第10話 乱破

文字数 5,122文字

 冬左(とうざ)は主人である台所奉行が、薪を納める商人と厳しい値段交渉を行うのを、いつものようにボーっとした顔つきで眺めていた。
 既に三年間高遠城で普請奉行の小者として働いてきた。その普請奉行が新設された台所奉行に就任したことに伴い、冬左にも新しい役割が与えられた。あまりものを言わぬが、実直で怠けない仕事ぶりが主人から認められ、下働きから主人の指示を直接受ける立場となった。
 冬左という名はここで働くために与えられた名だ。天竜川上流の木こりの家に生まれ、色が白いことから「(しろ)」と呼ばれて育った。戦乱の世の常で、野武士が村を襲い、戦いの中で父親を失った。母親と妹は野武士に攫われ、一人ぼっちになった冬左は飢えて死ぬところを、乱破(らっぱ)の棟梁に拾われ、以後忍びとして働いている。
 高遠で草としての役目を与えられてからは、特に忍び仕事はせず、来る日に備えて一奉公人としての生活を全うしていた。

 そこへついに指令が下った。その内容は武田勝頼の暗殺であった。しかも、信濃の豪族保科正俊の仕業にみせかけ、黒幕に徳川の影をちらつかせるという難しい内容だった。
 保科を陥れるための偽書は既に用意している。家康の重臣石川数正の偽の署名入りだ。別にこの偽書が決定的役割を果たさなくてもよい。家中に疑念を起こさすだけで良いのだ。 そのためのダメ押しが、事実としての勝頼の暗殺だった。

 冬左の暗殺武器は直径三ミリ程の鉄球を指で弾く礫だ。普通に弾いたのでは紙を破るほどの威力も出ないが、冬左が武気を乗せて弾くと高速弾と成って相手の身体を貫く。
 十年以上続けた訓練によって、冬左は暗殺の際に生じる殺気を一切消したまま、武気を発することができた。その狙いは正確で確実に相手の心臓に小さな穴をあける。打たれた者は即死せずに、普通に日常生活を続けている中で三日目に突然死する。
 冬左の礫は出も早く、大概の者はいつ礫が打たれたのか気づく間もなく仕事は完了するので、礫を打たれた者が死んだときには既に冬左の姿は無くなっている。

 しかし最近小姓として勝頼の護衛に着いた真野勝悟という若者は、冬左が見たことのない変わった武気を使った。
 勝悟は常時微かな武気を身体から発し、それは勝頼の身体をバリアのように覆う。
 あるとき、他の刺客が勝頼に対し、冬左から見てかなり強い武気を纏った矢を放った際、勝頼の身体に届く寸前で勝悟の武気が突然矢の着弾点に向けて集中し、強化された衣服が鎧のように矢の効力を消した。
 この武気の前では冬左の礫も、容易に防がれてしまうだろう。常時勝悟の武気が張りつめているのでは、隙をついて礫を打つこともできない。

 冬左はすぐさま棟梁に応援を要請した。その意味では冬左は筋金入りの乱破だった。乱破は一人で思い悩むような愚かしい真似はしない。今ある戦力を組み合わせて、相手の戦力に通じるか冷静に分析し、足りなければ戦力の補強をするのみだ。
 自分一人で成し遂げたいというような拘りはそこにはない。
 棟梁はすぐに応援を組織した。ことは大掛かりになるため、逃走のためのための集団を組織し、自らそれを指揮するために高遠に乗り込んだ。

 冬左の属する乱破は総勢十七名、武田の要する諜報集団三ツ者が、総勢三百とも五百とも言われてるのと比べれば、小さな集団と言える。これは武田信玄が忍びの有用性を認めていたのに対し、今川義元が忍びを毛嫌いしていたことにある。
 太源雪斎亡き後、今川忍びは朝比奈信置の下で働いていた棟梁の一派を除き、義元の手によって解体されちりじりになった。義元が大軍を過信せず、乱破を使って索敵をしていれば、桶狭間で信長の奇襲をああも簡単に受けることはなかっただろう。
 逆に信長の下には義元の手によって国を追われた乱破の一部が雇われた。彼らは義元の顔を見知っている。桶狭間で義元の位置がああもピンポイントに捕捉されたのは、彼らの働きがあったことは間違いない。

 今回の勝頼暗殺には十七名の内、十二名が投入された。戦略的利のない嫌がらせに過ぎないこの仕事に、三分の二もの人数が投入されたことに冬左は驚いた。何としてもこの仕事を成功させ、忍びの有用性を新当主氏真に印象付けたい棟梁の想いが、伝わってくるようだ。逆にこれは危ういと冬左は思った。
 忍びの仕事に思いなどという感情が加わると判断に狂いが生じる。
 ちらっと失敗の予感が頭をかすめたが、それもすぐに消え去った。冬左は忍びの者として感情に囚われることはできないのだ。

