第19話 時間切れ

文字数 4,783文字


「またも伏兵です。牧野康成様が応戦中ですが、敵の勢い強くお味方は劣勢です」
 伝令の声が家康の本陣に響き渡る。
 何とも手強い敵だった。
 曳馬城でその威力を十分に発揮した南蛮気道で、敵の城門を破壊したいのだが、城門にいたるまでに仕掛けられた敵の伏兵や罠に阻まれて、石川和正の隊のスペースを作ることができない。
 南蛮気道を放つには武気を集中させるための時間が必要で、その間部隊守備力はほぼゼロとなる。クロスを持った兵が傷つけられたら南蛮気道を使えなくなるので、十分な安全を確保した発射スペースが必要なのだ。
 結局南蛮気道を用いても、通常の城攻めと同じく、守備兵力を上回る大軍が必要なことがこの戦いで判明した。
 おそらく敵の守将朝比奈泰朝は、この短期間で曳馬城の徳川軍の戦い方を十分に研究し、一番の脅威である南蛮気道の弱点を探り当てたのだろう。

 曳馬城を落とした勢いで、楽勝ムードが漂っていた家康の本陣に、小さな混乱が生じ始めていた。城門破壊後の突入用に、本陣に控えていた旗本先手衆が騒ぎ始めている。鳥居元忠(とりいもとただ)大久保忠世(おおくぼただよ)が、懸命に動揺した味方を静めようと走り回る。

 忠勝は隣を見た。そこには周りの騒ぎを無視して、家康の表情を観察する康政の姿があった。若き家康は激情家だ。こう何度も味方の劣勢を聞いては、自ら最前線に飛び出しかねない。それを抑えるのが康政の仕事だ。
 だが、今日の家康は冷静だった。

「忠勝、騎馬隊二十を率いて、伏兵が現れた地点を全て叩いて回れ」
「かしこまりました」
「いたるところに馬止の罠が仕掛けてある。地形に注意して進め」
「承知でございます」
 戦いの序盤で、酒井忠次直下の騎馬隊が、敵の落とし穴に掛かって壊滅的な打撃を受けた。この戦いが難しくなった原因の一つである。


 忠次は騎馬隊の機動力を活かして、敵の伏兵の出現に合わせ、テンポよく撃退して回った。戦いの中で忠勝は二つの事実に気づく。
 一つは、敵の伏兵の部隊数は、それほど多くないということだ。部隊数は多くないのに際限なく現れるように感じるのは、伏兵として潜む場所が多いからだ。朝比奈軍はこの戦いが始まる前に、丘陵の窪みや草むらに兵が隠れる塹壕を掘りまくっていた。
 伏兵部隊は、味方の隙をついて急襲すると、敵の混乱状態を確かめるとすぐに退く。退いた先に埋伏場所があり、そこで敵を待ち再び急襲する。結果として序盤の騎馬隊以外、味方の被害はそれほど深刻ではない。だが、城攻めにかかるまでに多くの時間を費やしていた。

 明らかに時間稼ぎの戦略だ。時間をかけて待っているのは、間違いなく駿府からの援軍、それも今川軍ではなく、北条と武田の連合軍だろう。
 だが、駿府に放った徳川の間者からは、今川方の援軍の話は届いてない。両家の軍が駿府に現れてない以上、敵援軍の到着まで少なくとも三日の猶予はあると思っていい。

 忠勝は伏兵を迎え撃つにあたって、蹴散らすだけでなく、次の戦闘が不可能になるぐらい徹底的に追い詰めることにした。
 だが敵は忠勝の騎馬隊が追い討ちをかけると、必ず犠牲になることを覚悟で、殿兵が立ち塞がり、仲間を次の埋伏場所に逃がした。驚くことに殿兵は死ぬまで抵抗を続けた。
 忠勝はこの迎撃を、伏兵部隊全員を戦闘不能にするまで、続けねばならないと覚悟した。
 今川軍は他家の助けを借りなければ、援軍もすぐに編成できない程、統制が取れてないはずなのに、戦場に出てくる一人一人の兵の士気はすこぶる高い。
 つまり援軍を出せないのは率いる将がいないだけで、一般の兵士たちはこの地の今川の治世に満足し、失いたくないと強く思っていることが窺える。
 それが二つ目に気づいたことだ。

