第7話

文字数 2,392文字

 中井が列車に乗ってから30分程経過した頃、目標の駅に到着した。
 列車はプラットホームに停車した。
 中井はリュックサックと丸筒を肩にかけ、列車を降りて階段を降りた。改札口の自動精算機をSuicaの認証で通過し、駅を出た。
 眼前に池がある公園があり、中層住宅が周辺に並んでいた。
 中井はスマートフォンの電源ボタンを押した。暗証番号の入力画面が映っている。指で暗証番号を入力し、地図を表示するアプリケーションを起動した。地図は現在位置と喫茶店までのルートを表示している。現在位置を確認しながら案内通りに進んだ。
 公園から離れ、中層住宅が広がる土手が近い通りに来た。
 中居は奥へ進んだ。
 緑色の金網で区切った駐車場があり、奥に木造の建物がある場所に来た。木造の建物は古ぼけており、壁は白いペンキの一部が剥げていて、「White」と、ゴシック体の赤い文字が書き込んである。駐車場の入り口には木でできた看板が2つ立っていて、一つは日付とおすすめのメニューが書き込んであり、もう一つはメニューと共に絵画教室の開催日と案内を示した紙が張り付けてある。
 中井は駐車場に入り、建物に近づく。同時に携帯ラジオの音源ボタンを押して切り、イヤホンを外した。
 建物のドアの前に移動した。
 中井はドアをじっと見つめた。不安になり、脈動の乱れを覚えた。大きく息を吸い、ドアノブに手をかけた。力を入れてドアを引いた。
 ドアは簡単に開いた。ドアの天辺に付いているドアベルが乾いた音を立てる。20畳程のスペースに喫茶店があった。
 柱とはりは黒く塗ったエボニー材でできていて、壁はしっくいで構成している。入り口の隣は会計を兼ねたカウンターがあり、重厚なクラシック音楽が天井に付いているスピーカーから流れていた。奥のテーブルは柱と同じ色でツヤを放っている。椅子やソファもテーブルに合わせた色を基調にしていた。
 奥の壁には額縁に入った絵が並べて飾ってあり、ギャラリーに似た光景を作っていた。2人の老婆が壁際のテーブル席で話し込んでいた。
 中井はドアを閉めた。ドアベルの音が再び鳴った。
「いらっしゃい」マスターは中井に声をかけた。
 マスターは白髪交じりの短髪で、あせた灰色の前掛けをしている。隣にはマスターと同年代の女性が立っていた。
 中井は落ち着かない動きで見回し、奥の空いているテーブル席に目を付けた。慎重に歩いて席に向かい、椅子を引いて座った。肩ににかけているリュックサックと丸筒は椅子の脇に置いた。
 マスターは中井の席に水の入ったコップを持ってきた。
 中井は頭を下げ、テーブルに乗っているメニューを見た。コーヒーの種類の多さと値段で、眉をひそめた。偶に食べるファストフードのセットと同等の値段だ。他のセットメニューに目を向けたが、見覚えのない名前だった。メニューに書いてある「モカ」の文字を注視した。
「す、す、す、みま、せん」中井はぎこちない声をカウンター席に向けて発した。
 女性が中井の元に近づいてきた。「ご注文ですか」
「はい、モモカを」中井はテーブルに広げたメニューのうち、モカを指さした。
「モカですね。ホットですか、アイスですか」女性は中井に詳細を尋ねた。
「ええと、アイ、スで」中井はあいまいに答えた。
「はい、分かりました」女性はメモを取り終え、カウンター席に戻った。
 中井は壁に飾ってある絵を見た。水彩や油絵、素描の絵が飾ってある。素描で描いてある絵に目を向けた。丸筒に入っていたのと似た構図の杉の絵で、完成している。席を立って杉の絵を眺めた。杉の絵は幹から枝に至る線を濃いめに、樹皮の模様は丁寧に描き込んである。
 隣の席で話し込んでいた老婆は、絵を見ている中井を見て立ち上がり、近づいた。「絵に興味があるのかい」中井に話しかけた。
 中井は声がした方に目を向けた。老婆は中井の隣りにいた。知らない人間は気軽に話しかけてくる事態に驚いた。「え、えと」
 老婆は中井の口調に一瞬、眉をひそめたが、すぐに元の温和な表情に戻った。中井が座っていた席を見て、椅子の足元にある丸筒に気づいた。「絵を描いているんだね」
 中井は返答に困った。
 老婆は中井の表情を見てうなづいた。「丸筒に入っている絵を見せてくれないか」中井に尋ねた。
 中井は困惑した表情で丸筒を拾い、フタを開けた。指を入れて入っている絵を取り出し、テーブルに広げた。絵は丸まっていて、手で抑えた。
 老婆は中井が広げた絵を眺めた。中井は神妙な表情で絵を見ていた。
 マスターが盆にモカの入ったグラスを乗せて中井の席に持ってきた。グラスと伝票をテーブルに置く前に乗っている絵に目を向けた。「大沼植物園の杉ですか」
「わか、るんですか」中井は声を上げた。
「10年位前かな。女の子が突然入ってきて、続きを描きたいと絵を出してきたんだ。同じ構図の絵でね」マスターは壁にかけてある杉の絵に目を向けた。
「続き、です、か」中井はつぶやいた。
「体の傷が多い子だった。警察を呼ぶにしても嫌がっていて、名前も身分も偽りかもしれないから、深く対応できなかった。彼女が持ち込んで描き上げた絵と似た構図だ」マスターはグラスと共にストローをテーブルの端に置いた。
 茶色のモカが円筒形のガラス製のグラスに入っていて、正六面体の透明な氷が3個浮かんでいる。
 中井は絵を丸め、丸筒に入れた。「え、ええと、来た人って、もしか、して高橋、って人ですか」マスターに尋ねた。
 マスターは驚いた。「では君は、まさかと聞きますが、中井さんですか」
 中井はうなづいた。「は、はい。中学生の時に一緒で、よく絵を描いていました。体中が傷だらけの女の子、ですよね」メモをズボンの前ポケットから取り出し、老婆とマスターに見せた。
 老婆とマスターはメモを見た。メモは無数のシワが付いている。住所と名前は今いる喫茶店を示していた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み