第11話 組織の本部

文字数 4,325文字

 幸福の象徴たるてんとう虫は、任務が成功したときにしか飛んでこない。
 キウラさんからはそう教えられていたが、葉山の舞台を台無しにする作戦の後もてんとう虫がやってきたものだから、少なからず私は混乱してしまった。だって、あの作戦は南条君に阻止されて失敗に終わったのだから。
 その理由を教えてくれたのは、翌日の新聞だった。
「読んでくださいよ。これを」
 支部の講堂の長椅子に足を組んで座り、新聞を広げていたキウラさんは、それをたたんで苦虫を噛み潰したような顔で渡してくれた。
 文芸評論の欄。そこに書かれてあったのは、昨日の葉山の舞台の論評だった。
 ざっくりいうと、葉山の演技はひどく下手くそで、とても観れたものではなかった……。ということだ。そんなにひどかったか、私自身はよく覚えていない。なにせ任務のことで頭がいっぱいだったし、スプレーが不発で混乱してもいたから。だがこの書かれようをみるに、相当なものだったようだ。紙面には、葉山の演技をこき下ろす情け容赦のない言葉の数々が、これでもかというほどに踊っている。公の場でこれだけの悪口を並べ立てられたら、普通のメンタルの持ち主だったらしばらくは立ち直れまい。少なくとも私は無理だね。そりゃあ、てんとう虫も飛んでくるわ。
「マスコミっていうのは、恐ろしいですね。天下御免でこんなにも堂々と人を不幸に叩き落とせる。私らなんか、変な連中に怯えながら、コソコソといたずらするのが関の山なのに。まあ、堂々となんて、私の性に合わないからいいんですけど」
 関の山とはいうが、そのコソコソとしたいたずらもなかなかに恐ろしいものだと思うが……。しかし今回については、完全に葉山の自滅だったわけだ。自分たちの手で奴に天誅を下せなかったのはちょっと悔しくはある。まあ、結果オーライとしておこう。
「まあ、とりあえず、ざまあみろ、だね。ところでさ……」
 事情が分かってしまえば、葉山のことはもうどうでもいい。それよりも、もう一つ私の知りたいことがある。キウラさんの今言った、変な連中のこと。葉山よりももっと、今の私たちに関わりのあることだ。
「劇場で私たちの作戦を邪魔したあの人が言っていた……髑髏十字の活動を阻止するための組織って、一体何なの」
「あー。それなんですが……」
 キウラさんは天井を見上げてしばらく虚空に視線を泳がせてから、おもむろに答えた。
「私も、よく知りません」
 なんじゃ、知らんのかい。何となくキウラさんなら何でも知っていると思った私は、拍子抜けして首を垂れる。その勢いで思わず長椅子の背もたれに頭をぶつけたのはご愛敬。
「まあ、そんなにがっかりしなさんな」
 私の落胆ぶりに苦笑しながら、キウラさんはがさごそとスカートのポケットを探った。取り出したるは一通の封筒。花柄が可愛らしい純白のその封筒をひらひらと振りながら、彼女はいやらしい薄笑いを浮かべる。
「何? それ」
「本部からの招待状です。偉い人から、いろいろ聞けるかもしれませんよ」

 髑髏十字の本部。幸せ者に嫌がらせをする悪逆非道なその組織の総本山は、なんとなく山奥の湖畔にたたずむ城館であるように私は空想していた。その空はいつも黒雲に覆われていて雷鳴がとどろき、無数のコウモリが飛び交っているような。
 しかし実際の髑髏十字本部は、意外にも都内某所にあった。
 都心にも近いある駅で降りた私は、キウラさんと連れだって、半信半疑で平和な休日の商業地域を歩いた。今日はふたりとも、髑髏十字の制服たる黒のシスター服を着こんでいる。頭の被り物はシスターのそれっぽいけど、服の方は腰をベルトで絞めていて動きやすいデザインだ。スカートの裾も膝下くらいの短さで、シスター服というよりは軍服に近い。道ですれ違う人たちが、ふりかえっては私たちをじろじろと見る。コスプレのねーちゃん達と思われているのかもしれない。
 とある古いビルの角で曲がり、住宅街をしばらく歩くと、ほどなく道の右手に緑の生い茂る地域があらわれた。公園だろうか。低い石垣の上に延々と漆喰の白の眩しい塀が連なり、その上から種々雑多な木の枝が歩道を覆い、葉と木漏れ日をゆらしていた。
 まだ残暑は厳しいものの季節はもう秋。弱々しい葉づれの音を聞きながら歩道に舞う陽だまりを踏んでいると、妙な感傷に浸ってしまう。
「どうしたんです真子さん。薄気味の悪い顔して」
「いやあ。もう、秋だな、って思って」
「いろいろありましたね。この数カ月」
「ええ。楽しかった……。やってることは下劣極まりないけど」
「私もですよ。いいパートナーに、恵まれました」
「キウラさんも感傷? らしくねえ」
 私とキウラさんは並んで歩きながらクスクスと笑う。その頭上で緑の枝が優しくさざめく。揺れる葉の間で陽の光が眩しく瞬く。一瞬……。一瞬だけ、自分が今幸せなんじゃないかっていう気持ちになってしまう。そんなわけないのに。自分なんかが幸せになれるわけないのに。でも、今この一瞬が……この木漏れ日を踏みそよぐ緑に目を細める一瞬が、もっとずっと続くのなら……。
 私は慌てて首を振る。何をたわけたことを考えているんだ私。そんなことはおこらない。明日からもきっと私の前には嫌な奴が際限なく湧き出て、嫌な出来事が際限なくおこるんだ。このクソな世の中は私に安寧な生活を与えることはない。私は……私はこのクソみたいな世の中と、ずっと戦っていかなければならないのだ。
「ここですね」
 キウラさんが突然立ち止まったので、心ここにあらずだった私は彼女の身体に盛大に衝突した。
「ちょっと。いきなり止まらないでよ。まだそれらしき建物なんか……」
 しかし私はキウラさんと同じ方向に顔を向け、言葉を飲み込んだ。
 それは木造の大きな門だった。まるで大名屋敷のそれのように威風あたりをはらっている。私は自分が今来た方を振り返り、そして先に続く歩道を見る。門を挟んでどこまでも続く石垣と塀、そして緑の木々……。その時ようやく理解する。ひょっとして、私が公園だと思っていた緑地は、組織本部の敷地だったのか。私たちはずっと、目的地の敷地のわきを歩き続けていたのか。
「広いお屋敷ですよね。以前はどこぞの御大名の屋敷だったとか」
 キウラさんの説明に愕然とする私の目の前で、重々しく軋みながら門が開いた。

