第11話 誕生日パーティ

文字数 1,812文字

夏が訪れようとしていた。
雨は通り過ぎていき、強い日差しに汗ばむ日が増えてきた。

今夜の『ザキブルー』は、貸切満員御礼、客は大入りだった。それもそのはず、新しい店主であるおやっさんの、五十三回目の誕生日だったのだ。
「佐藤さん、おめでとう!」「誕生日おめでとう!」
開店直後から口々にそう言い次々やってくる常連客で、溢れかえった。皆それぞれ、手には花束やプレゼントの入った手さげ袋を持っている。今夜は無礼講で飲食物もなんでも持ち込みOKだった。誕生日ケーキを買ってきたおじさん、手作り菓子を焼いてきたおばさん、ピザや特上寿司を配達してもらう客たちもいた。
「こんなに食べきれんがね!」
おやっさんは困ったふうに言いながらも、嬉しそうだった。俺も風船や旗、折り紙などで店内の装飾をがんばった。スピーカーを置いている壁には、金色に煌めく『HAPPY BIRTHDAY』のバルーン文字が、ハートや星と共に飾りつけられている。普段はバラバラに置かれてある四人掛けテーブルも、すべて中央に寄せ集められた。もう店というより、完全におやっさんの家になっていた。

「今夜は佐藤さんの誕生日じゃけ、コルトレーンじゃね! 一晩中コルトレーン祭りじゃ!」
毎日のように通い大声で騒ぐ、年配の男性が指揮を執った。
「童貞くん、早よ!」と命令され、俺は顎で使われた。でも今夜は何を言われても文句を言わず、徹底して盛り上げ役に徹するべきだ。俺はジョン・コルトレーンの『マイ・フェイヴァリット・シングス』を、かけた。リズミカルなピアノとサックスが、店内をより陽気にする。早くも酔っぱらって、手と手をとり踊りだす客、歌いだす客、酒のボトルをラッパ飲みする客までいて、大いに盛り上がった。

その時、上部に取り付けられた鈴がちりんと鳴ってドアが開き、一人の美少女が入ってきた。胸元に花柄のレースをあしらった薄桃色の半袖ワンピースを着ている。店のあちこちに浮かんでいた白やピンク、金色の風船が美少女の登場を引き立てるよう舞った。まるでこのために用意された演出のように見えた。
俺は、風船に囲まれた美少女に目が釘づけになった。間違いなく、見慣れたあの美少女だった。

「かなでくううぅん!」
「あおくううぅん!」

俺たちは互いに駆け寄ると人目も(はばか)らず叫びながら、抱き合った。わあっ、と店全体に地響きがするくらいの歓声が湧き上がった。

「ありのままの自分で、生きるんだ」
俺から体を離すと、奏は言った。
「さっき、野毛の女装バーに面接に行ってきた。即、採用だって」
嬉しそうに、これまで見たことがないくらいのはしゃいだ笑顔を見せた。
「すごい! すごいよ、かなでくん! こんなに可愛いんだから、即採用に決まってるよ」
「だあれ? もしかして碧くんの新しい彼女?」
常連客のおばさんが、俺たち二人を椅子から見上げながら言った。それと同時に、「碧くん、彼女が出来ておめでとう!」「童貞卒業おめでとう!」そこらじゅうの常連客たちが、次々声をかけてくる。
だから、童貞じゃねえっつーの。奏が誤解したら、どうすんだよ。すぐ近くから見守っていたおやっさんが、遠慮がちに歩み寄ってくる。

「どうも初めまして…碧の叔父の佐藤といいます」
「初めまして。青山奏っていいます」
奏は長い茶色の髪を揺らして、ぺこり、と頭を下げた。
「奏ちゃん、か。ひょっとして奏でる、って文字を書いて、奏って読むの? いい名前だねえ。どこでもいいから、そのへんの空いている椅子に座って。置いてあるもの勝手に食べて」
おやっさんは、奏を本物の女の子、俺の彼女だと思い込んでいるふうだった。
「こんなヤツですけど…これからも碧のこと、よろしく、お願いします」
硬く緊張した面持ちで、頭を下げた。
「おやっさん! 何も結婚の挨拶に来たわけじゃないんだから。近くまで来たから、立ち寄ってくれただけなんだって」

俺と奏は、すぐ後ろにあった窓際のソファーに座った。俺はシャンパンとグラス二つを急いで取ってきた。
「とりあえず、採用のお祝いに乾杯しよう。今日はちょうどおやっさんの誕生日パーティで、お祝いムードなんだ」
「そうなの? だから『貸切営業』の札がかけられてあったんだ。全然知らないで、手ぶらで来ちゃった。改めて出直さないと」
「硬い話は抜きにして、今夜はおめでたい日なんだから思いっきり楽しもう。見た通り『中高年の集いの場』みたいなとこで、かなでくんには似合わないと思うけど」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み