 勝頼が本丸から出て、薪蔵付近に現れた。信玄は行政における役人の重要性を熟知していた。彼らに不正を許さず、まじめに働かすためには、彼らが働く現場を当主が直接視察することが、一番有効であることもまた知っていた。
 勝頼も高遠城主に成って以来、父に倣って現場視察を欠かさない。特に目的を持たずに場内を歩き回るのだ。

 冬左は勝頼の蔵周辺への視察が近いことを、これまでの周期から予測していた。薪蔵の屋根には一昨日から又蔵を忍ばせている。又蔵は丸二日間、飲まず食わずで屋根に潜んでいた。
 又蔵は吹き矢の名手で、暗殺用には特殊な吹き矢を使う。直径六ミリ長さ十五センチの細長い筒に、内径にすっぽり収まる長さ三センチの針のような形状の矢を入れ、それを武気を込めて吹く。その有効射程は二十メートルと長く、矢は当たった衝撃で先端部分がつぶれ、又蔵の武気が圧力をかけて注射器のように中の毒を外に押し出す。
 毒はカバキコマチグモの毒から抽出して作った神経毒で、体内に入ると悪寒や吐き気を伴いおよそ三時間余りで死に至る。

 勝頼が現れても周囲は気にせず仕事を続ける。それがこの視察の決まりだった。在りのままを見なければ視察の意味がない。
 少しずつ蔵に近づいて来た。勝頼の身体が蔵の正面に差し掛かったとき、冬左は勝頼の胸に向かって礫を弾いた。礫を打ったことは誰にも気づかれなかったが、勝悟の武気は即座に礫を察知し、胸に集中することによって礫を止めた。武気の動きに勝悟が反応し、礫が放たれた方向の自分に対し視線を向ける。

(勝った)
 冬左にしては珍しく、咄嗟に喜びの感情が生まれた。
 冬左が礫を放つと同時に、又蔵が毒矢を勝頼の背中に吹いていた。
 勝悟の武気は胸に集中し、背中はがら空きだ。危険な毒矢は確実に勝頼の背中に突き刺さるはずだった。
 カン!
 小助の刀が一閃し、毒矢を打ち払った。

 小助は勝悟と今川の謀略の手段を検討し、テロ行為の内容を予測していた。テロ行為の中で最も簡単で効果的なのは要人暗殺だ。高遠城内で要人と言えば勝頼が真っ先に思い浮かぶ。
 普段は勝悟の武気が勝頼を守っているが、可能性として勝悟は逆方向からの二撃目を懸念していた。それを補うために、小助が勝悟の武気の変化を察知する訓練を行い、反対方向から来る攻撃への対処を準備していた。
 居合の達人である小助は、見事に又蔵の矢を刀で捉え、これを打ち払うことに成功した。
 勝悟が凄い勢いで自分に向かって来る。冬左は勝悟の一撃をよけきれずに、肩口を斬られて地に伏せた。
 倒れながら、又蔵が小助に腹を射られるのを見た。

 勝悟は勝頼を小助に任せ、城壁に向かって走り出した。救出部隊は仲間を引き上げられるように、城壁に待機すると読んだからだ。
 城壁の上で黒い影が躍るのが見えた。
 ピィー、ピッ、ピ。
 勝悟が笛を三回鳴らすと十人の忍が城壁の外に現れた。
 高遠でのテロに備えて、勝資が送ってくれた三ツ者の戦闘部隊だった。
 逃げれぬと覚悟したのか、城壁から逃走支援部隊が降りて来た。
 最後に一矢報いようと勝頼目掛けて、猛然と走り寄ってきた。

