埃と線香と茹でささげ

文字数 2,596文字

 私の祖母は、近くの公園で倒れていたところを発見されて救急搬送され、その後二十年にわたり入院生活をして、天に昇った。

 住んでいた家は長らく空き家となっていたが、亡くなるまで処分せずに、近くに住む叔母が時々風を通しに行ってくれていた。だから年に一度、母と私と娘二人で、夏休みに祖母の顔を見に行くときは、そこに泊まった。
 道北海沿いの町。車で片道六時間。JRは廃線となり、バスは日に数本。乗り継ぎや幼い娘の乗り物酔いを考えると車が気楽ではあったけれど、朝早くに出発しても着くのはお昼過ぎで、唯一の運転手である私はけっこう疲弊した。

 到着すると、いつも叔母が祖母の家を開けて待っていてくれた。少しカビ臭くて、少し埃っぽくて、私の体は過敏に反応してしまう。くしゃみと鼻水がとまらない。母はすぐに祖父の仏壇に線香をあげてお参りをする。娘たちも真似る。線香の煙が鼻腔と喉を刺激し、私は咳込む。
「布団も日干しして窓開けて風も通してあったんだけどねえ」と叔母に毎年同じ台詞を言わせてしまうのが申し訳なくて、数年後からは薬を事前に内服するようになった。薬を服用しても残念ながら劇的な効果は得られないのだけれど、飲まないよりは幾分いい。

 それでも、埃と線香に悩まされた思い出深い夜がある。
 酪農を営んでいた叔母の家は既に離農しており、その広大な敷地の一角で家庭菜園をしていた。一角とはいえ百坪以上はあり、私たちが行くと決まって総出で野菜を採る。
 まだ幼い娘たちは喜んでジャガイモを掘ったりニンジンを抜いたり。中腰が辛い母は、きゅうりやなす、トマトなど立って採れる種類を適度に。私は好きなトウモロコシや十六ささげを持ち帰ろうと、欲しいものだけ選んで採りまくる。叔母の家の野菜は特別美味しい。

 夕方、叔母と母がキッチンに立ち、テーブルには所狭しと料理が並ぶ。具沢山の味噌汁、筑前煮、なすの味噌炒めにポテトサラダ、ささげの煮物、等々。疲れた体にビールが欲しいところだが、私が唯一の運転手。しかもみんな下戸。当然アルコールは出てこない。

 もう食べられませんというほどにお腹を膨らませた夕食後、もちろん抗アレルギー薬も服用し、近くの温泉へ寄ったあと祖母の家へと戻る。布団に入ると案の定、再びくしゃみ鼻水が出てきた。母が心配するので一度起き上がる。
 母の心配は「大丈夫?」ではなく「何でそんなに咳がでるんだろうねえ」「おかしな体だねえ」と変換されて声に出る。責められているような気分になってしまうので、まだ眠くないふりをして茶の間へ移動し、テレビをつけた。とは言っても、茶の間を挟んで二部屋あるだけの町営住宅。ひとつは三畳ほどの仏間。もうひとつは六畳の和室でそこに三枚の布団を敷いて四人で雑魚寝。襖は取り外されており、茶の間とひと続きのようになっていたので、キッチンの電気だけをつけてテレビの音を小さく絞り、皆が寝静まるのを待った。

 ひとりで起きていると空腹感を覚えた。あんなにたらふく食べたのに。
 でもここは空き家。空っぽの冷蔵庫があるだけ。食べ物はない。と、キッチンの隅に置かれた段ボールが目に入った。叔母の家から持ってきた大量の野菜。
 そっと蓋を開けると、ジャガイモやニンジンに混じって「私がいるよ」と顔をのぞかせている野菜がいた。ささげ豆。
 北海道で出回る十六ささげと呼ばれるそれは、さやの中に十六個の豆があることから名づけられたというとおり、さやがインゲンよりも長くて、平たくて柔らかくて甘味がある。まだ緑のうちに収穫し、さやごと炒めたり煮たりして食する夏が旬の野菜。プチっとヘタをとって茹でるだけでも美味しい。茹でるだけなら水さえあればいい。

 細長い若草色の採れたて野菜としばし睨めっこしたあと、着替えて外に出た。私が子どもの頃の夜は、街灯以外に明るいものはなく星がくっきりとしていた田舎町。
 その年、祖母の家のそばに便利の波が侵入していた。「コンビニが出来てる!」と驚いたのだった。その町に初めてできたコンビニである。「24時間ではないよ」と叔母に言われたのを思い出し、まだ開いているだろうかと不安になったけれど、闇夜の中にコンビニの明かりは優しく灯っていて、ホッとしながらそこを目指した。

 迷わずロング缶のビールを二本購入。いま振り返ると、つまみも買えば良かったのにと思うけれど、そのときは思いつきもしなかったのだ。ただ、このあとこっそり真夜中にひとり、母に知られることなくささげを茹でることしか頭になかった。いたずらを思いついた子どものように、やたらと愉しくなって、星空を眺めながら鼻唄交じりで田舎道を歩いて戻った。
 段ボールから一掴み、ささげを取り出し茹で始める。
 気付くと、鍋を覗き込む顔がヒヒヒとにやけている。ハッとして後ろを振り返るが、大丈夫。皆寝ていた。

 無音にしたテレビの中でタレントが笑っている。すぐ横の和室ではその腹から私を生んだ母と、私の腹から生まれてきた娘たちが静かな寝息をたてている。微かに腹が上下するのを見、寝息をBGMに、ぽりぽりと私の咀嚼する音が響くなか二本目のプルタブを開ける。この上なく多幸感が溢れ、穏やかに気持ちが凪いでいく。ふんわり夢見心地で感覚のぼやけた身体からは、気付けば咳もくしゃみも鼻水もどこかへ去ってしまっていた。

 今はすっかり丸くなったのか諦めたのか、実家に行くとお酒を用意して待っていてくれるほどになった母だけれど、当時は私がお酒を呑むのを嫌がっていた。自分が呑まないので、どうして呑む娘になってしまったんだろうとか、小さな子を育てているのにお酒なんて、と嘆かれたこともある。
 見つかったら嫌な顔をされるだろうなと酔った頭で考えて、ふたつの空き缶とヘタの入った小さなゴミ袋をきつく締め、段ボールの中、野菜が入った袋のそのまた下、一番奥底へと入れて証拠隠滅を図ってから眠りについた。

 普段のおつまみは乾きものが多い私だけれど、夏、店頭に十六ささげが並び始めると手に取りビールのおともに選ぶ。すると、あの夜の埃っぽさと静けさと寝息とが昨日のことのように蘇り、ビールをより美味しくさせていく。
 一束百円程度の若草色の長いさや。硬めに数分茹でただけの十六ささげは、とびきり上級の一品となり、誰にも話さないまま私の心に封印された時間を連れて極上の夜へと(いざな)ってくれる。

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