第15話 南条君の願い

文字数 4,374文字

 髭入道に指示されたネックレスの作成は、思っていたよりも困難を極めた。
 基本的には用意された玉をネックレス用のチェーンに通すだけ。作り方の説明を受けたときは意外に簡単かもと思ったのだが、そんなに単純なものではなかった。
 どんな玉を選ぶか、それを何個使ってどんな配置で通すか、全部自分で考えなければならない。玉の色も形も大きさも非常に豊富で、その組み合わせは無限にあるように思われる。どれを選ぶか考えるだけで目がくらむ。しかもアクセサリーにそんなに多くは触れてこなかった私だ。センスもない。しかも……。
「この色づかいはダメ。ダサい」
 私が苦心して作成した作品を、梨々香が投げ捨てた。とっとと帰ればいいのに、奴は私の見張りを買って出て、うっとおしく私の作業に口をだす。やっと一つ作ったと思えばダメ出しの嵐。こいつ、この調子で私の作業を遅らせて、私をスパイ認定するのに一役買おうという魂胆か。この玉を私の穴という穴に詰め込む瞬間を妄想して愉悦に浸っているのではあるまいな。
 面倒なので同じのばかり作ろうとしたら、やっぱり梨々香に怒られた。そもそも同じのばかり作り続けられるほど玉の種類は少なくない。百個のネックレスを作るには必然的にいろんな組み合わせを考えなければならないのだ。
「配色は、こういう色とこういう色を合わせるの。それと、同じ大きさの玉ばかり使わないで。組み合わせをもっと考えて」
 梨々香のご指導は、口は悪いが意外と親身であることに気づいたのは深夜になってからだ。彼女の言葉に渋々ながらもうなずきつつ仕事をすすめるうち、それでも少しずつ良いものがつくれるようになってきた。眠気と戦いつつ朦朧とする意識の中で、エメラルドグリーンの玉や、星のような銀の玉や宝石みたいな紅い玉が踊りだす。それらが連なり、単体とは全く異なる、贅沢な色彩のハーモニーが奏でられる。

 奇跡的に私は、翌朝までに百個のネックレスを作りあげることができた。しかもみんな、梨々香のお墨付きだ。
「よし。じゃあ、これを店に並べて。今日は店番をしてもらう」
 鬼畜、髭入道はそう言って寝ぼけマナコの私をカウンターに立たせた。
 その日の店番は私と髭入道が受け持った。ちなみに彼の本名は二階堂という。
 言いつけ通りにネックレス百個作ったので私をちょっと信用したのだろうか、二階堂さんは星乃雑貨店のことも少しだけ教えてくれた。メンバーは彼と梨々香と南条君。あと、情報係の女性がひとり。そしてそれを統べるリーダー。彼は「店長」と呼ばれているらしい。店長だが、めったに店には出てこない。
 あまり話をするとボロが出るので、私はなるべく自分のことは語らずに、まじめなふりをして黙々と店番にいそしんだ。ボロい外見のわりに、店には時々お客が入ってくる。若い女の人。カップル。子供……。みんな興味深そうに棚や壁に並ぶ商品を眺め、手に取り、笑ったり愛おしそうに目を細めたりする。その中には私が昨晩夜なべして作ったネックレスも含まれている。
 ある若い女の人がネックレスを手に取り、しばらくの間見つめていた。まるでそこに遠い思い出をみるように。それは私が昨晩最も苦心して作った、一番の自信作だった。夜空をイメージして作った、ラピスラズリとエメラルドグリーンと星色の玉を組み合わせたネックレス。
「これ、ください」
 やがて私の前に来てそのネックレスをカウンターに置いた、その女の人の顔を正面から見て、私は思わず声をあげた。
「葉山……さん」
 そう、それはかつて私が標的にした、葉山詩織だった。彼女は私の反応にちょっと驚いてから、はにかむようにほほ笑んだ。
「私を、ご存じなの?」
「ええ。……舞台を見たから」
 口ばしってから、私は慌てて己の口を手でふさぐ。しまった。このことには触れない方がよかったかな。
 葉山は苦笑して、ちょっと寂しそうに目を伏せた。
「あれを、観てくれてたんだ」
 しばらく噛みしめるように沈黙してから、語りはじめる。
「私、小さいころから女優さんになりたかったの。今までいろんな職業についてきたけれど、どれも周りの大人に押し付けられたものだった。この歳になって、いろんなものを犠牲にして、複雑な手順をふんでやっと自由の身になって、やっと望む道を目指すことができた。でも……」
 顔をあげて目をしばたたき、弱々しく笑った。
「才能、なかったみたい」
「そんなこと、ないよ。あなたは、魅力的な人です」
 こんなことを言ってしまった自分に、私自身が驚いた。本来の私だったら、致命的な一言を投げつけてやるとこなのに。だけど、それができなかった。目の前の葉山は、夢やぶれて落ち込んでいる、ただの女の子だったから。
「ありがとう。まだあきらめない。もうちょっと、頑張ってみるつもりだよ」
 私を見つめた彼女の瞳に光が宿っている。その瞳を美しいと、私は思う。
「とても、素敵な作品です」
 そう言って、葉山は購入したネックレスを胸に抱いた。

