2、優太との出会い

文字数 3,373文字




 第一食堂を抜けた先に大きな構内案内板があり、その前に一人の男の子が立っている。青色のコートを細めの身体にぴったりと合わせ、季節とサイズに大分ずれのある茶色い皮手袋をした彼は、入学式で配られるパッションイエローのトートバックを右肩に掛けていて、それをしているとあの正門を素通りすることはまず不可能になる。なかなかの小柄で、手に食べかけのチョコレート。きっと生涯で一度も染めたことのない真っ直ぐなさらさらな髪をきれいに真ん中で分け、育ちの良さそうな凛々しい顔立ちをしている。お餅のように白いその青年は、僕が近づいても全く気付かないまま、食い入るように集中して看板内を見続けている。
 ネギを背負った迷える子羊。僕はそっと優しく声を掛けた。
「すいません、新入生ですか?」
「あぁ、はい」
 ニューカマー特有の鼻に掛かった高い声だ。目はまだ合っていない。彼の細い切れ目には、少し緊張と疑いがあって、左首筋がちくちくとその気配を感じ取った。
「今から学部のオリエンテーションだよね、学部ってどこ?」
「経済学部です」
 これは当たりだ。
「ならこの道まっすぐ行くと図書館あるから、その奥のガラス張りのホールでやってると思う、十一時からだよね?」
 オリエンテーションの会場は学部によって行われる場所が全て異なる、昨日学務に寄っておいて正解だった。経済学部ならここから大分遠いので、道案内という最高の流れに持っていくことが出来るのだ。伏し目がちな彼のおでこには同じ所にほくろが二つあり、僕は目を合わせられない代わりにずっとそこに視線を置いていた。ほくろからも、ちくちくと緊張の光線が発せられていたが、それでも目は離さなかった。
 その二つの点と同時にぺこっと頭が下がり、「すみませんわざわざ」と前髪も目元まで落ちていった。
 やっと落ち着きのある彼の声が聞けたような気がする。なかなかの美少年で、きっと彼はモテるタイプだろう。
 僕は現在、人見知りらしい彼のために、出来るだけ波動を下げないという努力を取り組んでいる。声を掛けた時からずっと水面下で足をばたつかせて一定の波動をキープさせていた。
 もちろん顔には出さずに。あくまでも水面下で。自分がまず良い状態であれば、おのずと道は開けてくれるはずだと僕なりにそう信じているのだ。
「良かったらホールまで一緒に行っていい?一応俺三年なんだけど、今、勧誘がてら新入生達案内してて」
 もちろん、道が開けてくれるというのは、創意工夫と真心と行動があってこそだということは言うまでもない。おのずとと、さっきは言ってしまったが、心技体の中で一番鍛えるのに易しいのは「体」とのことだ。身体を存分に使って行動して行くことは、「心」に辿り着くための貴重な初めの一歩になる。
「え、いいんですか?」ここでようやく、彼とばっちり目が合うことが出来た。

 いいんですか、いんですか、こんなに人を好きになっていいんですか

 大学のメインストーリートはタイルの上に、ピンクの薄い桜の花びらを贅沢に散らばせて、まるで七五三の女の子のようにはさずがに見えなかったが、それぐらいに見違えて映る。ということを言いたい。僕のトリッキーなRADWIMPSの歌詞を使用した返答は、彼のツボに深く突き刺さったようで、雰囲気はかなり温かいものになっていた。彼は名前を優太といい、先日、北海道から東京に着いたばかりらしい。
 服装と言葉の使い方にまだ、多分、道産子の名残があり、田舎の気質か、地元のおばさんと話す時のような為人を見定めているような間合いが彼にはあることを薄々と感じていた。彼は初め、正門から入ろうとして、例のあの大群とお祭りばか騒ぎに戸惑い、諦めてわざわざ迂回して、「東通用門」というかなりマニアックな入り口からここまで辿り着いた。人が多すぎるところがまだだめなのだと恥ずかしそうに僕にそう吐露した。確かに、勧誘お断りロードも設けるべきかもしれない。
「マイノリティを甘くみちゃあいけないよ、君が離れたあの子の闇は、いつかあなたの重たい毒となり、絶対に注がれることになるんだ」とどこかのイギリスのバンドが歌っていて、僕は昔、感銘を受けたことがある。
 
