第三章 無知 その2

文字数 6,126文字

 村の中心部では今も祭りの最中である。村の外から銃声が何発も聞こえていたが、村の者たちは、異変を感じながらもまだ穏やかな空気を保っていた。肉を食べ、酒を飲み、太陽神への感謝を口にする。そのなごやかな雰囲気をぶちこわすようにケヴィンは、無言で方々のたいまつに火をつけて回った。

 どういうつもりか、と近づく村の者に対して彼はぶっきらぼうに言った。

「祭りは終わりだ。魔物が出た。スライムだ」

 抗議の声を聞くよりも早く、次のたいまつに火をつけて回った。

 ケヴィンからすれば、魔物が出て死人も出ているのだ。しかも血と肉の味を覚え、この村に向かってくる可能性もある。のんきに祭りなどしている暇はない。真っ暗な中でスライムに近寄られたらどうするつもりなのか。さっさと火をつけろ。

「スライムが出たって?」

「スライムってなんだ?」

「どうすればいいんだ?」

 慌てふためく声にかまわずケヴィンは教会へと歩き続けた。教会の扉を叩くと、こじあけるようにして中に入った。

 この時、教会に居たのは村長と神父、役場の職員だったリード(当時三十一歳)、そして猟師が数名集まっていた。職員というのは名目上で、実際は使用人のような立場だったという。ちなみにリードはクラリッサ氏の父親である。

「ああ、ケヴィン、どうした。銃声が聞こえたようだが、あの子たちはどうした?」

 村長ら居合わせた者たちに、ケヴィンは見たもの起きたことを淡々と告げた。巨大なスライムが出た。クンツは食われた。ほかの三人の生死は不明。こちらに向かってくるかもしれない。早急に対策を立てる必要がある。祭りを中止して女子供は全員家に戻らせろ。

 報告を聞いた村長はうろたえた様子で難色を示した。

「スライムが出たというが、本当にそれはスライムだったのか? 見間違いではないのか? 腹の中にいたというが、それは本当にクンツだったのか? 生きている可能性はないのか」

 言葉をつっかえさせながらそのような質問を投げかけたという。

「スライムであろうとなかろうと、怪物であることに間違いはない。事実ニコラスもバルトも見ている。あのガキのあばた面を見間違えるほど目は悪くない。スライムの腹の中で生きていられる人間などいるものか。瞳孔も開いていた。弾が当たっても何の反応もなかった。とうに死んでいる」

 そこで神父は顔色を変えた。

「あなたはクンツを撃ったのですか」

「腹の中の食いさしに当たっただけだ」

 死者をおとしめる意志はなかったそうだが、やはり時と場合による。

 神父はそこで激怒した。クンツの生死判断はいいとしても、なきがらの損壊は神への冒涜である。教会の教義ではなきがらは神聖なものであり、終末に現世に復活して神の王国を作る魂が戻るための器となる。土葬なのもそのためだ。ないがしろにしていいはずがない。おまけに死者への敬意も示さないとは、なんたる恥知らずか。

「じゃあアンタがスライムの腹の中から死体をとってくればいい。まだ骨くらいは残っているだろう」

 元々ドミニク神父は顔をしかめ、嫌悪感をあらわにした。ケヴィンは信心深い猟師仲間とは違い、週一回の礼拝にも顔を出さず、猟に出ているか家で酒を飲んでいる。偏屈者ではあるが銃の腕はいい。それだけに村の中での影響力は大きく、彼のマネをして礼拝をないがしろにする若者が多いことを、若き神父は苦々しく感じていたという。

 ケヴィンはケヴィンで神父を疎ましく思っていた。ドミニク神父個人が嫌いなのではなく、神や神に仕える職そのものを嫌っていた。何も作らず生まず、復活だの楽園だのと戯言だけを並べ立ててほどこしを受けるなど、詐欺師か物乞いの類だと本気で思っていた。そんな二人が折り合うはずもなく、普段は顔も会わさず口を開けば感情的な言葉の応酬になったという。

「あなたという人は!」

 今にも取っ組み合いになりそうな雰囲気をニコラスとリードがなんとかなだめ、今後の方針を決めようという流れに戻した。

 退治するという案はまず除外された。三ツ目オオカミ程度ならともかく、スライムと戦った経験のあるものは一人もいない。銃弾が効かないのは証明済みである。トレメル村付近で出現したという記録自体初めてのことである。焼けばいいとかいう話だが、それとて定かではない。


 混乱の理由はトレメル山系の特殊な事情にある。前述したようにトレメル村近辺ではラトリスやゾルフの群生地であり、葉からも魔物の嫌がる匂いが出ている。そのため魔物の生息数自体が極端に少ない。三ツ目オオカミや四つ手猿のような半獣半魔が年に数回、村の周囲に現れるだけだ。ケヴィンのような熟練の猟師であっても魔物に対する経験値が他の地域と比べて極端に少なかった。

