第2話:ヤフー株購入の翌週に同時多発テロ

文字数 2,049文字

 この価格は、消費電力1200ワットのエアコン1時間分の電力の卸売価格が、10ドル近い状態になる事を意味する。しかし、電力会社は規制のためにこの卸売価格上昇を消費者に転嫁することができず、逆ざや状態が発生した。発電会社は、利益増加のために供給を抑えるとともに、長期契約より高値で売買できる短期の卸売に契約をシフトするなどの動きをみせた。2000年冬のオレゴン、ワシントンでの降雪量は例年に比して少なかった。

 このため、2001年は、両州からカリフォルニアに回せる余剰電力も減少した。さらに同時期にエンロンなどの電力取引会社による、モラルに反した価格引き上げを伴う取引もあったことが、後に明らかになった。電力会社からの代金回収が危うくなった発電会社は、売り渋りを行うようになり、発電会社から十分な電力を調達出来なくなった。そのため電力会社は大規模な輪番停電を行うにまで追い込まれた。

 電力会社は、逆ざやで、経営を急速に悪化させ、2001年4月には、大手電力会社3社の一つであるパシフィック・ガス&エレトリック社が破綻。価格を釣り上げて、利益を得ていたエンロンも破綻で同社に対する数億ドルにも上る債権が回収不能となった。その後、2001年9月5日、証券会社の担当者からの電話で、ヤフー株が、182万円と安いから買いと言われ、同意して、3人とも1株成り行き買い注文を出し、買えて残金が、18万円となった。

 その日、大学で会い、これで、一儲けだと喜んだ。ところが、数日後、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で、アメリカン航空11便とユナイテッド航空175便の2機がハイジャックにあい、ロウアー・マンハッタンに位置するワールドトレードセンターのノース・タワーとサウス・タワーに突入した。110階建ての両タワーは突入を受けてから1時間42分以内に崩壊した。ワールドトレードセンターへのテロ攻撃による死者は合計で2763人だった。

 その内訳は、事件当時ワールドトレードセンターに居た民間人が2192人、消防士が343人、警察官が71人、ハイジャックされた旅客機の乗員・乗客が147人、ハイジャック犯のテロリストが10人となっていた。ワールドトレードセンターのツインタワーにおける民間人死者の90%以上は、ハイジャック機による衝突を受けた階以上のフロアで発生した。北棟ではハイジャック機の衝突時に数百人が即死した。

 その他、直撃を受けた階以上のフロアに1355人が閉じ込められ煙の吸引・タワーからの落下・最終的なタワーの崩壊などの理由によってその全員が最終的に死亡した。北棟の3つの非常階段すべてがアメリカン航空11便の衝突の際に破壊されており上層階から人々が脱出できなかった。一方で、「北棟において」直撃を受けた階より下のフロアで死亡した民間人は107人とされた。南棟で死亡した民間人は計630人であり北棟の半分以下。

 ジェット機の衝突によって北棟・南棟ではエレベータが停止し多くの人が閉じ込められた。『USAトゥデイ』の推定では、最小で、200人、最大で、400人がツインタワーのエレベータに閉じ込められた状態で死亡したとされている。ツインタワーからの転落もしくは飛び降りによる死者は最低でも200人と推定されている。そのほとんどが北棟で発生した。その他、ペンタゴンにも旅客機が、突っ込んだ。

「さすがに、アメリカの同時多発テロ事件を見て、徳久泰介、山井久義、滝井正平の3人の顔が、青ざめた」
「しかし徳久泰介が、大丈夫だよ」
「ヤフー株は、数年、いや10年以上すれば、株価が、数倍にあがるよ」

「少し時間が、かかっても絶対売るなと強がった」
「その晩、安い居酒屋で、酒をあおって、人生、なる様しかならない」
「悪い事の後、きっと良い事があるよと慰めあった」

 カリフォルニア電力危機に関しては、電気の値段を吊り上げてもっと利潤を増やすためにカルフォルニア州の電力供給を止めた。その後、明るみに出た当時の社内の通話記録では、従業員達が停電で困っている高齢者をネタにして笑ったりした。さらにエンロンの経営陣は、全く罪の意識を感じていなかった。 こんな事件が起きて2001年12月、エンロンの粉飾決算で倒産。

 そのため2001年にアメリカの公定歩合にあたるフェデラルファンド金利を上昇させた。このころ日本経済は、底入れをして在庫調整を終了した。その理由は、20001年1-3月期に118.09円となったが、基本的には円安基調で推移した。そして2002年1~3月期には132.46円となった。

 このような円安は、日本の輸出品の価格競争力を強化し、輸出増加に寄与したと考えられる。その後の円安は、2002年4-6月期の輸出数量を2.6%強高める「四半期伸び率を平均0.4%強引き上げる」影響があったと試算された。こうして2002年を迎えた。2002年秋以降はイラク情勢の緊迫化で企業や消費者のマインドが急激に冷え込んだ。
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