第8話 生きている

文字数 1,343文字

 美羽が五年前にスキーバスの事故で亡くなったと言う二人の話は、にわかには信じ難かった。しかし、高校の三年間だけじゃなく大学まで一緒だったという愛海が、実は美羽と一緒にそのバスに乗っていたと知り、僕は二人の話を肯定せざるを得なくなった。
「同じ東京の薬科大に進学したんです。彼女のお母さんは東京行きを猛反対してたけど、私と一緒ならって許してくれて。それでマンションを一緒に借りてルームシェアしたんです」
「そんなに近い関係だったんだね」
「山之内先輩の歌は私も何度も聴いてます。美羽が聴かせてくれたから」
「へぇ?」
「彼女、すごく気に入ってました」
「それだったら連絡くれたら良かったのに。僕の住所も連絡先も彼女には伝えてあったから」
「私もそう言ったんですけど、申し訳なくて自分から先輩には連絡できないって」
「申し訳ない? それってどういう意味なんだろう」その言葉と昨日の行動の隔たりに僕はまたしても違和感を感じていた。
「愛海ちゃん、でいいのかな?」
「呼び捨てでも」
「愛海ちゃんは薬学でしょ? 美羽の学部は?」
「彼女は生命科学でした。専門課程に進んでから、私たちどんどんすれ違いが多くなってたから、三年の時に久しぶりに旅行に行こうってことになって……。スキーは私が誘ったんです。私が誘わなければ、あんな事故に遭わなかった」窓の外に視線を移した愛海の頬を一筋の涙が流れた。「美羽は窓際の席で……」
 そんな愛海に山根は助け船を出した。
「辛い話だから……その話は後にしよう。それよりも悟の話を聞かせてくれないか?」

 僕は美羽との突然の再会と別れの経緯(いきさつ)を二人に話した。もちろんベッドの上のことまでは話さなかったが、一晩泊めたと言えばいくらかは想像がつくだろう。
「それ……美羽じゃない気がする」と愛海は呟いた。
「じゃ、誰なのかな」まだ疑う気持ちを残していた僕は、そこに何らかのヒントがあるような気がして、思いついたことを提案してみた。「明日、彼女のお墓にお参りできるかな?」
 愛海は俯いて唇を噛んだまま目に涙を溜めている。心配そうにその顔を覗き込んでいた山根は、彼女の表情を確かめながら徐ろに口を開いた。
「墓地はないんだ。救急車で運ばれて病院で死亡が確認されたあと、事故の二日後に遺体が消えてしまったんだよ」
「そんな……」僕はきっと真っ青な顔をしていたに違いない。「それじゃ僕が会った美羽は……、昨日の美羽はゾンビだったとでも言うのか?」
 
 翌日、僕たちは美羽の実家、岡崎家を訪ねた。
 母親の美咲さんは僕の印象ではごく普通の人に見えたが、山根たちの話では一人娘を失ったショックで精神的にかなり不安定なのだという。
「美羽がまだ帰ってなくてごめんなさい。もうすぐ帰って来るはずなんだけど」と言いながら美咲さんはコーヒーとケーキを出してくれ、誰もいない椅子の前にも一人分並べた。
「美羽はちゃんと生きてるわよ。事故の三日後に私のところに電話くれたんだから。今は何かの事情があって帰れないって。あの子は絶対に死なない。美羽はきっとどこかに隠れているのよ」
 僕は二日前に美羽と会ったことを話したくて仕方なかったが、不必要に刺激すると病気が悪化するから美羽と会ったことは決して話さないように、と山根からは釘を刺されていた。
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