七章 トレメル村の消滅と現在 その3

文字数 5,491文字

 以上のようにスライムに襲われた後もトレメル村は存続していた。残された人々も懸命に村の復興に力を注いでいた。『スライムに滅ぼされた村』というのは事実誤認を通り越してデマゴーグである。しかし現実に今、トレメル村は地図上でも現実にも存在しない。
 トレメル村を滅ぼしたのはスライムなどではない。
 人間である。
 
 惨劇より二年後、隣国グラスヘイムとの緊張状態はピークを迎えていた。フンボルト州北部にある鉱山の所有権および採掘権をめぐり、両国は対立を続けていた。鉱山は両国にまたがっているため共同開発を持ちかけるグラスヘイム側と、あくまで鉱山は我が国の側にあり独自採掘を主張する我がフェルグ聖国との主張はどこまでも平行線だった。合計八回に及ぶ両国代表同士の話し合いは物別れが続いた。
 グラスヘイムでは「我が国の資産を簒奪する敵国を許すな」と戦争ムードが高まりつつあった。フェルグ聖国でも「鉱山を奴らに奪わせてなるものか」と、一歩でも領土に侵犯した場合は全力で叩き潰す旨を通達していた。国境を隣接するフンボルト州では国境警備兵を五百名増員し、侵攻に備えていた。
 
 そして一八一六年夏雲月七日、グラスヘイムは宣戦を布告。フンボルト州へと侵攻を開始した。
 クラスヘイムの西端にあるヴェルマイツ州から大部隊が国境を侵犯した、との報はただちに州知事から聖国の総理官邸に届けられた。時の総理ディードリヒ・ファーレンホルストはただちに軍を展開した。両国を横断する大動脈であるミーマ街道では両軍の主力同士が激突し、その日のうちにグラスヘイムに二百余名、フェルグ聖国にも百名を超える犠牲者が出た。
 グラスヘイムの侵攻は一カ所だけではなかった。グラスヘイム大将軍アルフレッド・セルヴァン=シュレベールは北から南まで合計七カ所からの同時侵攻作戦を進めていた。ミーマ街道で主力が戦っているうちに別働隊でフェルグ聖国内側まで攻め込むというものである。そのうち一つ、グラスヘイム軍ヴェルマイツ州方面部隊第二師団第十一部隊はトレメル山を越えるルートを進んでいた。峻厳な山越えにより二名の転落死者を出したものの、完全にフェルグ聖国の裏をかいて計画通りのルートを進んでいた。
 目標はトレメル村である。
 事件の起きたのは、同じく夏雲月七日である。ひどく蒸し暑い日だったという。
 夕方五時頃、見張り台にいた木こりのカルロが山を下ってくる軍隊を発見した。村では事件以後、見張り台を再建し、常時人を置くようにした。スライムなどの魔物が再度村に攻めてきた際にすばやく逃げられるよう、用意を怠っていなかった。見張り台からカルロが見たのは百を超える兵士による整然とした行進だった。ただちに異変を知らせる鐘が打ち鳴らされた。
 ほどなくして隊長らしき軍服の男が大声で開門を要求した。
 返事はなかった。
 塀の中では混乱の極みにあった。
 村長のスヴェンは州との打ち合わせのため不在だった。副村長に就任していたリードもその日は朝から夏風邪のため伏せっており、決断できる人間がいなかったのだ。第十一部隊は無反応を抗戦の合図と受け取った。攻撃開始の命令が隊長のピョートル・ハイネン大尉より下された。
 北門は頑丈に作り直されていた。これまでのラトリスの板塀にゾルフの樹液に加え、レミアカシの板にカジナラの樹液を塗ったものを交互に組み合わせてあった。だが、防衛対策はあくまでスライムなどの対魔物用である。
 魔物を退けるレミアカシの木も塗料に使われていたカジナラの汁も魔物の嫌がるにおいを発しはするが、火を使い、大砲を持った人間の軍隊相手に耐えられるものではなかった。スライムにも耐えた塀は鉄の砲弾の前に吹き飛び、焼き払われた。
 トレメル村はただちに占領された。

