第7話 小さな黒い丸

文字数 1,191文字

 浜松に向かう新幹線の中で、僕は前夜の出来事を何度も思い返していた。
 美羽は突然目の前に現れ、信じられないほどの大食漢ぶりで僕を驚かせた。はじめから僕の家を訪ねるつもりだったと言うが、惜しげもなく美しい肢体をさらけ出し、十年も会っていなかった先輩との性行為を自から望んだ。
 すべての出来事が、まるで白昼夢(デイドリーム)のように不自然に思える。そしてあの、なんとも言い表すことの出来ない違和感も。
「原因は私にあるの」
 その原因っていったい何なんだ?

 クラス会も同窓会もスルーしていた自分には、高校時代の友人ですぐに連絡がつくのは、阪大から地元の楽器メーカーに就職した山根眞人くらいしかいない。電話してもすぐには繋がらなかったが、留守電の代わりにショートメールを送ると夕方近くに着信があった。
 一夜を共にしたことはもちろん話さなかったが、美羽と再会した経緯と、突然いなくなった不思議な出来事だけを話した。すると、山根は気になることがあると言う。

 少し早めの夕食を終えた頃、山根からもう一度電話があった。
「同じ学年に辻涼太っていたの覚えてる?」
「なんとなく」
「一、二年のとき同じクラスだったんだけどね」
「で、その辻涼太が岡崎美羽と何か関係あるの?」
 僕は自分の声が少し荒くなっていることに気づいた。嫉妬心がそうさせたのかもしれない。
「辻本人は今仙台なんだけど、二年下に妹がいたんだよ」
「美羽の同級ってことか」
「それも三年間同じクラスで、かなり親しかったらしい」
「じゃ、美羽のこの十年のことも知ってる訳だね」
 山根はしばらく無言だった。
「……電話じゃちょっと説明しづらいな。明日、日曜だけど、こっち帰れない? 辻の妹は愛海(なるみ)ちゃんって言うんだけど、市内の薬局に勤めてるんだ。さっきちょっと話したら、悟の話を聞きたがってるから」
 僕は時計を見た。外は暗いがまだ七時過ぎだ。
「これからすぐ行くよ。新幹線なら十時台には着けると思う」

 突然の帰郷の連絡を母はとても喜んだが、目的は家に帰ることじゃない。駅まで車で迎えに来るという母に、送迎は不要だし、家に着くのは深夜過ぎになると伝えると、電話の向こうの声は明らかにトーンダウンした。

 浜松駅では、山根と愛海さんらしい若い女性が僕の到着を待っていた。時間も遅かったので、自己紹介の挨拶もそこそこに僕たちは山根の車でファミレスに向かった。

 オーダーを終えてドリンクで喉を潤すと、すぐに愛海さんが要件を切り出した。
「山之内先輩が会ったのって……」と真剣な眼差しで僕を見つめる。「本当に美羽なんですか?」
「どういう意味? 彼女の偽物でもいるの?」
「山根さんから話を聞いて、美羽の幽霊かって思ったから」
「ん? まさかそれって……」
 混乱する僕の目の前に、山根が母校の同窓会名簿を開いて見せた。そのページに印刷された岡崎美羽の文字の脇には、鬼籍を意味する小さな黒い丸があった。

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