第6話 ブルー・コンビ

文字数 2,114文字

『ザキブルー』は、月曜日が定休日だった。
俺は体をゆっくり休めながら、奏から借りたCDをパソコンで聴いていた。聴きながら、あの子のことを想った。物音もしないが、普段一体何をやっている子なのだろう。夜も日中も出かけているのを見たことがないと噂になっていると聞いた。普段の買い物など、どうしているのだろう。

気になって、やはり昼過ぎインターホンを鳴らしてみた。前回と同じ服装をした奏が出てきた。
「これ。借りていたCDありがとう。それからこれは…」
マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』と、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』、紙袋から取り出した二枚のCDを見せた。
「貸してくれたお礼に、きみにあげる。きみと、それから楓さんに」
「下心ありですか?」
「下心ありです」
奏は笑って、「また紅茶飲みます? 」と奥に入って行った。導かれる形で、「お邪魔します」と中に入った。部屋の中は、変わらずきちんと整理された『女の子の部屋』だった。

俺は、背もたれがハート形になったピンク色の座椅子に座らされた。奏はベッドに座って、もの珍しそうに貰ったCDを眺めている。
「確認しなかったけど、もしかして聴いたことあったかな?」
「昔のジャズは、ちゃんと聴いたことがないんです。名前だけは知っているんですけど」
やっぱり。俺もそうだもん。奏は立ち上がって、電気ケトルでお湯を沸かし始めた。
「きみから借りたCD、すごく良かった。俺、パット・メセニーのファンなんだけどさ。『メセニー・メルドー』ってアルバムとなんだか雰囲気が似てると感じたよ」
「機会があったら聴いてみます」
「部屋にあるから、今度貸すよ。よかったら感想聞かせて」

奏は硝子製のティーポットで、紅茶を淹れてくれた。『カインド・オブ・ブルー』を買って聴いてみた時、なんとなくビル・エヴァンスのピアノが奏に合っているように感じた。ジャズ・ピアノというよりも、クラシック・ピアノのような繊細な演奏だった。それで『ワルツ・フォー・デビー』も買い足したのだ。

ピンクの花柄をあしらったティーカップと、マグカップがテーブル上に置かれた。奏は両手でマグカップを持ち、息を吹きかけながら紅茶を飲んだ。
「こうやって他人と話しながらお茶を飲むなんて、久しぶりです」
クマのぬいぐるみを背もたれにして、再びベッドに座っている。
「俺も。こうやって若い子とジャズの話が出来るなんて、すごく新鮮に感じる。勤め先のバーは、中高年ばかりでさ。そういえば俺は二十四歳なんだけど、きみは…」
「二十一です。姉は、二個上の二十三」
楓さんって、俺とあんまり変わらないんだ。一見もっと年下に見える。聞きにくいけど、まだまだ聞きたいことがある。

きみは、本当に引きこもりなの? 学校には行かないの? アルバイトはしないの? 食材とか日常生活に必要な買い物はどうしてい…

「僕は、俗に言う引きこもりなんですよ。鬱だし対人恐怖症で」
質問が顔に出ていたのか、先手を打って奏は言った。
「近所の人が、僕のことを悪く言っているのは知っています。だからなるべく顔を合わせないよう、外出も必要最低限で。インターホンが鳴っても勧誘のことが多いし、出ない時があります」
あ、それか。それで最初の訪問の時、応対してくれなかったのかな。
「でも、全然そんなふうには見えないよ。俺ともすごく自然に会話出来てると思うし。きみはお姉さんと似てきれいな顔してるし」
多少顔が青白く痩せていて、キレやすい一面はあるみたいだが。奏はそんな俺の心を読んだかのように、
「そんなことないです。すぐにイラッとしてキレたり、暴言を吐いたりする不安定な時があります。高校の時から引きこもっているんですが、それで実家に居づらくなって、姉を頼ってここに住まわせてもらっています」
まっすぐ目を見て言った。

「住んでいて、何か困ったことはない? お金とか食べるものとか…」
「お金や食べるものは、姉が定期的に帰って来て置いていってくれるんです。それにいまは外出しなくても、なんでもネットで買えるんですよ。食材はネットスーパーで購入したりしてます」
ベッド脇の白いチェストに、ノートパソコンとタブレットが置かれているのが見える。それらを使用しているのかなと思った。
「食べるものは、なるべく自炊して節約するようにしています。姉に少しでも、迷惑をかけないように。僕、わりと料理は得意なほうなんですよ。今度君島さんにも、何か食べたいものあったら作ります」
「ありがとう。俺は料理全然だめだから、そう言ってもらえると助かるよ。バーにもナッツとかチーズとか、そんなもんぐらいしか置いてないしね。ええと、それから…」
「なんですか?」
「きみのこと、これからかなでくん、って呼んでいいかな? なんて呼んだらいいのかわからなくって」
奏は初めて、無邪気な屈託のない笑顔を見せた。可愛い、と素直に俺は思った。
「じゃあ僕も君島さんのこと、あおくん、って呼んでいいですか?」
「いいよ。かなでくん」
「あおくん。そういえば青山と碧で、青碧(あおあお)ブルー・コンビですね」
「ほんとだ」
俺たちは、顔を見合わせて笑った。この日、ずいぶん距離が近くなったように感じた。

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