 勝悟は敵の数を目で確認した。総勢十人だ。
 勝悟の左右に権三と壮介が並んだ。
「相手は多数だ。無理はするな」
 勝悟から二人に指示が飛ぶ。

 敵は左右に大きく開いたので、壮介と権三も左右に開く。
 勝悟は正面から走ってきた三人の敵を迎え撃った。左右の敵は走りながら飛くないを投げて来た。これを剣で鮮やかに払うと、真ん中の敵が刀を振り下ろしてきた。勝悟の剣が相手の剣を摺り上げるように払い、そのまま相手の肩に振り下ろされる。
 敵は衝撃で刀を落として、そのままゆっくりと倒れる。勝悟はすぐに右に飛んで、刀を構えた敵の胴を横なぎに切り払った。腹を斬られた敵は血しぶきをあげて仰向けに倒れる。勝悟の顔は返り血を浴びて真っ赤に染まった。
 左側にいた敵が背中に迫る。勝悟は振り向きざまに相手の左手を斬った。地面に切り落とした左の手首が転がる。それでも敵は怯まず、右手にくないを持って身体ごとぶつかってきた。
 勝悟は右斜めに跳んでこれをかわし、バランスを崩して前方につんのめる敵の首を刀の背で叩いた。
 権左は二人の敵を既に斬り倒し、残る一人の敵と間合いを詰めていた。壮介は三人の敵を相手に防戦一方になっている。助けに行くか迷った勝悟の目の端に、戦っている勝悟たちをすり抜けて、勝頼に迫ろうとする一人の敵を捕らえた。
 思わず追おうとしたとき、小助が勝頼の前に出て迫る敵を居合で斬り倒した。
 すぐに壮介の助太刀をして、十人の敵を倒した頃、城内の警備兵が集まって来て、まだ息のある敵を次々に捕獲した。敵は死者四名、重傷四名、尋問に耐えれそうな者が四名だった。
 小助に腹を射られた又蔵は屋根の上で死んでいた。小助の矢はライフルの弾丸のように、肉を大きく抉って貫通し、又蔵の腹には大きな穴が空いていた。
 冬左は刀の背で打ったので、鎖骨は折れたが命に別状はなかった。連行されるときに見た顔は、意外とさっぱりとした表情だったのが、勝悟の印象に強く残った。

 残敵の確認を終えて、勝頼、信友、勝宝、そして勝悟の四人は、高遠城内の一室に集まった。
「捕獲した者の中に乱破の棟梁がおりまして、ご丁寧に徳川の重臣石川和正と記した指示書が出てきました。これによると保科正俊が、相手方の調略に応じているとあります」
 勝悟の報告に信友が、にんまりと笑って言った。
「絵に描いたような偽書だな」
「しかし、勝頼様が傷つけられたおりには、このような偽書でも効果を発揮する」
 呆れた面持ちの信友に対し、勝宝は苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
「最初の礫は恐ろしい技でございました。完璧に殺気を消して、礫がいつ打たれたかも悟らせぬ。勝悟の武気が無ければ、防ぐことは難しかったと思います」
 小助が感心したように語った。

「それで、裏で糸を引いた者の名は分かったのか?」
「はい、安倍元真(あべもとざね)ということでした」
 小助の口から今川の重臣の名が出た。
「なんとあっさり吐いたな」
 信友が拍子抜けしたような顔で言ったが、安倍の名が出たことに対しては、さして驚きは見せなかった。
「どうも今川はあまり忍びを重用してないようで、命を保証してやると言うと、すぐに依頼者の名を明かしました」
「だが証拠はないのであろう」
 勝宝はまだ怒りを露わにしている。

「今の時点では証拠はない方がいい。下手に指示書など出てきたら、政治的に取り扱いが難しくなる」
 熱くなっている勝宝と対称的に、信友は淡々と見解を述べる。
「この後の処置はどうする?」
 勝頼が信友に意見を求めた。
「お館様にはすぐには知らせぬ方が良いでしょう。まずは紬の専売の準備を行い、一方で駿河の動きに注意して、専売所の設置を要求するための材料を集めましょう」
 一同、信友の案に賛同し、この会合はお開きになった。

「勝頼様」
 退出した勝頼を勝悟が呼び止めた。
「どうした?」
 勝頼は好意を露わにして勝悟の方に振り向いた。
「あの礫を打った忍の一派を、わが配下として山中家で預かってもよろしいですか?」
「それはかまわぬが、どう使うつもりか?」
「駿河の動きを探らせようと思います」
「それは良いが、信用できるのか?」
「十分な礼金を出します。それにあの礫を打った忍はできることなら仲間に加えたい」
「ふむ気に入ったようじゃな。出自を問わず能力のある者を召し抱えることは、これからの動乱を考えれば必要かもしれぬな」
「よろしゅうございますか?」
「良い。思った通りにやってみろ。私はお前を信じてるぞ」
 勝頼は自分の命を狙った相手を召し抱えることに、特に異論を示さなかった。
「では早速話してきます」
「勝悟」
 今度は勝頼が呼び止めた。
「何でございましょうか?」
「これから世の中が騒がしく成って来る。くれぐれもいたずらに命を落とすなよ。私もそれだけは気を付けるようにする」
 勝頼の目は恐ろしいまでに澄んでいた。
 その無二の信頼が勝悟の心に火をつけた。
「この身が朽ちるまで、勝頼様のために働きます」
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