第11話 美羽の日記

文字数 1,706文字

 購入した二冊を二度通読し、さらに山根が教えてくれた異次元世界の存在を唱えるアメリカの物理学者リサ・ランドールの本で5次元世界への理解が深まった頃、愛海からレターパックが届いた。
 中にはコピー用紙を綴じたような手作りの冊子と手紙が入っていて、愛海から手紙の挨拶文にはこんなことが書かれていた。

『5次元の本を読んでいるうちに、私も美羽は生きているんじゃないかって思うようになりました。確かに美羽はときどきビックリするくらい沢山食べました。でも三キロものステーキを平らげた話は想像できないし、きっとそのステーキは5次元空間に消えていったんだと思います。
 正直ずいぶん迷いましたが、美羽の日記のコピーを送ります。日記は私が持っていますが、書かれていることにはちょっと驚くかもしれません。
 ひとつお願いがあります。このことを、美羽のお母様には絶対に知らせないでください。彼女は美羽が実の親子でないことを知っていたことに気づいていません。美咲さんは今は元気そうに見えますが、ご主人が失踪した時と美羽がいなくなったときの二度、精神を病んで入院しています。美咲さんに過度なストレスを与えないためにも、どうかお願いします』

 冊子の内容は美羽が書き残した手記で、書き出しは高校一年の二学期から始まっていたが、その日付はあのインターハイ決勝の翌日だった。

『決勝まで勝ち進んだわたしが急に棄権したことで、陸上部のみんなから責められた。もしあのときそのまま跳んでいたら記録が残せたかもしれない。でもそれはアンフェアだと思う。私は普通の子とは違う。普通の人とは違う。だから同じルールの下で競技に出てはいけない。
 決勝の三日前にアキレス腱を傷めたことを陸上部の何人かは知っている。激しい衝撃とその後の痛みでわたしは競技の続行を一度諦めた。それなのに、一晩休んで目を覚ますと傷みは殆ど感じなくなっていた。
 中二の時、陸上部の練習中に足を怪我したことがある。X線では骨折と診断されたのに、翌日には痛みが消えていた。病院で再度検査を受けると骨はすっかり元に戻っていた。
 小さい頃から明らかに他の子とは違っていた。小さなケガをしても翌朝になると傷はきれいに治っていた。小三の時、校門を出たところで自転車とぶつかって腕に大きなケガをした。学校の近くの病院で何針も縫ったのに、次の日に痒くなってそっと包帯を取ってみると糸は全部解けていた。数日後に母と一緒に病院に行くと傷は跡形もなく消え去っていた。
 わたし不死身なの? わたしの身体はいったいどうなっているの?
 今でもときどき樹海の夢を見る。夢の中でわたしは母と手を繋いで歩いている。でも夢の中のわたしはその人を母とは思っていない。ほんとうの母と兄は樹海に置き去りにした。二人の姿は霧がかかったようにぼやけているけど、二人が死んでしまったことをわたしは知っている。でもどうして? どうしてわたしだけが生き残れたの?
 一昨日は怖くて山之内先輩に電話してしまった。彼の優しさに甘えたくなったけれど、怖くて打ち明けることなんて出来なかった』

 もしあのとき、美羽が悩みを打ち明けてくれていたら? 僕には受け止めることなど出来なかったに違いない。彼女が抱えていた悩みや苦しみは僕の想像を遥かに超えていた。
 あの晩、真っ暗なトラックの片隅で美羽は泣いていた。僕の顔を見るなり胸に飛び込んできた彼女を僕は強く抱きしめた。いったいどのくらいそうしていただろう。僕は美羽の耳元で呟いた。
「どんなことでも話してくれる? 僕は君の味方だから」
 すると、彼女は僕の腕を解いて微笑んだ。
「ありがとう。もう大丈夫。落ち着きました」
 彼女が無理をしていることは僕にもわかった。

 青春病の真っ只中にいた僕は美羽への切ない思いを歌にした。でもあの夜以来二人の距離が縮まることはなかった。卒業式の日の美羽の言葉を思い出す。
「あの日の夜、先輩に抱きしめてもらった温もりは絶対に忘れません。でも、彼女とか、付き合うとか……そういうのは無理なんです」

 そんな美羽がなぜ突然目の前に現れたのだろう? そしてなぜ自分から僕をベッドに誘ったのだろう?

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