第3話 -3-

文字数 1,817文字

 昼食後の仕事は、特にチェック作業はすさまじい眠気が襲ってくる。チェック作業とはそのままの意味で、ほかのスタッフが起こした原稿を別のスタッフが確認することである。タイピングするわけでもなく、基本は音声と原稿のすり合わせとなる。
 これがまだ日の浅いスタッフならば修正箇所も多く気の抜けない作業となるのだが、奥村が今チェックしているのは仁志の原稿である。正直、半ば夢の世界に片足を突っ込んでいても大丈夫だろう、という安心感がある。よほどの事情がないかぎり(例えば前回のようにアイドルネタが絡まないかぎり)、仁志の安定感は抜群である。
 確かにところどころ音声はひび割れていて、録音環境は決してよろしくはない。が、どんどん増えていく登場人物の丁寧な聴き分け、細かな口癖などの正確な起こしは舌を巻くしかない。
女性C『あ、あ、あんた、じゅ、10年顔なんか見せんかったくせに、今っ、今さら』
男性F『そんなん、おまえに言われんでも』
男性A『今はしゃしゃりでてくんなや』
女性B『うるっ、うっさい。は、ねえ、どうして、もう、分け合えばさ、いいじゃん』
 女性Bの言葉に、仁志のコメントが挿入されていた。『まったくだ』と。奥村はそこで思わず噴きだした。スタッフは音声についてのツッコみを、こうして原稿にコメントとして残すことがある。ちょっとしたお遊びだ。チェック担当はそのコメントを削除することも行う。あまりやりすぎると上原から雷が落ちるが、ちょっとした息抜き程度なら容認されている。
 出来のいい原稿はチェック時間が格段に早くなる。ほとんど直すところはない。ドロドロの会話劇は男性Aに軍配が上がりそうだ。
 奥村がチェックを終え、ヘッドフォンを取ったその瞬間。
「おい」
 不機嫌そうな仁志の声が飛んできた。奥村はびくっと肩を震わせ「え、俺?」と自身を指差す。仁志は無言でうなずく。嫌な予感しかしなかった。チェック後になにか言われるなんてロクなことじゃない。案の定、仁志は射抜くような視線で奥村を突き刺してくる。
「おまえ、楽な音声だからって手を抜くな」
「え、なんで。ほとんど聴き取れてただろ?」
「内容はな。話者は何人だ?」
「え?」
 予想外の指摘に奥村は目を丸くする。男女の痴情のもつれ。一対一の会話。1+1=?
「……え、2人じゃないの?」
「3人だ」
 おずおずと尋ねる奥村に、仁志はきっぱりと言いきった。奥村は頭が混乱して追いつかない。
「うえっ? マジで? え、なんで? いつから? 誰?」
 慌てふためく奥村を見て、仁志はにやりと不敵に笑った。
「男のキャラ、急に変わったろ。おまえもコメントで『キャラ変?』って書いてるから、それは気づいてたらしいな。だったら、もう一歩ちゃんと見抜けよ。こいつは男性Bだ」
「えーーーーー!」
 奥村の絶叫にスタッフたちの視線が集まる。「ごめんごめん」と慌てて謝る。
「声、同じじゃん!」
「確かによーーーく似ている。が、明らかにキャラ変したしおかしいと疑ってかかった。そうするとわずかにだが声量が違うし、高低も違う。同一人物だと思えば同一人物。別人だと思えば別人に聞き間違うレベルだ。双子かなんかじゃないか?」
「双子ぉ?」
 そんな漫画みたいな展開が、と奥村は訝しんだが、ヘッドフォンでもう一度、今度は別人だと疑って聴きなおす。すると、確かに仁志の言うとおり、若干の差が感じられる。あとから現れた男のほうが声量は小さいし、低く落ちついている。最初からいた男は興奮のせいで上ずっていたせいもあって、余計わかりにくかった。
 が、間違いない。この場に3人目はいる。
「しかも上手いこと、男性Bは男性Aと勘違いされるレベルで話をつないでる。一対一の話しあいで、男性が女性を説き伏せたと思わせたかったんじゃないか」
 依頼人は男性。恐らく男性Aと見て間違いないだろう。こんな凡ミスをするなんて! 叫ぶ代わりに奥村は頭を抱えた。後頭部あたりに仁志の優越感にあふれた言葉が落ちてくる。
「今度、なにかおごれ。カップ麺以外でな」
「……新発売・野菜がっつりチャーシュー味噌バター麺はどう?」
「野菜摂りたいのかカロリー摂りたいのかわからん。却下」
-了-
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