くるとしまでの時間

文字数 1,744文字

 一年が終わるときに響く除夜の鐘。
 幼いころ、元日にニュース映像で流れるその音を、どうしても大晦日の夜に聞きたかった。年を越す瞬間を確かめたかった。年越しイコール除夜の鐘というイメージが植え付けられていて、だから確かめるには除夜の鐘を聞かなければと思っていた。大人たちは大晦日には必ず起きていて、きっと何かが、分からないけれど何か特別なことがあるのだと信じていた。

 時代は昭和である。
 レコード大賞からの歌合戦、ゆく年くる年という流れのなかで私は育った。そして道産子なのである。そのテレビをみている間中、何か食べて飲んでいる。道民以外の方には驚かれる話であるけれど、この地には、大晦日の夜こそ(うたげ)のような正月のような夕餉(ゆうげ)となる風習がある。我が家ももれなくその通りだった。それがますます特別感ある夜を(かもし)出していたのかもしれない。

 いつもよりも早い時間から、おせちやオードブルなどテーブルに乗らないほどの品数が並べられ、いつもよりも遅い時間までテレビを見ながらだらだらと食べていい大晦日。
 親に咎められることもなく一年で唯一、夜更かしが許された大晦日。
 歌番組を眺めながら、徐々に重くなる(まぶた)を一生懸命開けて、まだ寝ない、眠くない、と頑張っていた夜。結局いつのまにか眠ってしまっていて、気付いたときには朝だった幼少期。


 娘が幼いころにも、大晦日に「まだ寝ない!」と頑張ったことがある。年越しの瞬間まで起きていたいと。
 時間の流れは同じで何も変わるわけではない。年号の数字が変わるだけのこと。当時は、娘が寝静まったらDVDで映画を観たりテレビはついているだけで本を読んでいたりすることが多くなっていたけれど、娘のおかげでその瞬間をただ起きて確かめたかった夜が、私にもあったと思い出した。

「起こしてあげるね」
 大晦日の夜、そう言って私はリビングのテーブルを脇によせ、ソファとテレビの間に、寝室からふたつのシングル布団を運んで敷き詰めた。母娘三人、今日はここで寝よう。たとえ眠ってしまっても年越しの前には起こしてあげるから、年越しの瞬間をここで見よう。と。
 娘たちは喜んで騒ぎ出す。
 しかもふだんは布団など敷かないリビング。見慣れぬリビング布団の光景に、上がった気分のままはしゃぎだす。意味もなくゴロゴロ転がったり毛布をかまくらにして潜ったり。

 なぜか私まで一緒に高揚した。
 脇によけられたテーブルの上には大晦日の夕餉の名残り、つまみやお酒やジュースが乗っていて、布団の上でとんでもなくだらしない時間を送る背徳感。若かりしころ友達と飲んで雑魚寝したことなどが思い出されるのもわくわくする一因なのかもしれない、と感じつつ。

 ソファを背もたれにして布団に座ったり、またソファへと戻ったりしながら、娘たちはしだいにズリズリと布団へ寝そべっていく。
「起こしてね」と言いながら夢の中へ。
 除夜の鐘が鳴りはじめた頃、私は娘たちを起こす。が、はしゃいで夜更かししてようやく眠りについた幼子はなかなか目を開けない。開けてもすぐにまた眠りへと(いざな)われる。
 翌朝、本当に起こしてくれた?と責めの視線を投げかけられて、また次の大晦日もリビングに布団を運んだ。翌年も。そうして我が家の習慣となった。

 数年後には三人そろって年越しを迎え新年の挨拶をしてから、じゃあおやすみ、と眠ることができるようになり、さらに数年経つとカウントダウンライブへと好みが変わって、親よりも夜更かしするようになった。娘たちは成長し、日頃から0時を過ぎて眠ることが増え、夜更かしも板についたころ、リビングに布団は必要なくなった。
 結局、何年くらいそうしただろう。成長してからの年月の方が多くなってしまったかもしれない。

 それでもこの時期、年越しの準備を始めようとするこの時期に、決まって思い浮かんでくる。大晦日のリビング。
 ソファーとテレビの間に敷いた布団の上で思い思いの場所と毛布を確保し、新年を迎えるまで他愛ないおしゃべりをしながら、酒やジュースを飲みゴロゴロダラダラしていたあのひとときが、ものすごく大晦日らしい夜だった。特別感ある夜だったと。






※冬の夜道、かわいらしい雪帽子が並んでいました
読んでくださりありがとうございます
よいお年をお迎えください



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