 僕は中学の頃、新潟出身の先輩が散々聞かせてくれた、「雪掻きの恐ろしさを知ったら、誰もが雪を嫌いになる」という説をふと思い出し、真相を確かめるべく、彼にそのことについて、もののついでに尋ねてみると、「え、なんで洋平さん知ってるんですか?」とぐいっと顔をこちらに向け、細い切れ目を大きく真丸に見開いた彼は初めて僕の名前を呼んだ。
「洋平さん、出身どこですか?」
「静岡県」
 雪掻きに対する彼の鬱憤はそこから始まってしまう。自分から聞き始めた手前、僕はただただ肯いているしか術はなく、サークルの話などとてもではないが切り出せる状況ではなくなってしまった。
 彼曰く、自然摂理やその土地の風土風習に対して文句を言いたいという訳ではなく、余所者からの、つまり、雪国に住んだことのない人間からの、雪に対する幻想に対して不満があるということらしい。
「雪掻きあらずんば、雪あらずです」
 昭和の映画監督ばりに遠い渋い目をしながら重たいトーンでそう訴えた。
「雪もほっとけば汚いですからね、新雪の雪ばっか想像されても困りますよ。雪も片付けなきゃいけないんだから。埃も溜まったら掃除するでしょう?おんなじですよ。いいですよ都会の人は。珍しいから、雪が。そんなに降りませんからね。でも、後始末の作業を知らない奴らがキャピキャピ言ってんのが気に食わないんです」
 目も合わせられなかった内気な青年はもういまい。
「洋平さん、中でも一番やっかいなやつらって誰だかわかりますか?」
「やっかいなの?」
「はい、やっかいなやつら、です」
「やつらか。じゃあサンタさんではないんだ」
「あー、なるほど、、、」
 もの凄く嫌な間がここで空いてしまった。優太の顔はのっぺらぼうみたいになっている。
「ホワイトクリスマスに憧れるカップルっているじゃないですか」
「あー、あー!なるほどなるほど!なるほどね!」
 大袈裟なリアクションを取った。
「あれですよ。便所虫みたいな奴らってのは」
 便所虫みたいとまでは優太はさっきは言っていなかった。
 僕らは目的のホールまで辿り着いた。時間はまだかなり残されていて、何よりもまだサークルの話を一度もしていない。噴水が真ん中に見える芝生の広場(野音)で、自動販売機でミルクティーを二つ買い、ベンチに座ってもう少し話すことにした。
 鳩が二羽、どこからかやって来て、僕と優太の足を地面と同じようにその境なく、コミカルな動きで突っつき始める。彼らにとっては、僕たちのことも木やベンチとあまり変わりなく思えているかもしれない。それくらいに僕らは長閑な雰囲気を発していたのかもしれない。そういえば今日優太と初対面であることはすっかりともう忘れてしまっている。僕は友達はそんなに多い方ではなかったが、時々こういった人との出会いがあったのだ。
 ビラをそれとなく彼に手渡して、ミルクティーの蓋を開け、かちんと一緒に乾杯をした。
「え、、、?」 
 彼の顔がどんどんと暗く曇っていくのが僕には分かる。無理もない。これはいつものことだったが、それでもやはり僕のモチベーションはどうしてもここで一旦下がってしまいそうになった。どうしてだろう、どうしていつも、僕はこのポイントでつっかかってしまうのだろうか。どうしていつもここなのか。見た目か、雰囲気か、それとも、なんだろう、為人か、スムーズに受け入れられたことが、新歓をしていてまだ一度も訪れたことがなかった。これだけ頑張って新歓をしている人間なのに、その活動をしていると思われた事が一度たりとも経験がないのだ。一体、どこがだめなんだろう。
「英会話サークルなんですか、洋平さん」
 お決まりの返事はむなしくも僕の耳に慣れて来てしまっている。恐らく、見た目でも雰囲気でも為人でもなく、その活動をしていないというのがずばり答えなのだろう。僕はさっき、分からないという振りを分かってやったのだ。恥ずかしげもなく。そりゃあ、信じてもらえない、信じてもらえるわけがないよ。無責任じゃないか。いくら気持ちと考えがあって、言葉が綺麗であっても。
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