 敷地の中も当然ながら広かった。公園のようによく手入れされた林の中を、白い玉砂利を敷き詰めた道が伸びている。そこを五分ほど歩いてようやく、本館と思しき建物にたどり着いた。
 それは洋館だった。世田谷支部の教会もどきのようなボロ屋ではない。レンガ造りの壮麗な建物だ。東京駅とか、昔国の威信をかけて建設された建築物の数々を彷彿とさせるような、大きくて瀟洒な洋館だった。石造りの階段をのぼり玄関を抜け、ホールの緋色の敷物の上に立った時には、私の心臓は口から飛びだしそうになっていた。門をくぐった時から急激に高まっていた緊張感が、そろそろ限界を迎えそうだ。招待された身ではあるが、私は見苦しくもここから逃げ出す言い訳を考え始める。マラソンの授業に出たくない小学生みたいだな、などとどうか嘲らないでほしい。誰しもそういう経験はあるだろう。しかもここは悪の組織の本部だよ。悪を自認していてもケチな小悪党でしかない私には、分不相応ってもんだ。
 それでもなんとか踏みとどまって前に足をすすめたのは、隣にキウラさんがいるからと、案内の紳士の物腰が意外なほどに柔らかだったからだ。震える足と手が一緒に前に出るのをキウラさんに鼻で笑われながら、黒衣の紳士の後について、長い廊下を歩いていく。
 緊張がわずかにほぐれたのは、途中、中庭のわきを通った時だ。広大な中庭だった。草花が生い茂り、小川が流れ、注ぐ陽光にキラキラと白い光の粒がまたたく。名前はわからないが大きな木が一本、庭の中ほどにたっていて、枝に綺麗な花をたくさんつけていた。さわやかな風が通り抜け、かすかに甘い香りが鼻先をかすめた。
 中庭からまたさらに少し廊下を進んだところで、ようやく私たちは足を止めることができた。目的の広間へ到着したのだ。大きな両開きの扉をノックして、案内の紳士が私たちの来訪を告げる。わずかな軋み音をたてて扉が開く。紳士に促されるまま、その隙間から広間内部へと身体を滑り込ませる。
 ふわりと、華やかな香りが私の体を包みこんだ。この香りはよく知っている。以前ご褒美にもらったことのある、あのアロマ香のそれと同じ香りだ。
 とたんになんだか楽しくなって、私の心はふわふわと浮き立つ。映画に出てくる舞踏会場のような大広間。壁には金の花模様が咲き、高い天井からはシャンデリアが吊り下がって無数のダイヤモンドのようにきらめきを放つ。
 しかし、緋色の敷物の先、広間の最奥に鎮座するその人物を目にしたとたん、私の体から楽しい気持ちはすべて抜け出てしまった。
「ひょえぇっ!」
 と、奇抜な悲鳴が思わず口からこぼれ、紳士とキウラさんから同時にコラッと怒られる。もっとも、キウラさんの顔もちょっとこわばっている。そりゃそうだ。びっくりするでしょう。だって、あの人、どう見てもまともじゃないよ。まあ、着ている服は普通のえらい司祭さんみたいなそれなんだけど、顔が……。
「なんであの人、あんな変なお面つけてるの?」
 私は声をひそめて隣のキウラさんにたずねる。そう、その人物は顔を仮面で隠していたのだ。なんか角がたくさん生えた、どこかのジャングルの奥で祀られる破壊神みたいな、怪しさ満点の仮面だ。
「知りませんよ、そんなこと」
 とキウラさんから素っ気なくあしらわれ、
「しっ。聞こえますよ」
 と、紳士からまた怒られる。
「あのお方が我が髑髏十字の総帥閣下です。跪きなさい」
 えっ? あれが総帥? ってことはあの人が私たちのボスってこと?
 頭の中にたくさんのはてなマークが湧き出て乱舞するが、ふざけたりとぼけたりしていられる雰囲気ではない。私はあわててキウラさんと一緒にその場に膝をつく。
 黒衣の紳士はひとつ咳払いをしてから、背筋を伸ばし、声を張り上げた。
「総帥閣下。世田谷支部のシスター、堂羅キウラ、阿久津真子の両名をお連れしました」
「うむ。よく来た。両名の活躍はよく聞いている」
 総帥の声はくぐもっていて、なんだか人間のそれのようには聞こえなかった。ひょっとしたら本当に人ではないのかも……などと変な空想をすると、背筋のあたりがなんだか冷たくなって、私は深く首を垂れた。
「今日は、両名に伝えることがあったのだ」
 そしてしばらく黙した後、総帥はおもむろに告げた。
「お前たち二人を、幹部に任命する」
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