毎月ひとつのこだわりを

文字数 2,802文字

 社会人一年生となる春、三年間過ごした看護学生寮から引っ越しをした。ひとりをこよなく愛するタイプではあるが、四人部屋の寮生活は全く窮屈さを感じない快適な場所だった。
 それでもやはり念願の初一人暮らしに浮き足立つ私。

 インテリアが大好きなので、何が嬉しいって、これで思い通りの部屋が作れることだ。
 白と茅色(かやいろ)をベースにしたナチュラルカントリーにしたいと意気込む。実家暮らしの頃も個室だったけれど、まだ親が買ったものが断然多かった。それでもしょっちゅう模様替えをしたりお年玉を貯めて飾り棚を買ったりとインテリアにはこだわりが強かった。

 今度は玄関からキッチン、はたまたトイレやお風呂グッズまで好きなようにできるのだ。
 借りたのは1DK。キッチンがついた七畳と、奥にクローゼットが付いた六畳。床がグレーのカーペット敷きだったのがイマイチだったし理想とは違ったけれど、わりと新しくて綺麗で、初めての一人暮らしには充分な広さではあった。

 空っぽの部屋を見て、どこに何を置こうかなんて考えてワクワクしたものだ。ただ、現実はそう甘くはない。
 学生あがりの私は、好きな家具を揃えるにはお金がなかった。高校生の頃にお年玉を貯めて購入したお気に入りの白木の飾り棚は、寮生活の間に私の許可なく母が近所の人にあげてしまったという衝撃の事実が発覚。仕方なく、母がもういらないという使っていないベッドとタンスと炬燵テーブルが実家から搬入され、家電は姉のお下がりだった。
 ベッドは木製のそれなりに新しいものではあったけれど、タンスと炬燵テーブルは私が幼い頃から使っている昭和感溢れるものだった。
 時代は平成に入ったばかりのバブル期。トレンディドラマで映るのは、ため息が出るほどのお洒落な室内で、そこからは遠くかけ離れていた。

 それに加えて姉の家電。冷蔵庫はなんともメルヘンチックなピンク色。テレビはブラウン管の時代でもリモコンくらいはあった。なのにどこで仕入れてきたのか、チャンネルをガチャガチャ回すタイプで、しかも真っ赤だった。サイドには何やら国旗のシールまで貼ってあり、げんなりする。
 新しく買ったものは小さな安い食器棚とキッチンワゴン。これだけは白と茅色をベースに選んだ。選んだけれども、全体を見渡すと、色もまちまちでどうみても統一感のない部屋に仕上がる。仕方ない。これから少しずつ揃えていこう、と誓った。

 四月。初めての給料は全額ではないので、大きなものは買えず、布を大量に購入。ファブリックでとりあえず統一感を出す作戦に出た。
 そしてクッションをふたつ。イメージピッタリのを見つけウキウキして、傍目には迷惑だっただろうが、大きな袋をふたつ抱え地下鉄で帰った。
 これを置くだけで部屋が私の好みになる気がした。ソファもないのに。
 とりあえず床に転がす。
 残念ながら赤いテレビの自己主張が激しすぎて、私好みになんてほど遠い。私はテレビを真知子巻きのように、買ってきた布でぐるりと巻いた。せめてもの抵抗だった。

 五月。ベッドカバーを買った。まだ家具は高いのでファブリックでごまかし続ける作戦を継続。
 可愛い猫のパズルを見つけて衝動買いし、夜な夜な作って飾った。しばしば癒される。
 仕事でひとり立ちを始めた頃だった。戸惑いながら毎日過ごしていた頃。
 ネットで繋がるなんてない時代で、誰かと話したいときには徒歩数分の場所に部屋を借りていた同級生のところへ行くか、この猫を見てぼんやりひとりごとを言うかだった。

 六月。わずかだが賞与が出た。そのお金はKenwoodのオーディオを購入した。
 一人暮らしでやりたかったことのひとつに、ヘッドホンをせずに音楽を聴く、というのがあった。
 自宅でも寮生活でもずっと、音楽を聴くのは小さな音かヘッドホン使用だったから。しかも寮に持ち込んでいたのはカセットデッキでCDデッキではなかった。音もイマイチ。
 新しいオーディオから響く低音のサウンドは部屋の空間に広がって壁に反響し、私のお腹の奥にズンズン響いてくる感じで心地良かった。
 仕事では夜勤がシフトに入ってきた時期。生と死の狭間で体も心も疲弊し始め、同級生とは時間が合わなくなり、疲れていても昼間になんてなかなか眠れない。そんな中、お気に入りのクッションを抱えて、お気に入りの音楽を好きなように聴きながらくつろぐことは、何物にも代えがたい安息のひとときとなる。
 人と深く交わる仕事なだけに、ひとり内省的に過ごす時間を、私はより大事にしていた。

 七月。ローボードを購入。念願の家具で嬉しさが弾ける。好きな本やCDを並べては一歩引いて眺め、自己満足に浸る日々。自分の部屋がだんだんと私に馴染んで居心地の良い空間となり、ここに帰ってくるとホッとするな、と感じるようになっていく。
 職場のすぐそばだったので、仲良くなった同僚が時に転がりこんで泊まっていくようになった頃。夢だった仕事と現実との悩み、恋バナ、たくさん話した。部屋が賑やかになる時間もいい。だからこそ一人の時間を愛せる。もっと居心地の良い部屋にしたくなる。

 その後も、毎月部屋を形作るものを少しずつ増やしていった。
 些細な小物だけの月もあったけれど、それはそれで満足だった。部屋にひとつ、またひとつと、私の彩りが増えていく。
 好きなものに囲まれて、好きなことをして。そんな部屋で過ごす時間は、時に消耗し不安定になりそうな心を穏やかにした。

 入居時は最低限のものだけで少し閑散としていた部屋が、ひと月ごと徐々に寄り沿うように私の近くに来る。そんな瞬間を重ねて私はあの部屋と仲良くなり、辛く悩んだ社会人最初の二年間を共に過ごした。

 模様替えを繰り返し、いろいろ買い替えたけれど、あの自己主張の強いふたつの家電。
 実は部屋を出るまで買い替えずに、私はピンクと赤の家電と付き合った。最初からの住人は、私の身体のもととなる飲食物を毎日保管し、その時代の映像を心に送り届けてくれた。いつしか同志のようになり愛着が沸いていた。最後まで真知子巻きのままだったけれど。

 一緒に暮らす人を見つけ、私はその部屋をあとにする。荷物を運び出し、がらんどうになった部屋で最後に私はそっと大の字で寝ころんだ。グレーのカーペット好きじゃなかったんだよね。でもこの部屋好きだった。私を支えてくれたんだ。ちょっと泣きたくなった。

 仲良くしてくれてありがとう。
 そう思って立ち上がり、鍵を閉めた。

 たった二年の月日。
 苦いことも甘いことも すべて濃くて、輪郭が今も感じられる日々。
 毎月集め続けたこだわりのものたちは、困難を乗り越えるための手段だったのかもしれない。
 思えば、約半世紀となる人生での、たった二年間。あの二年間だけ私は一人暮らしをしていた。貴重な一人での 初めて借りたあの部屋での暮らし。
 それは私の「好き」を集めた日々。





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