 今川義元という恒星を失い、今川領は暗闇に閉ざされていると思っていたが、侮るなかれ治世者として見た今川氏真は、義元に引けを取らない恒星のようだ。
 氏真の器を見誤った武将は、皆今川から去っているが、それでも残った将は氏真を信じる目を持った良将だ。その一人である朝比奈泰朝は確かに強かった。

 激しい抵抗に手を焼いたが、およそ二刻ほど費やし、忠勝は伏兵を掃討し終わった。これで城門迄の道が確保される。
 南蛮気道部隊が城門攻撃の配置につく。
 準備が整ったところで、石川和正が部隊の後方に立ち、攻撃開始を告げようとしている。
 忠勝は徳川で最も洒落者とされる和正の理知的な顔が、武気の高まりでどす黒く変色していることに気づいた。
 武気は個人差が大きい。特性の違う武気が合わされば、互いに打ち消し合って効果が出なくなってしまう。南蛮気道は三人で合わせた武気を一組として、更に部隊全体でも相互に干渉する。部隊の中に違う特性の武気が混じれば、当然威力が落ちてしまう。よって部隊長は自分の武気を触媒として、各兵士の武気の特性を一つにまとめる。その役を和正が担っているのだ。
 今全部でニ十組、六十名の武気が和正によって一つにまとめられている。その負担は決して小さくないのだろう。

「撃て!」
 和正の号令に合わせて、南蛮気道で強化されたニ十本の矢が、城門目掛けて放たれた。

 ドゴーン!
 凄まじい破壊音がして、城門は周囲の壁ごと跡形もなく粉砕された。
 それを見て和正が、へなへなと膝をつく。

「進め―」
 酒井忠次の怒号が前線に響き渡った。
 東三河衆が騎馬隊の借りを返せとばかりに、ぽっかり空いた空間に殺到する。
 もしかしたら、一日で掛川城が落ちるかもしれない。
 忠勝の脳裏に最悪の事態を回避する希望の光がさしたとき、城門前に火の壁が立ちふさがった。城方はあらかじめ城門前に、油を浸した布を敷き詰め、火矢で着火したのだ。
 最前線の兵士が火にくるまれる。追い打ちをかけるように櫓から嵐のように矢を射かけられた。

(そうはうまくいかぬものだ)
 忠勝は自分の甘さを反省した。西から来る軍が気に成って、正常な判断力に欠けていた。
 自分だけでなく、攻め手全体に敵援軍に対する焦りが見える。でなければ、酒井忠次ほどの歴戦の将が、こんな単純な火攻めにおめおめとひっかかりはしない。
 寄せ手の指揮を執っている忠次は、味方の犠牲が大きすぎるとして、兵をいったん下がらせ、火が消えるのを待つことにした。ところが、火はなかなか治まらず、結局陽が沈んだため、この日の戦いは終わりとなった。


 家康本陣のかがり火の下で、諸将が家康を囲むようにして、明日の戦いに向けた評定が為されていた。
 集まった諸将は、誰もが掴みどころのない感覚に包まれたような顔をしていて、明日に向けての発言も、武将とは思えぬ語尾のはっきりしないものが多い。中でも序盤に騎馬隊を潰されて、度重なる伏兵に悩まされた忠次は、その度合いが強かった。

「今川は強いのう。兵の士気だけで言えば、義元公の時代よりも高いかもしれん」
 家康が今日の戦いの不手際を総括するように言った。
 諸将の目が一斉に家康に注がれる。
「それに対して、我らは必要以上に相手を貶めて見下しいた。だから落とし穴、伏兵、火攻めなどのよくある策に、簡単に嵌ってしまった。信長殿が桶狭間で義元公を鮮やかに討ち取ったことで、我々の心に油断が生じたのだろう」
 誰もが声が出ない。言われてみれば最後の火攻めにしても、風向きを考えれば十分に想定できたはずだ。相手が予想よりも強いことに動揺して、それに気づかなかったことに気づかないでいたのだ。


 翌朝、相手の強さへの尊敬の念を取り戻した徳川軍は、風上側の城壁を再度南蛮気道を用いて破壊した。最初の攻撃で城門を破壊したのは、東からの援軍に対し占領後の応急修理を早くするためだが、占領後のことを優先している時点で、既に間違っていたのだ。
 これには城側が慌てた。
 空堀の上に橋が渡され、次々に敵が城内になだれ込んで来る。
 昨日の体たらくを挽回しようと、忠次が率いる東三河衆の士気は大きく上がっていた。
 それでも城方はすぐに体制を立て直し、決して正面から攻撃を受けないように、ヒット&アウェ―さながらに移動を繰り返しながら、常に斜め方向から攻撃を仕掛ける。

