第1話

文字数 1,754文字

 中井は女性の事務員の案内で、事務所の打ち合わせ室に入った。
「待っていてください」事務員は冷徹な表情で淡々と言い、間仕切りと間仕切りとの間にある、人が通る幅の隙間から出た。
 中井はテーブルに収まっている椅子を引き、手に持っているカバンを脇に置いて椅子に座った。きしむ音が椅子から聞こえた。落ち着かない目で本棚に目を向けた。
 本棚は一般家庭と無縁の、漢字の多い本が無造作に並んでいる。本は大きさも順序も粗雑に並べて敷き詰めてある。中央のテーブルには何も置いてない。面は磨いてあり、天井の蛍光灯を反射している。
「何で来るって言わないんですか」事務員の怒り混じりの声が間仕切りの先から響いた。
「仕方ないだろ、呼ばないとうるさいんだ」男のなだめる声が間仕切りの先から響く。「面倒なら適当な理由を付けて追い返せばいい。誰も文句は言わない。報告なら俺が適当に書いておくから」
「何で私が追い返すんですか、来いって指示したのは誰なんですかね」
 舌打ちの音がした。
 間仕切りの隙間から面接官が入ってきた。面接官は黒髪で、ポマードでオールバックに固めている。
「よ、よ、よろし、くお、願いします」中井は立ち上がり、頭を下げた。
 面接官は中井の口調に不快な表情をし、胸を見た。リクルートスーツからは胸の膨らみを確認できない。「座れ、緊張しているのか」
「い、え」中井は面接官の指示に従い、椅子に座った。
 面接官は椅子に座った。「履歴書と職務経歴書は」
「は、い」中井はカバンから白い封筒を取り出し、男の側に向けてテーブルに置いた。封筒には何も書いておらず、シワができていた。
 面接官は受け取り、不器用にのり付けしてある頭を引き剥がし、中身を取り出した。中身は書類が入ったクリアファイルだった。クリアファイルから1枚のA3用紙の履歴書と、2枚につづってある職務経歴書を取り出して眺めた。「何で辞めたの」中井を見ずに問いかけた。
「ま、前の仕事、ですか」中井は喉から出る声に詰まった。息を飲み込み、緩やかにはいた。
 面接官は不快な表情のまま、中井をにらんでいる。
「前の仕事はええと、業務がす、す、少なくて」中井はぎこちなく声を発した。
 面接官は中井の口調に不快さを覚え、露骨に舌打ちをした。「いいよ、お前いらない」抑揚のない声を出し、職務経歴書と履歴書をまとめた。
 中井は面接官の言葉に眉をひそめた。
「うちは経験が豊富な人材を採るんだ、話し方もおかしいから使えない。帰って」
 中井は面接官の言葉を聞き、一瞬顔が強張り足に当てている手を握った。
「大体さ、頭もしゃべりも狂っているのに、何で応募したのかよく分からないんだよね。適当な所に送れば拾ってくれるなんて、甘い妄想は見ない方がいいよ、うちも価値はなし、て判断しているんだ、雇ってくれる場所なんてないよ。社会の邪魔だ、出なくていい。諦めて引きこもれば」面接官は抑揚のない調子で、表情を変えずに中井に話を始めた。「貧相な体を使っても無駄だよ。俺、胸がない女は趣味じゃないから。胸をでっかくしてから来てね」
 中井は一瞬、不快な表情をした。
 面接官は立ち上がり、まとめた職務経歴書と履歴書を持って間仕切りの隙間に移動した。
 中井は席から立ち上がり、空いたままのカバンのファスナーを閉じて取っ手に手をかけた。丁寧にテーブルに引き込んだ。カバンを持って出入り口の閉じたドアに向かい、ノブを回して開けて外に出た。
 ドアが閉まった。
 面接官は職務経歴書と履歴書を振った。「捨てといて」奥にいる事務員に話しかけた。
 事務員が面接官に近づいた。「自分でやってよ」書類をひったくる動作で受け取り、奥に移動した。設置してある業務用シュレッダーに近づき、スイッチを入れた。シュレッダーのモーターが動きを始め、鈍い音を立てる。表情を変えずに投入口に職務経歴書と履歴書を重ねて放り込んだ。
 シュレッダーは書類を飲み込み、裁断した。裁断が完了し、モーターが自動で停止した。
 事務員はスイッチを切り、席に座った。席はパソコンのディスプレイとキーボード、マウスが置いてあり、ディスプレイには未解決の用件を書いた付箋が大量に貼り付けてある。脇には写真立てが置いてあり、整った顔つきと細い線をしたアイドルのブロマイドが入っている。
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