第1話 もう一度

文字数 1,008文字

 パンデミックが終息して一年が経ち、駅前の路上ライブも少しずつ活気が出てきた。次に控えているのはインディーズ界隈ではかなり名の通ったシンガーソングライターのMiiO(ミーオ)。オンラインで数十万のフォロワーがいるという彼女に比べたら、昭和・平成のシティポップを弾き語りする僕はあまりにもスケールが小さい。
 MiiO目当てに集まった大勢のオーディエンスは、一刻も早く彼女の声を聴きたがっている。次の曲で最後にしようと観念した僕は、いつもはアンコールで歌う曲のイントロを奏で始めた。

 高校時代に母親のシングル盤レコードの中から見つけ出した崎谷健次郎の『もう一度夜を止めて』。父の形見のレコードプレイヤーで再生してiTunesに取り込んだその曲を、僕はギター向けにアレンジし、それ以来十年間歌い続けている。僕にとっては昭和シティポップの原点になった曲だ。

 サビのメロディを二回繰り返し、間奏の旋律をギターで奏で始めたとき、じっとこちらを見つめる視線に気づいた。

 高三の秋、好きだった後輩を思いながら何度も練習し、リハーサルスタジオで収録してCDに焼いた。重すぎるかなと躊躇(ためら)いながらも、僕は彼女にそのCDを手渡した。それが別れの日になるとは夢にも思わずに……。
 そんな苦く甘酸っぱい青春時代の思い出を心に描きながら僕は歌いきった。
 多くの人が拍手を送ってくれた。マイクやスタンドにギターをぶつけないよう気遣いながら、オーディエンスに向かって僕は深く頭を下げた。

 MiiOたちの視線を感じながらギターケースの中に集まった投げ銭をかき集め、楽器や機材を片付け始めたとき、一人の女性が僕の目の前に立っていることに気づき、間奏の時に注がれていた視線を思い出した。
「何か手伝いましょうか?」
 少し鼻にかかったような、甘く低く落ち着いたトーンが耳に届くなり、僕の胸に切なさがこみ上げてくる。その声の持ち主、そしておそらくずっと視線を送ってくれていたのは、僕が歌い始めるきっかけを作ってくれた岡崎美羽(みわ)に違いなかった。
「改札出て歩き始めたら、声が聞こえてきて。悟さんだってすぐわかりました」
 僕は声を失ってしばらくその場に立ち尽くしていたが、美羽がマイクケーブルを片づけ始めた姿を見て我に返った。
「ごめんね。どうもありがとう」
 美羽は微笑みながら手を動かしている。

 もう一度、一度だけでも会いたい……何度そう願ったことか。その美羽が僕の目の前にいる。
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