 そのため魔物に対してろくな対抗策も用意していなかった。ゾルフの樹液を塗った板塀も明確な魔物対策を意識したものではなかった。スライムに通じるかも定かではなかった。下手をすれば板塀ごと溶かされる可能性すら考えられた。

 ケヴィンが主張したのは夜の間は防衛に徹し、朝を待って助けを呼びに行くという案である。トレメル村での通信手段といえば伝書鳩くらいだが、夜中には飛ばせない。前述のようにふもとへと続く道は、橋が壊れて通れない。当時はまだニールト街道も整備されていなかった。人が通れる道もあるが、曲がりくねった獣道である。どのみち真っ暗闇の中を下手に動けば二次被害を招きかねない。医者のいないトレメル村にとって大きなケガや病気は死に繋がる。

 朝まで交代で村の中へ寄せ付けないよう見張りを立て、朝になってから応援を呼ぶ。

 ふもとの村には州軍の駐留所がある。魔物退治も軍の任務の一つである。軍隊なら魔物用の装備も持っている。あるいは朝になれば、ねぐらに戻るかも知れないが、被害も出ている以上ここで始末しておくべきだ。

 ケヴィンは滔々と自説を主張したが、村長はとにかく村に散っている顔役たちの意見も聞きたいと言いだした。

「まだ全員集まっていないし、彼らをないがしろにして重大な決定をしたとあれば後で何を言われるか知れたものではない。全員そろってからもう一度判断を」

「村長はアンタだ、あいつらじゃない」

 ケヴィンは強硬に反対した。結論が決まっているのに、過程にこだわってどうする。

「時間がない。残りの三人も行方がわからない。一刻も早く祭りを中止して対策を立てるべきだ」

 村長も神父も不服そうではあったが、若者の命には代えられない。

 祭りの中止が決まった。

 中止決定のプロセスに関しては、『コルネリウス報告書』や事件後の証言でもさほど違いはない。

 ここでの問題はいつ、中止が決まったか、である。

 『トレメル村の悲劇』では二時間ほど延々と話し続けたと書いている。最短は『災厄の泥がもたらしたもの』ではリードの証言から十五分ほど、としている。『悲劇』の方では、祭りがいかに大事なものであったかを二ページにわたり解説しており、それ故に中止決定が遅れたとしている。『災厄の泥』の方ではリードの証言をそのまま引用しており、特に言及はしていない。どちらが正しいのだろうか。

 これまで語ってきたようにケヴィンは偏屈ではあるが、合理的な男である。

 繰り返し時間的猶予がないことを村の者に告げていた。

 それが無駄な会議で二時間も浪費するとは考えにくい。混乱の理由は記録の不備である。ここでの流れ自体は『報告書』にも記載されているが、いつから話を始め、いつ中止を決めたのかが書かれていない。

 祭りが始まったのは午後七時頃、ケヴィンたちがスライムを発見したのは午後八時から九時の間、といわれている。村までの移動距離やたいまつをつけて回った時間を考えても会議が始まったのは遅くても九時半頃。会議の時間はやはり長くても三十分程度だったと推測される。『災厄の泥』が、というより当事者であったリードの証言が正確であったということだろう。

 長々と会議を重ねて時間を浪費したという風評は少なくとも誤りであろう。

 方針は決まった。ケヴィンは北門に戻りスライムへの対策と行方不明者の捜索、村長は祭りの中止呼びかけ、男たちは北門へ集まり、女子供は家に戻るように指示を出した。ケヴィンが出て行った後、ドミニク神父は無言のまま顔を朱に染め、悔しそうに歯を食いしばった。

「神父様?」

 リードが話しかけるまでじっとケヴィンの出ていった扉をにらみつけていたという。


 ケヴィンらが北門へ戻ってきた時、すでに祭りでは禁忌とされるかがり火がたかれ、村の男たちが今後の方針を話し合っていた。真っ先に議題に上がったのは死体の確認されていない残り三人、モリッツ、ジムソン、ティムの安否確認である。

 すぐに人をやって探しに出そうという積極派と、夜では二次被害を招くだけなので朝になるまで待った方がいいという慎重派が対立していた。

 誰がどういう意見を出していたかは証言によってまちまちであるが、積極派はアドルフと木こりのジャコモ、消極派はバルトの名前を複数人が挙げている。この二人が中心になって意見を戦わせていたのだろう。

 どうせスライムに食べられているだろうから探さなくてもいいだろう、という意見はさすがに挙がらなかった。

「息子の生死を確かめて欲しい。もし死んだのならせめて形見の品だけでも持ち帰って欲しい」

 アドルフは先ほどの怒り狂った勢いは鳴りを潜め、哀れっぽく膝をついて頼み込んだ。父親の心情から言われては反対意見は出しにくい。子を持つ親も大勢いる。

 捜索には再びケヴィンとバルトが出向くことになった。先ほどのやりとりもあり、アドルフは不平そうだったが、ケヴィンが適任なのも確かだった。捜索にはケヴィンたちのほかに猟師のロニーとヤン、積極派の代表格であるジャコモが加わった。ニコラスは残って村の警護に当たることになった。人数を絞ったのは、やはり夜間であり、大人数で行けば二次被害を招きかねないことが理由だったようだ。もっと大人数で行くべきでは、とアドルフは主張したが、本格的な捜索は翌朝に村総がかりで行うことを条件に自説を取り下げた。

