あまり毛糸を編みながら

文字数 1,885文字

 寒い気温が続くとニットに触れていたくなる。それは身に着けていてももちろんいいのだけれど、手に取り膝に乗せていると心までも温もっていく。

 作りたいものがないのに、あまり毛糸を出して編み始めるという衝動。
 冬になると突発的に沸き起こる感情。「何か編みたい」
 たまにミシンをかけることもあるので、手芸屋さんにはワクワクするためだけに行くことがある。かわいい生地や手芸用小物はもちろん、寒い季節になると店頭に並び始める毛糸も、意味もなく眺めたり手に取ってみたり、それだけで楽しいのだ。
 近くのショッピングセンターにお気に入りの手芸屋さんが入ったこともあり、目的のないふらふら度が増えている。特に作りたいものがあるわけではないので、手に取ってもまた棚に戻して購入せず、眺めて帰るだけの完全に怪しい客であるけれど。
 以前は衝動に耐え切れず購入したものだけれど、使いきれていない生地や小物が衣装ケースいっぱいにまだ詰まっており、私もそれなりに学習し行動を変えねばならない。そして今年は、そうこうしているうちに冬も終わりを迎えそうである。
 ただ、編みたい衝動がとめられず、過去に少しずつ残り押入れに仕舞いこまれた、色も太さも違う毛糸たちを引っ張りだす。

 ミシンもそうだけれど編み物をしているときも、ひと針ひと針ひたすらに進むことだけ考えて、指先が自ら意志を持って動いていくような感覚になるのがいい。
 突然湧き出た「編みたい」衝動に逆らわず、極太の毛糸と太め12号の編み針を手に取り、あてもなく気ままにたくさんの目を作りメリヤスで編みはじめる。楽しさだけが脳を支配し無心。手がひたすら歩みを進める。毛糸玉が小さくなるにつれ、編んだものが長くなり太ももに触れた。そこだけそっと湯たんぽが乗っているような熱を感じる。あたたかい。このままひざ掛けにしようか。

「昔は毛糸をほどいては編みなおして、また着たりしたものです」と以前訪問していたNさんのお話を思い出す。
 お宅へ伺うと大抵はリビングのソファで横になっていらしたNさん。ご自分の和服を縫い直した綿入れを「冷えるんです」と夏でも着ていることが多かった。
 ある冬の日、ソファには眩しい日差しが降りそそいでいたけれど、外気温は氷点下で「床冷えします」と綿入れの下に珍しくニットを着ていらした。
「それもご自分で作られたんですか?」と声をかけると「そうですが、まだ手の動く若い頃ですよ。80くらいでした」とNさんは言い、後ろで聞いていた娘さんが「ひええ、今の私より年上だわ、それ若いって言わないよ母さん」と笑った。103歳のNさんからみると当時まだ半分も生きていない私はどのくらいに見えていたのだろう。
 着ていた味わいのある橙色のニットは、もともとは2人のお孫さんへお揃いのセーターとして編まれたものだったそうだ。何度か編みなおして今はご自身のカーディガンとなり「この毛糸とは随分長く付き合っています」と話された。自分の手から生まれたものは愛おしいものですよ、と冬の日差しの中で上品にほころんだ笑顔は温かくて印象に残っている。

 私も使っていないマフラーをほどいてみようかと迷って、そこまでの気力がない自分を認める。あれから数年経ち、ようやくNさんの半分を生きただけなのに。
 毛糸をほどき、かせにして、伸ばして、毛糸玉を作る。作業工程を思い浮かべるだけで、大変だよな、と自分で ほどいたこともないはずなのに、そう感じるのはどこからくるのか。はっと脳裏に蘇る遠い記憶があった。母だ。毛糸玉を作るのを手伝ったことがある。
 小学校の低学年ころだっただろうか。ぬるま湯でのばした毛糸を乾かして、巻くときに「りえ、かせ糸 持っててね、緩めないでピンとね」と声をかけられて頑張って持っていた。あの毛糸は何をほどいたものなのか、毛糸玉を作ってどうしたのか、前後の記憶はまったくないけれども。
 そもそも母と手芸は結びつかない。針と糸を持たない母はボタンつけすらしない人だったのだ。母が編んだものを着た記憶もないけれど、あの一緒に作った毛糸玉で、母は何かを編んだのだろうか。

 ひざ掛けにするには同じ毛糸だけでは長さが足りず、思い出を手繰り寄せながら、次の色へまた次の色へと継ぎはぎのように編みこんでいく。不格好でもこれでいい、と思う。自分の手から生まれたものだから、きっと愛しい。
 指先は相変わらず勝手にメリヤスを繰り返しながら、思考は母へと向かう。編み物を教えてくれたのは確かに母だったはずだ。今度帰ったら一緒に作った毛糸玉の話をしてみよう。母は覚えているだろうか。





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