 夕方ようやく店番から解放された私は、南条君に連れられて近くの川の土手道を一緒に歩いた。
 空はもう暮れ色に染まり、茜色に輝く雲が幾すじも流れていた。その色を写す川面の所々で、金色の光の粒々が弱々しく群れて瞬く。蒼く暮れゆく川原と対岸の街並みを眺めながら、南条君は黙々と歩き続けた。
「あの……。私、みんなに受け入れてもらえたかな」
「二階堂さんは、少しだけ信用してくれている。でも……」
「あの、梨々香って子は、違う」
 南条君が川原の風景に顔を向けながら、小さくうなずいた。
「彼女の勘はきっと間違ってはいない。君はたぶん、本当は世の中が憎くてしょうがないのだろう。うちの組織よりも本来髑髏十字のほうが性にあっているはずだ」
 私の全身が緊張にこわばる。このときになってようやく私は、ある当たり前のことを思い出す。この人は私の幼馴染み。子供時代毎日私と話をしながら歩いたことを。彼こそは、この私の鬱屈した思いも歪んだ性格も、だれよりも熟知しているのだ。
「ならばなぜ、私を受け入れてくれたの?」
 私がおそるおそる尋ねると、彼はフッと吐息のような笑いを漏らして答えた。
「駅まで君と一緒に歩いて、話をして……。思い出したんだ。昔のことを」
 そして空を見上げて目を細くした。
「覚えているかい。昔、僕の家の飼い犬が行方不明になったとき、君も一緒になって探してくれたね。家族はみんな諦めて家に帰ったのに、君だけは最後まで僕に付き合って、一生懸命あちこち探し回ってくれた。途中雨が降り出してもやめないで。ずぶ濡れになりながら」
 そんなこともあったなと、私も遠い日のことを懐かしく思い出す。愛犬がいなくなって南条君がしょげかえっていたから、私もいたたまれなくなって彼を手伝ったんだ。結局犬は見つからずに、ただ二人でびしょ濡れになっただけだった。そのあと家でこっぴどく叱られたんだっけ。でも、嫌ではなかったな。
「君にはそういう優しいところもあるんだよ。マコ。あのときだけじゃない。僕が困っているとき、君はいつでも助けてくれた。だから、信じたいと思うんだ。その記憶が……どうしても僕に訴えてくるから」
 彼の言葉に私は思わず、笑みをこぼす。弱い、自嘲のような笑みを。
 それは、君だったからだよ。
 うつむいて、地面に語りかける。君だったから、私は一生懸命助けた。君は、私の光だったから。それ以外の人間のためには、髪の毛一本抜こうとは思わなかった。あの頃から、君以外の人間はみんな大嫌いで、みんなひどいめにあえばいいと、願っていたんだ。
「確かに、世の中にはひどい奴が大勢いる。横暴な奴。乱暴な奴。でかい声で威嚇して人を支配したがる奴。そういう奴らを見ていると、みんなみんな、死んでしまえばいいのにと思ったりもする。そんな奴らがなんの罰も受けずにでかい面して生きているこの世の中を、無茶苦茶にしてやりたくもなる。世の中には思い通りに生きている人間も何もかもうまくいかない人間もいて、不公平を感じることが多くある。だけどね……」
 南条君の足取りはゆっくりとなり、やがて立ち止まる。そして空を見渡して大きく深呼吸をした。
「だけど、世の中は、そんな奴ばかりじゃないんだ。そんなのは、何億もいる人間の、ほんの一握りだけなんだよ。世の中には優しい人、穏やかな人、愛すべき人があふれるほどにいるんだ。一見嫌な奴にだって優しさや哀しみがある。成功しているように見える人にも失敗はある。世の中は黒一色ではなくて、白と黒だけでもなくて、いろんな色が混ざり合っていて、その中に時々ハッとするような美しい色があって……。僕は、君に少しだけ……」
 そして彼は振り返る。その顔には笑みが……かつて私の唯一の癒しだった、包み込むような優しい笑みが浮かんでいた。
「少しだけ、この世の中を愛してほしいと、思うよ」
 その言葉に促され、私は今、初めて気がついたように目の前の風景を見る。
 金色の光さす土手道を、ベビーカーをひいた母親が歩いている。すれ違った老人が彼女のために道を開け、ベビーカーを覗き込んで目尻を下げる。彼は母親に「かわいいですねえ」と話しかけ、母親はお礼を言って頭を下げる。通りがかったカップルが、手を振りながら二人ににこやかに挨拶をする。男の人と腕を組んだ若い女の人は私を見ると、旧知の友人に出会ったみたいに笑みをはじけさせた。葉山さんだ。その胸元には、夜空をあしらったラピスラズリの玉が、夕陽を受けて輝いていた。
 みんな笑顔だった。人より幸せだとか、成功しているとか、裕福であるとか、そういうこととは無関係に、ただ、笑顔だった。
 優しい風が吹き抜ける。土手の斜面を埋めるコスモスたちが桃色の花を穏やかに揺らす。川原で遊ぶ子供たちの笑い声が流れてくる。それだけじゃない。いろんな音が混ざり合いながら流れてゆく。川のせせらぎ。近所の公園の木々のさざめき。カラスの鳴き声。車の走行音。豆腐屋の奏でる笛の音。鉄橋を渡る電車の音……。見上げると群青色の鮮やかな空に、羽を広げた鳳凰のような雲が浮かんでいた。
 美しいと、思ってしまった。何の思考のフィルターも通さずに入り込んできたその景色を、ただ無垢に美しいと、私は感じた。
 いいのだろうか。
 私は私に問いかける。
 私は、この世界をほんの少しだけでも、愛してもよいのだろうか。
 その問いの答えが天からおりてくるような気がした。しかし、そうなる前に、私のこの時間は終わってしまった。誰かが騒がしく南条君の名を呼びながら、土手道を駆けてきたのだ。
 それは私もどきの少女。梨々香だった。彼女は私を無視して南条君の前に立つと、彼の胸ぐらをつかむ勢いで言った。
「大変だよ。恵子さんが、ひとりで理絵さんの救出に向かったんだ」
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