第2話 -2-

文字数 2,165文字

 応接室に入るなり、仁志は口を開いた。
「土野小波になにかあったに違いない」
 その突拍子もない発言に、奥村と上原が声をそろえて「は?」と尋ねるのは当然だろう。上原がケチったせいで応接室の椅子はパイプ椅子である。三者三様の動揺を表すかのように、パイプ椅子がギシギシと嫌な音を立ててきしんだ。
「いつもの彼女じゃない。明らかに元気がないんだ」
 ヘビーリスナーだったんだ、と茶化したくなったが、仁志の深刻な表情を見て、二人は口をつぐんだ。
「いつもの彼女なら一音一音にスタッカートがつくぐらい元気だし、語尾すべてにエクスクラメーションマークがつくぐらいノリがいい。なのに、今聴いている音声の彼女はお通夜みたいだ。さらにオープニングナンバーにいくまでの挨拶があまりに短い。いつもならもっとたっぷりじっくりトークを聞かせるんだ。こんなに淡白な始まりは初めてだ……」
 ファン個人の推測による杞憂では片づけられないほど、仁志の声のトーンは沈んでいた。彼の語り口こそお通夜状態だ。「まっさらな気持ちで案件に臨もうと、今週はリアタイせずに我慢したのに……」と頭を抱える仁志は、もうヘビーリスナであることを隠す余裕もないらしい。
「風邪とかじゃないの? 人気みたいだし疲れがたまってるとかさー」
「風邪の声質じゃあない。そして彼女はどんなに疲れていても、それをおくびにも出さない。まさにプロなんだ」
 奥村の思いつきは、にべもなく否定された。上原はもう少し踏みこんで問う。
「土野小波関連のスレで話題になってたりしないの?」
「皆、俺と同じで様子が変だって心配してるだけです。今はツアーも終わって、ドラマもないし、比較的ゆとりがあるはずなのにどうしてって」
 聞けば聞くほど仁志のイメージが壊れていくのに、奥村は戸惑った。こんなに近くで働いているのに、基本はずっと担当案件に向きあうだけなので、スタッフの素性をなにも知らない。その距離感が楽なのだが、いざというときのギャップがすさまじくて驚きしかなかった。
「でもね、彼女はあくまで音声の登場人物。今回の依頼人は本人じゃないし、仁志みたいなただの一ファンなわけ。内容に問題があるならまだしも、音声自体は聴きやすいし問題ないでしょ? ただ、粛々といつもどおり起こしてくれればいいだけ。それが【KIKOU】の仕事でしょ」
 上原はボスらしく部下の暴走をたしなめた。仁志も理解はしているらしく、唇を噛みながらも静かにうなずいている。
 奥村はそんな仁志が少々不憫になり、土野小波関連のスレをスマホで検索してみた。熱烈な愛情をにじませる投稿者、ウエストサイドとはもしや仁志のことだろうか。そんな邪推をしつつ地下へ地下へと潜っていくと、純粋なファンなら避けて通りそうな薄暗いサイトにたどり着いた。土野小波専用掲示板ではなく、あらゆる著名人の黒い噂を面白おかしく書きたてて騒いでいる。
 そこで気になる文を、奥村は見つけた。
「なー。これ、知ってる? 土野小波のラジオにたまに現れる男の影ってやつ」
 仁志は横目でじろりと奥村をにらんだ。敵意むき出しの仁志に代わり、上原が「なにそれ?」と興味を示す。
「ラジオのエンディングにたまーに男の声が入るんですって。『俺の』とか『好き』とかよーく聴くと、すっごいちっちゃい声でささやいてるらしいです。キモいっすねー」
「彼女のスタジオには女性スタッフしかいないと有名だ」
 仁志はまるで件の男が奥村であるかのように殺意をにじませる。
「えー、でも、男が出現する回も聴いてんだろ? 仁志なら余裕で聴きとれるっしょ。実際どーなの?」
 奥村の指摘に、仁志はぐっと詰まる。しぼりだすように「確かに聞こえた」とつぶやいた。やはり優れた聴力はごまかせない。しかし、仁志の出した結論は、完全に斜め上をいくものだった。
「あれは……霊だろう」
「は?」
 再び二人の声がそろった。仁志は至極真面目な顔つきのまま続ける。
「ラジオスタジオには霊が棲みつくという話はよく聞く。きっと生放送中に命を落としたベテランディレクターかなんかの怨霊だろう。仕方のないことだ」
 正気とは思えない推理に、二人は呆然とするしかなかった。好きなものというのは、ここまで人間の冷静さを失わせるのか。
「きっとその霊に彼女は人知れず悩まされているに違いない。俺は心細そうな声をただ起こすことしかできない。非常に歯がゆい。しかし、向きあうしかないんだな……上原さんの言うとおりだ。奥村も仕事の手を止めてすまなかった」
 仁志は悔しそうに詫びて、応接室を去っていった。残された奥村と上原は顔を見合わせて苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ファンって思いこみもメンタルも強いっすね。俺、そこまで熱中したものないから、ちょっと羨ましいかも」
「まー、程よい熱量ならね」
 そこで奥村はふと思いついたことを口にする。
「今回の依頼人もいつもと同じ人っすか? 支払いの滞りがちな男子大学生」
「んー、いや今回は違う人。女性だし。小南有紗さんっていったかな。なんか芸能人みたいな名前だよねえ」
「小南有紗!!!」
 戻っていったと思った仁志が、鬼の形相で扉を開けて入ってきた。「うわあ!」と二人はのけぞる。
「なに、なに? どうした?」
「土野小波です」
「は?」
「小南有紗は土野小波の本名です!」
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