱いでウエディングドレスに身を包むのだろう。
 キウラさんの話からどんな性悪そうな面構えかと思ったら、その紗代という女は実に普通の、優しそうな表情をしていた。明るくて人懐っこくて、職場ではさぞかしかわいがられているだろうことが容易に想像できる。しかし油断は禁物。ここで正体がばれるわけにはいかないので、私たちはスタッフ面してさりげなく二人から離れた。
 さいわい相手も勘違いしてくれたのか、紗代という女は私たちには全く注意を向けず、もっぱらさとみさんに話しかけている。和やかそうだったのは挨拶の時だけだった。ほどなく花嫁はその人懐っこい顔に不穏な笑みを浮かべたかと思うと、さとみさんに顔を近づけささやいた。
「隆司さんはいい男ね。あんたにはもったいないから、私がもらってあげたわ。感謝しなさい。勘違いしないでよね。奪ったわけじゃない。あの人は私を選んだの。私とあんたを比べれば当然の選択よね」
「あなたは……、隆司さんを、愛しているの?」
 すると花嫁はぷっと嘲るようにふきだした。
「何、恥ずかしいこと言ってんの。彼のルックスとステータスは私にこそふさわしいと思ったからもらってあげたのよ。あんたには似合わない。それだけ」
 そして腕を組み、顎をあげてさとみさんを見下す。その表情にはもはや当初の人懐っこさも明るさも、欠片も見当たらなかった。人から平気で大切なものを奪う悪女のそれだった。
「それにしてもあんたもいい度胸よね。のこのこ私の結婚式に来るなんて。ひょっとしてマゾ?」
 そう、捨て台詞を残して花嫁は部屋から出て言った。
 後に残されたさとみさんは、がらんとした待合室の真ん中で、うなだれながら立っていた。その丸められた背に窓から差し込んだ光があたっていて、それが彼女の寂しさを強調しているように見えた。
「私……実は、あなたがたに今日の活動をやめてもらおうと思って、ここに来たんです。もし、紗代が隆司さんのことを本当に愛していて、隆司さんも紗代の方が好きだというのなら、邪魔してはいけないのではないかと思ったから。隆司さんが好きなのなら、彼の幸福をこそ願うべきなのではと思ったから。でも……」
 そして顔をあげる。長い窓の向こうをみつめる彼女は、さっきまでとは打って変わって、開き直った、すっきりとした表情をしていた。
「でも、馬鹿みたい」
 キウラさんがさとみさんの傍によって、彼女の肩に手をおいた。
「覚悟を決めましたね。さあ。ぐっちゃぐちゃにしてやりましょう」
 先ほどの花嫁のそれがかわいく思えるほどの壮絶な表情で、彼女はさとみさんにそう告げた。
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