 朝比奈泰朝の老獪な用兵術に、東三河衆が翻弄され始めたのを見て、忠勝は立ち上がった。
「本多忠勝参る」
 忠勝は旗本先手衆から精鋭十騎を選んで、昨日破壊した城門に向かった。落とし穴に落ちないように、土の色が変わった部分に注意しながら、城壁の応援で手薄になった城門守備兵を騎馬の機動力で圧倒する。
 忠勝が作った道を、旗本先手衆がなだれのように押し進む。
 城方は二方向から激しく攻められ、本丸に向かって後退を余儀なくされた。もう城方に残っている兵力は二百名ぐらいだろう。
 あと一押しと誰もが勝利を確信したとき、味方の陣から退却の合図となる法螺貝の音が響いてきた。まさかと思って、後方を確認すると退却の狼煙もしっかり上がっている。

「もう目の前に本丸があるではないか。殿は何を考えておられる」
 先手衆の一人が大声で不満を口にした。
 激戦の末の果実を目の前にして、統制の取れた先手衆も我慢ができないのだろう。
「戦における大将の指示は絶対と心得よ。貴殿は兵を纏めて本陣に戻られよ」
 忠勝の叱責に不満を漏らした将は、自分の過ちに気づきすぐに指示に従った。
「わしは、酒井殿の様子を見てくる」
 忠勝は十騎を率いて前方に向かった。

 最前線では、やはり忠次は本陣からの指示を無視して本丸の門を攻め続けていた。
 もう少しで本丸に手が届く。
 退却の合図には気づきませんでしたと、弁解できるぐらいの時間差だろう。
 経験豊富な忠次には、そのぐらいの戦場の機微は知り尽くしている。

「忠次殿、退却の合図が出ております。ただちに攻撃を止め、本陣に戻りましょうぞ」
「忠勝か、殿はこの状況をまだ把握されてないだけだ。ここが勝機ぞ」
「なりません。本丸に仕掛けがあるのは必定。もはや時間の猶予がないのです」
「何を血迷うておる。駿府からは援軍が進発したとの知らせはない」
「東の援軍は確実にこちらに向かっているはずです。駿府には立ち寄らず甲府から一直線にこの掛川に」
「隠密に行軍するのであれば、軍勢はせいぜい千人程度。ここを落としてから迎え討てば、十分に対処可能だ」
 忠次は自軍の有利を誇らしげに言い放ってから、忠勝の目に常にない凄みが加わっていることに気づいた。

「お主、この退却の理由を何か知っているのか?」
「敵の援軍の主力は西から来ます。退却指示が出たということは既に曳馬城を落として、こちらに進軍しているはずです」
「西?」
 忠次の顔色が変わった。この歴戦の戦人は、誰がどこから現れこちらに向かっているのかなどと、ぐずぐず訊いて判断を遅らせたりしない。大事なのは西から援軍が現れ、退路が絶たれたことだ。東の援軍が例え千でも、前後で挟撃されればひとたまりもない。

「全軍攻撃をやめい。すぐに本陣に退却する。喜平治、三郎、お主たち二人は三十人で殿(しんがり)を受けもて」
 さすがに東三河衆の統制はとれていた。すぐに攻撃を中止し、後退の隊列を組んだ。
「堂々と引き揚げよ。我らはこの戦の勝利者だ」
 忠次の激が全軍に鳴り響き、それを合図に退却の進軍が始まった。
 城方からの攻撃はない。

「忠勝、久しぶりに命を賭けねばならぬかもしれんの」
 忠次はそう言って、不敵に笑った。
 既に死兵と成る覚悟は十分のようだ。
「この忠勝がまず死兵と成り先を切り開きます。忠次殿は殿をお守りして、必ず岡崎にお連れください」
「うむ」
 二人ともこの戦のルールが変わったことを十分に認識している。
 どんな犠牲を払おうと、無事に家康を岡崎城に連れ帰ればこちらの勝ちだ。
「一雨来るかもしれぬな」
 忠次がポツンと呟いた。
 忠勝が西の空を見ると、濃い灰色の雲に包まれていた。
 それは迫りくる武田軍のように思えた。
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