 この異変は村よりただちにふもとの村の駐留軍へ、そして州軍から州知事を通じて政府へと伝えられた。すぐに軍を派遣し、トレメル村を奪還すべきという意見も出たが、政府はそして軍は七カ所同時侵攻に完全に不意を突かれていた。街道の主力だけでも大変なのに南の港や北の穀倉地帯からも兵が攻めてきていた。
 山奥の小さな村は、優先順位が低かった。
 トレメル山を取られるのは戦略的にも痛手のはずだが、対応するだけの余力がなかったのだ。
 撃退しようにも当時のグラスヘイム軍は音に聞こえた強兵揃いである。戦線が膠着すれば長期化もあり得た。
 ところが、その危機はわずか五日後に回避された。
 グラスヘイム将軍セルヴァン=シュレベールに全面戦争の意志はなく、軍による威嚇のつもりだったというのが当時からの定説である。実際、そのまま侵攻を続けていれば泥沼化は免れず、民衆の不満を増大させるのは間違いなかった。もっとも最新の研究では、真逆の事実が明らかになっている。
 近年、密約の書簡が発見された。それによるとセルヴァン=シュレベールは全土もしくは半分程度まで攻め入るつもりだったようだ。他国への派兵と領土拡大により民衆の不満を目をそらせるつもりだったと明らかになっている。小規模に収まったのは、内外の抵抗勢力から予想を遙かに超える反対があったからだという。
 会談の結果、グラスヘイム軍は夏雲月十二日にフェルグ聖国から撤退する。トレメル村からも軍は引いた。
 たった五日間の占領ではあったが、トレメル村の被害は甚大だった。塀は焼け落ち、家も取り壊された。スライムに荒らされても耕していた畑も軍馬や軍靴によって徴発、あるいは徹底的に踏み荒らされた。代わりに村の南側には砲台の土台や有刺鉄線によるバリケードも作り始めていたという。グラスヘイム軍がトレメル村とほぼ占領したモーツブルク町では下士官から要望書がいくつか出されている。中には売春婦まで呼び寄せようとした記述も見つかっている。ただの示威行為ではなく、長期的な占領を考えていたのは間違いない。
 慰霊碑もその際に倒され、砲台を置く土台の一部に使われた。
 被害は建物や農作物だけではない。数名の負傷者を出したほか、村人一名がグラスヘイム軍とのいざこざで命を奪われた。
 猟師のケヴィンである。
 その一部始終を十五歳に成長したエーリッヒ少年は見ていた。

「軍服を来た男たちが、ね、みーんな立派な銃持ってね。今日からお前たちはグラスヘイムの臣民だ、なんて言うわけですよ。村にも銃を持っていたのは何人かいるけれど、そりゃあ軍人とは訳が違うからね。ああ、こりゃかなわないなと、銃を差し出して降参していたわけですよ。そこにあのオヤジさんが、ですね。建物の陰から猟銃を持って現れたんですよ。そう思ったらいきなりそいつをぶっ放したんです。次の瞬間には将校だか隊長だかの右耳から吹き飛んでいましてね」
 ――耳を、ですか?
「オヤジさんにすれば威嚇のつもりだったんでしょうね」
 ――村のみなさんの反応はどうでしたか?
「みんな真っ青な顔していましたよ。なんてことしてくれるんだって。私も思いましたもん。ああ、俺ここで死ぬんだって」
 ――それからどうなりました?
「当然、連中に反撃されましたよ。それで終わりです。蜂の巣なんてもんじゃなかったですよ」
 ――なぜ彼はそんな行動を取ったのでしょうか? 仮に徹底抗戦のつもりならゲリラ戦とかもっといくらでもやりようがあったと思いますが。
 すると氏はしばらく考え込んだ後、寂しそうにぽつりとつぶやいた。
「オヤジさん、死に場所を探していたんじゃないかなあ」
 ――死に場所、ですか?
「ニコラス、息子が亡くなって以来どうにも無茶な狩りばかりしていましてね。一人でこんな大きな熊を撃ち殺したり、私ら子供だったからすごいなあ、とばっかり思っていたんですけれどね、大人連中は青い顔していましたね。こんなこと続けていたらいつか命を落とすことになるって。今にして思えば、本当は猟師として猟の中で死にたかったのかなあ、なんて」
 ――しかし、最後は人間の軍人でしたよね、それも耳だけです。
「人間は撃たない、のがオヤジさんのモットーでしたけれど、村に攻めてきたのを見て自分の死に場所を決めたのかなあ、と。私の想像ですけれどね」
 ――ケヴィンの死体はどうなりました?
「軍に命令されて、私ともう一人が亡骸を手押しの荷車に乗せて、村はずれまで持って行きました。耳撃たれた軍人がさらし者にして見せしめにしろ、なんて喚いていましたけれど、ほら、夏のことですからすぐに臭いがするでしょうし」
 ――埋葬したのですか?
「本当はねえ、きちんと墓作ってあげたかったんですけれど、墓場の近くまで来て見張りの軍人が「ここでいい」と塀のあった辺りに穴掘らされて、そこに放り込んで土を戻しました」
 ――軍が撤退した後は?
「確か、何日か後にバルトのおやじさんが掘り返して火葬したと聞いていますが、私は見ていません。その時にはもう村を出ていましたから」

