第2話 目的

文字数 1,193文字

 機材を収めたスーツケースにギターケースを立て掛け、僕は美羽と二人でMiiOのライブを聴いていくことにした。
 曲は全て彼女のオリジナル。キーボードの男性がアレンジを担当しているらしく、ベースパートは相変わらず打ち込みだが、最近ドラマーが加わって三人になった。楽曲も魅力的で、プロデビューの噂も耳に入ってくるが、なにより美羽は歌が上手い。
「彼女のボーカル、なかなかいいでしょ?」
 僕の語り掛けにすぐに返答せず、美羽はじっと耳を傾けていた。
「上手いけど……」と言いかけて僕に耳打ちした。「なんていうか、ちょっと得意げな雰囲気があまり好きになれないかな?」
 美羽の言葉は意外だった。
「私は悟さんの歌が好き。声も」
 僕は歌にも声にも劣等感を感じていた。むしろ美羽のほうがずっと魅力的なボーカリストになれるはず……ずっとそんなふうに思っていた。
 
 先を急がないとは言っていたが、美羽がライブを心から楽しんでいるようには見えなかった。僕たちは目で合図して、それまでいた場所を熱心なファンに譲ってその場を離れた。
「ところで、この後の予定は?」
「悟さんは?」
「どこかで食事して帰るところだったけど」
「私も何か食べたい。すごくお腹が空いてるし」
「じゃ、ステーキハウスでも行く?」
「もちろん!」
 僕は提案したことを後悔し始めた。
「でも、あまりムードはないな。たくさん食べたらタダになるような店だから」
「それじゃ私にピッタリね」

 ちょうどその日は二十九日で、そのステーキ店では女性なら二千グラム、男性なら三千グラム以上のリブロースステーキを一時間以内に完食すると、ステーキ代を無料にする月一回のサービスを実施していた。
 驚いたことに美羽はボール一杯分のサラダと、三百グラムのステーキ十枚、つまり男性が無料になる量をほんの三十分ほどで平らげて、サラダ以外のメニューを無料にしてしまった。あまりの食べっぷりに、マスターは「毎月来られたらうちは倒産しちゃうよ」と笑いながら、サラダとドリンクもサービスしてくれた。自分の食べたステーキの分だけ会計を済ませ、僕たちは店を後にした。

「驚いたでしょ? 引くよね?」
「引きはしないよ。驚いたことは確かだけど」
「驚いて逃げ出すかと思った」
「なんで僕が逃げ出すの? でも、美羽のルックスでこの食べっぷりだったら、テレビの大食い女子選手権に出られるね」
 美羽は笑ったが、その笑顔がなんだか寂しそうで、僕は十年前のインターハイ前夜を思い出した。
「ところで悟さんは一人暮らし?」
「そう。職場兼寝床だからむさ苦しいけど」まさかそんなうまい話があるわけない……と思いながら自然に言葉が出た。「うちに来る?」
「ありがとう」と言うと美羽は、教えてもいないのに僕のマンションの方に向かって歩き始めた。
「今日は悟さんの住んでるところを訪ねてみようと思って来たの」
 美羽には驚かされることばかりだ。
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