 ジャコモはモリッツの父親である。当時四十七歳。息子と同様、筋骨隆々の大男だったが、息子以上に気性が荒く、強くなければ男ではないと信じている男だった。この時も普段のような豪傑ぶりを口にしていた。

「息子の仇は俺がとってやる。なあにスライムなんぞ俺の斧でイチコロよ」

 腰に手斧を差し、貸し出された猟銃を手に息巻いていた。ほかにも北の森に慣れたものや夜目が利く者もいたが、全員祭りの最中だったこともあり酒をしたたかに飲んでいた。ロニーとヤンは下戸で、ジャコモは酒より飯で、飲む前に腹が膨れていびきをかいていた。

「探す前から死んだような口ぶりじゃねえか、おい」

 ジャコモの放言を聞いた村の男たちは鼻白んだ。特にバルトは今にもぶん殴りそうな雰囲気だったという。彼も子を持つ親である。行方不明の子供をあっさり死んだと言い放つ神経が信じられなかった。

「気にするな」ケヴィンは銃の手入れをしながら興味もなさそうに言った。

「俺もそう思っている」

 何事にも例外はつきものである。

 すぐに具体的な方針が立てられた。まずは捜索隊を二手に分ける。スライムの位置確認のためだった。移動速度が遅いと言っても時間が経っている。おそらく、ケヴィンらを追いかけて村の近くまで来ている。位置を確認したらスライムを村から遠ざける。その間に行方不明の三人を捜索する。救助が最優先、死亡していれば死体あるいは遺品を回収する。

 スライムを村から引き離した後は、夜明けを待って手はず通り、ふもとのクレムラート村まで応援を呼ぶ。方針は村長の許可を得て、ただちに実行に移された。


 見張り台の痛みかけたはしごを上ると、冷たい風が吹き抜けた。春から夏に移り変わろうかという季節ではあるが、トレメル山から吹き下ろす夜の風は容赦なく体温を奪っていく。一瞬身を縮こまらせて、わが身の不運を呪ったが、おかげで酔いも冷めるかと猟師のロビンは気持ちを切り替えた。

 事件当時、三十歳。痩せぎすで目が鋭く、夜でも夜目が利くことで有名な男だった。先ほど村長より北門の見張りを仰せつかることになった。門の外で見張っていたモリッツたちが行方不明になったため、門の内側から見張るべきだという案が出たためだ。

 スライムが出て、クンツたちが殺されたなどという話を正直信じられなかった。ケヴィンのことは猟師として尊敬はしているが、何かの見間違いだろうと思っていた。酒臭い息を吐きながら酔いのまわった目を凝らし、山頂へと続く道を見下ろし、さっと血の気が引くのを感じた。

 ケヴィンの言うとおり、赤紫色をした粘液の塊が北門の近くにやってきている。間違いではなかったのだ。

 ゆっくりではあるが徐々に村まで近づいているようだった。

 北門が開かれ、ケヴィンら捜索隊が外に出た。

 門は即座に閉じられた。入れ替わるように見張り台に農家のエドガーが上がってきた。二人で北側の見張りに立つ。

 エドガーは村の出身ではない。元々は山を越えたロッシャー村の生まれである。

 トレメル村とロッシャー村では一七〇〇年代後半から定期的に村主催でお見合いを開いていた。嫁不足(あるいは婿不足)を防ぐための方策であり、三年に一度、年頃の男女を引き連れてどちらかの村にやって来る。ケヴィンもこのお見合いで妻を得た。

 エドガーは女房がトレメル村の生まれであり、婿入りの形でやってきた。最初はとんだ田舎の村だと思っていたが、住んでみればいい村だった。ロッシャー村ではしょっちゅうゴブリンに悩まされていた。畑の作物をかすめ取っていくのは珍しいことではなかった。猟銃で脅かしてやるのだが、一度は逃げ出すのだが、すぐに戻ってきて畑を荒らしていく。

 トレメル村では畑を荒らす魔物もほとんど現れず、猟師連中が定期的に獣を狩っている上に大きな板塀のおかげで安心して畑を耕すことができた。

 それなのに、今、吐瀉物みたいな化け物が村の周りをうろついているという。話に聞いてはいたが、エドガーはスライムを見たことがなかった。スライムはロッシャー村にも出てこない。


 北門の上に据えられた見張り台は、前述したように板と丸太とを組み合わせた簡易的なものだった。腰くらいの高さまでの手すりがあるだけで屋根もない。

 念のためにと猟銃も用意してあるが、スライム相手に通用しないのはケヴィンが実証済みである。弾が切れた時に備えて鍬やフォークも持ってきてあるが、これを使う時は自分の命はないかもしれない。本当に大丈夫か、と心許なさを抱えながらエドガーはケヴィンらの背中を見つめていた。
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