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文字数 601文字

 僕の頭の中で、消防車のサイレンの音が鳴り響いていた。

 深夜の火事。

 確かに火事は存在するのに、炎は見えない。熱もない。何かが焦げる匂いだけが、微かに鼻を 刺激する。
 消防車は火事を探して闇の中をひた走る。
 深夜の火事。
 炎は全てを飲みこみ、無へ還す。

 無へ、
 還す。

 あれは何だったのだろう?

 翌朝早く、僕は加納沙詠の母 親への手紙を投函した。机の上の国語辞典に宛名が書かれ、切手の貼られた封筒が挟まっていたから。

 僕は空を見上げた。
大きく羽ばたいて、鳩が、空へと消えていく。

 あれは何だったのだろう。

 手紙を投函してから一週間もしないうちに、加納沙詠の死体は発見された。河川敷のあの葦の中で。ボケットに押し込まれていた遺書と、母親に届いていたそれとで、彼女は自殺と断定された。

 あれは何だったのだろう。

 遅れてきた厳しい夏は、超加速度的に暑さを増して、僕の思考を奪い去る。
 ただひとつ。夏から取り残されて冷たい、手のひらの中の指輪。時を経るごとに重く染み入る。僕の胸に。

 指輪の中で葦が揺れていた。
 と、思ったのは頬を伝う熱のせいだろうか。確かに存在した過去。その中で揺れる影は誰だったのだろうか。もう二度とは見ることがない白い指を、僕の喉は覚えている。甘い匂いも。つめたいかんかくも、
 つめたいかんかくも。

 もう何も思いつかない。

 夏の暑い宵に、全ての音を飲みこんで横たわる。
 胸に。

   おわり
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