第9話 美羽の家族

文字数 1,863文字

 美羽の実家を後にした僕たちは、山根の愛車で話題の寿司店に向かった。その車中で愛海が教えてくれた。
「実はね、美咲さんと美羽はほんとうの親子じゃないの」
「初耳だね」とハンドルを握ったまま、山根は後席の愛海の方を振り返った。
「二人は青木ヶ原の樹海で出会ったんだって」
「青木ヶ原ってあの自殺の名所の?」と僕は訊ねた。
「そう。美羽は三歳の時に母親に連れて行かれたの。そこで二歳上のお兄さんとお母さんは亡くなってしまったって」
「可哀想に」と僕は呟いた。
「美羽が気づいたとき、二人はもう息をしていなかったんだって。それで、早くここを出なくちゃって思って歩いていたときに、美咲さんが一人で彷徨(さまよ)い歩いているのを見つけたの」
「なんだかファンタジーみたいな話だね」と、現実主義者の山根は首を傾げていた。
「三歳の記憶ってそんなにはっきりしてるものなの?」と僕も疑問を口にした。
「チンパンジーとそれほど知能に差がない三歳児に、母親と兄が亡くなったことが理解できるとはとても思えない」と山根は更に疑問を呈した。
「私も不思議には思ったけど、美羽の話に嘘や曖昧さはなかったの」と言う愛海の言葉に僕は無言で頷いた。美羽の言葉や態度にはいつも有無を言わせぬ説得力があった。
「美咲さんを見かけたときに、この人はママと同じ顔をしてる——って心配になって、手を取って外に連れ出したって」
「大人の女性を樹海の外に案内した? まるで妖精みたいだね」と山根に言われ、愛海は少し不機嫌そうだった。
「僕は信じるよ。愛海ちゃんも美羽の話も」と言うと、愛海は安心して話を続けた。
「美咲さんも死ぬつもりだったのね。心配して追いかけてきた婚約者が、樹海の外に乗り捨ててあった車を見つけて警察を呼んだ。樹海を出た二人はすぐに警察に保護されて、美羽は救急車で運ばれてしばらく入院したみたい。美羽の家族はすぐに見つかったけど、死後一週間以上経過してたって」
「樹海に入ってから少なく見積もっても二週間以上か」山根は更に疑問をぶつけた。「三歳の女の子一人、どうやって生き延びられたの?」
「それは……私もわからない。美羽自身もずっと疑問に思ってたことだから」
「それで、美羽は美咲さんと?」と僕は訊ねた。
「身寄りのなくなった美羽は退院してから施設に預けられたって。でも美咲さんは自分を救ってくれた美羽のことをすごく大切に思っていて、婚約者の岡崎さんと結婚して養子として引き取ったわけ」
「なるほど。美羽は父親のことを何も話さなかったけど、岡崎ってお養父(とう)さんの苗字なんだね」
「思い出すのが辛かったんじゃないかな? お父さん、慎次郎さんって言うんだけど、美羽が小五の時に行方不明になってるから」
「さっきはファンタジーなんて言ってごめん」と山根が詫びた。「美羽ちゃんって、ほんとに過酷な人生だったんだね」
「美羽のお父さんは、どんな人だったんだろう?」浮かんだ疑問を僕は口にした。
「五次元とか六次元を研究してた素粒子物理学の学者だったって。共著だけど専門書じゃなくて一般向けの本も二冊出てる。美羽が見せてくれたの」
「読んだの?」
「ちょっと読んでみたけど全然理解できなかった」と愛海は笑った。「美羽が説明してくれたけど、重力エネルギーが時空を超えるとか、私たちの世界はシャワーのカーテンに貼り付いた水滴みたいなものとか、その時はなるほどって思ったけど、結局なんだったのかよくわからない」
「マンガやアニメで相対性理論を説明してもらって、『なるほど!』って判ったつもりになっても、いざ人に説明しようと思うと『全然判ってなかった!』っていうのと同じような感じ?」
「そうそう!」と愛海は相槌を打つ。
「物語はついにファンタジーからSFになってきたか」と呟いた後、山根はまた詫びた。「ごめん。言葉の綾って言うか……揶揄(からか)うつもりはないんだ。相対性理論は、今度判るように愛海ちゃんに説明するよ」
「僕には?」
「悟は自分で調べて」と山根は笑った。
「そう言えば、浜松には素粒子研究の先端企業があるよね」と僕は思い出した。
「美羽が小学校に上がる年にお父さんがそこの研究所に移籍することになって、筑波から越してきたって」
「それで浜松にいたのか」
「お昼食べた後、時間があったら図書館に行ってみない?」と山根が提案した。「愛海ちゃん、その本のタイトルわかる?」
「タイトルは思い出せないけど、著者で検索すれば判るはず。私も好きな作家の名前でよく検索するから」
 しばらくスマホを操作していた愛海が、声を上げた。
「あった! 二冊じゃなくて三冊も」

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