第4話 お願い

文字数 925文字


 大学時代はスポーツ専門のカメラマンを目指していた。しかしバイクの事故で右足を痛めてから、重い撮影機材を持って旅をすることが辛くなり、百八十度方向転換した。卒業してからは、通販サイトの下請けで始めた商品撮影や、小物やパーツ類の撮影の仕事の合間に、自分が想像した世界をミニチュアやフィギュアを使って画面に作りだしている。そのため、ワンルームマンションのほとんどは作業室になっていた。
 作業机の隣にはル・コルビュジェデザインの休息椅子LC4——本物が買えるわけもなくリプロダクトだけれど——があり、作業中の休憩や仮眠からそのまま朝まで寝んでしまうことがほとんどだった。そのため滅多に使わなくなったセミダブルサイズのベッドの上には上着やネクタイが散乱していた。部屋には向き合ったりできるソファやテーブルもなく、カウンターキッチンに背の高い椅子が二脚あるだけ。

 誘ってみたものの、いったいどうやってくつろいで貰おうか迷いながら玄関の鍵を開け、僕は美羽を玄関で待たせて、ベッドの上の服だけを急いでクローゼットに仕舞い込んだ。
「どうぞ」と声を掛けて部屋に入って貰う。
 美羽は興味深そうにミニチュアセットを眺めていた。
「小さな映画スタジオみたい」
「まだ途中だけど、動く映像を見てみる?」と僕はコンピューターを立ち上げ、編集途中の動画を美羽に見せた。
 再生し終わった時、美羽はデスクサイドに並ぶアルバムや写真集に気づいた。隠しておくべきだったと気づいてももう遅い。その中には十年前に受け取ることを拒否された美羽の写真集もあった。
「見ても良い?」と言うと、美羽はその一冊を手に取った。
「もともと君にあげるつもりで作った本だから」
 一頁ずつ丁寧に送りながら美羽は十年前の自分の姿に見入っていた。
「こんな素敵な本だったのね。あのときはごめんなさい。私は現実を受け容れることが出来なくて……」
「僕の方こそ君がどんな悩みを抱えているかも知らずに悪かった」
 美羽は初めて見つめ合った日と同じように、真っ直ぐ僕の目を見つめながら言った。
「お願いがあるの」
「美羽の願いなら何でも……」
「悟さん」じっと見つめるその瞳に、僕は吸い込まれそうだった。「私を抱いて」
 僕はまた言葉を失った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み