 バルトはその後、村を出てトレメル山を二つ越えたオックス山にあるクロル村へ移住する。二度と猟銃を取ることはせず、畑と馬を買って麦を育てた。生き残った村人、特に猟師たちの面倒をよく見た。生活の相談や仕事の世話、時には金を貸してやったという。その優しさが裏目に出た。騙されて多額の負債を抱え込むことになった。開墾した畑と家を手放すことになり失意のまま一八四二年に亡くなる。翌年、詐欺容疑で旧トレメル村出身の猟師ロビン・ヘースが逮捕され、実刑判決を受けた。ロビンは一八四七年に獄死する。彼とともに生き延びたエドガーは村を離れて以後、クレムラート村で商いを始めたが数年後に破産し、以後行方不明となっている。

 軍が撤退した翌日、ふもとの村で留め置かれていたスヴェンはトレメル村に戻ってきた。駐留した軍は惨憺たる爪痕を村に残していた。塀も焼かれ、残ったのは燃え尽きた家のがれきや炭となった家屋の梁だった。教会も侵攻の際、砲弾で柱や壁に風穴を開けられ、いつ崩れ落ちてもおかしくない有様だったという。スライムに家族や友人を殺され、やっとのことで持ち直し始めた矢先の出来事である。隣国の軍に家や畑を焼かれた村人たちに再建の気力は残っていなかった。
 仮に気力があったとしても現実問題として不可能な理由もあった。
 毒を撒かれたのだ。

 撤退時、第十一部隊にトラブルが起きた。
 当時、新開発されていた木材を枯らす毒液を開発していた。詳しい毒の成分は現在も不明だが、かつてグラスヘイム東部にタリザリチュという魔物が生息していた。七本足の巨大な蝗のような姿をしており、猛毒で植物を枯らし回った。現在では駆逐され絶滅したとされているが、グラスヘイム軍はこの魔物を捕獲し毒の成分を研究していた。後年の調査によると、この時撒かれたのはタリザリチュ由来の毒薬だという。タリザリチュの毒は実戦で使用するつもりだったそうだが、第十一部隊は封を解いてしまった。
 グライヘイムの左派系新聞『人民思想新聞』が一八六二年の万緑月十七日付の号でグラスヘイム軍第十一部隊の元隊員に取材をしている。それによると、毒液は気化が早く、数時間も放置すれば空気と混ざり拡散していく。そうなれば人体にも有害な影響を及ぼす。持って帰るのは不可能だったという。するとその原液をあろうことか耕作地に破棄した。
 開封済みの毒液を振りまき、部隊は村を去った。この事案は講話会議でも取り上げられたが、あくまで撤退時のトラブルによるものとし、意図的なものではないと釈明している。明らかな嘘である。どこの世界に銃で村人たちを脅しながら誤って毒液をこぼす軍隊がいるというのか。仮に封を解いてしまったのが本当だとしても、わざわざ畑にまく理由にはならない。安全に破棄する方法はいくらでもあったはずだ。この件について、まず疑問は命令があったのかどうかである。既に第十一部隊全員が冥界の住人になっている上、命令書らしきものも見つかっていない。明確なところは現在でも不明である。この時撒かれた毒は半世紀後も残り続け、冒頭で紹介した土壌汚染の原因になっている。
 グラスヘイムは現在でも意図的な毒の散布を否定している。

 ともあれ毒は撒かれ、畑を耕せなくなった。既に収穫間近だった根菜類は紫色に変色して枯れ果てていた。一度地面に吸い込まれた以上、毒性が失われるのは何年かかるかわからなかった。土を掘り返して入れ替えようにも労力は膨大である。肉はともかく小麦粉などふもとの村からの購入に頼るのは輸送コストがかかりすぎた。新たな耕作地を広げようにも場所も人手も何もかも足りなかった。
 スヴェンは村の今後について三度にわたり集会を開き、話し合いを持った。彼はトレメル村を再建不可能と判断した。
 村人たちもまた生まれ故郷を捨てる決意を固めた。
 スヴェンは州知事宛にトレメル村放棄の報告書を送った。その報告が州の地域課に届けられたのは三日後のことである。あわてた担当者が事態の確認のために村を訪れた時、もう半数近い村人が村を出ていた。出て行ったのは、ほとんど農家およびその家族であり、その大半が北の穀倉地帯に向かっていた。
 スヴェンは村を放棄した経緯を説明した。担当者は説得しようとしたが、誰も聞く耳は持たなかった。
 報告を受けた州知事はトレメル村が消滅したと正式に文書にて通達した。

 翌年よりトレメル村の名前は州の地図より削除された。
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