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文字数 2,612文字

 三津夫は昭和8年、東京本所区錦糸町にて海軍の職業軍人だった田端幸太郎と母喜久子との間に次男として生まれた。7歳上には兄の信一郎がいた。
 家には祖母もいた。元旗本という家柄から嫁いだので厳格な人だっだ。足が悪かった祖母に喜久子はかいがいしく尽くしていたが、しょっちゅう小言を言われていた。
 喜久子は茨城の農家の出だったため訛りが出ることがあった。それだけでも祖母から注意された。
 幼少期、三津夫は病弱で医者には20歳まで生きられないかもしれないと言われるほどだった。しょっちゅう熱を出して寝込んだ。そんな時、兄信一郎は寝込んでいる三津夫を母親よりも献身的に看病した。三津夫が寝ている横に布団を敷いて一緒に寝ていた。時折起きては額の濡らした手ぬぐいの交換や汗を拭いたりした。
 そんなこともあり三津夫は兄にべったりと甘えた。軍人だった父親がほとんど家にいなかったので、信一郎は三津夫にとって父親代わりでもあった。

 昭和14年、三津夫が小学校に上がる年である。幸太郎が海軍少尉に昇進をした。
 その年は田端家の最も幸福に満ちた年だったかもしれない。
 幸太郎の昇進祝いと三津夫の入学祝いを兼ねた家族の宴が浅草の料亭で開かれた。東京大空襲の時に焼失してしまったが、その時に撮った家族の集合写真は三津夫の脳裏に今でもくっきりと残っていた。
 入学を機に仕立ててもらったちょっと大きめの学生服を着た三津夫とビシッと海軍の白い軍服を着た幸太郎が並び、その横には喜久子がお気に入りの紬の着物を着て立っていた。三津夫の隣には学生服の信一郎とその前に椅子に座った祖母がいた。家族全員がこぼれんばかりの笑顔を見せていた。

 小学生になった三津夫は相変わらず熱を出しては寝込む時が年に五、六回はあった。しかし、三津夫にとってそれは楽しみなことでもあった。
 何もしないで寝ているだけでいいのだ。家族は気を使って優しくしてくれるのだ。体はしんどいが、それが嬉しかった。
 熱のせいなのか目を閉じていると体が浮遊している感覚になるのも楽しかった。閉じた瞼の裏に広大な空間があり、その中をぷかぷか浮いて漂っている感じだった。
 
 信一郎は絵が上手かった。両国橋付近から川下りをする船を描いた水彩画が小学校の職員室入口に飾られていた。三津夫が通っていた頃のも飾ってあり、三津夫はその絵を同級生たちに自慢していた。
 三津夫もまた信一郎に影響を受け絵を描くことが好きだった。兄が描いた波を蹴立てて進む軍艦の絵や宙返りする飛行機の絵を真似て描いていた。おかげで、三津夫も絵が上手くなっていった。

 また、信一郎は三津夫に宇宙の話もしてくれた。アインシュタインに憧れていた信一郎は宇宙のことも詳しかった。
 三津夫が5歳の頃の話である。
 澄み切った夜空に三日月が不気味なほどにきれいに見えた夜だった。兄弟でそれを眺めた後、部屋に戻ったとき信一郎は野球のボールを持ってきた。そして、部屋の真ん中に文机を置きその上に燭台を置いた。それから蝋燭に火を点し部屋を暗くした。
「いいか、よく見ていろよ」と言って、信一郎は蝋燭の周りでボールをを動かした。そして、蝋燭の光がボールに少ししか当たらないところで止めた。
「ボールが何に見える?」
 信一郎が三津夫に聞いた。
 少ししてから「さっき見たお月様と同じ」と三津夫は答えた。
「正解」と言った後、信一郎は三津夫に説明をした。
「この蝋燭がね、太陽になるんだよ。そして、ボールがお月様だ。それを見ている三津夫は地球なんだ」
 三津夫はその説明を聞いて、この暗い部屋と今の夜空が同じ状態なのに不思議さとわくわく感を覚えた。それ以来、三津夫も宇宙に興味を持ち始めた。

 昭和16年、太平洋戦争開戦の年に信一郎は師範学校に入学した。
 アインシュタインに憧れていた信一郎は大学に通って相対性理論の研究をやりたかった。しかし、そんな研究をしても食べてゆけなくなるだろと心配した両親の強い反対にあった。結局、信一郎は折れて先生になることにしたのだ。
 そんな信一郎だったが、師範学校には1年しか通えなかった。結核を患ったのだ。信一郎は学校を辞め家での療養生活になってしまった。
 三津夫は直接信一郎に甘えられなくなった。兄の寝ていた部屋と襖で仕切られた部屋で話をするだけになってしまった。
 信一郎の話は宇宙についてのことが多かった。三津夫が不思議に思ったことを信一郎に問いかけるという具合だった。
「ねえ、兄ちゃん、野球のボールは投げ上げると落ちてくるのに、なぜ月は落ちてこないの?」
 三津夫は座ったまま、ボールを投げ上げてはそれを掴みながら聞いた。
「それはね、月は1秒間に1キロメートルも動くから落ちてこないんだよ。ボールもね、ものすごい速さで投げれば地面には落ちないで飛び続けるんだよ。ただし、地球の上には空気があるから飛び続けるのは無理だけどね」
「それじゃあ、空気が無くてものすごい速さでボールを投げたら地球を回って反対側からボールが帰ってくるということなの?」
「うん、そうだね。でも、1秒間に8キロ進む速さで投げなければならないよ。これは大砲の弾よりも何倍も速いんだ」
「うーん、人間じゃ無理だね。でももし、そんな速さで投げられたら面白いだろうなあ。目の前をびゅんびゅん飛び回るボールが見れるんだよ」
「そうだね、兄ちゃんも見てみたいよ。でもね、人間は秒速8キロなんてボールは投げられないけど、じつは1秒間に30キロという速さで移動しているんだよ。太陽の周りをその速さで地球と一緒に飛んでいるんだ」
「ええ、本当?ぜんぜんそんな感じしないよ」
「でも、本当のことなんだよ。地球は今も、ものすごい速さで飛んでいるんだ」
「それなのに何もも感じないなんて不思議だね」
「そう、宇宙には不思議なことだらけだ。だから兄ちゃんは病気が治ったら、今度は大学にいくよ。宇宙のことをもっと知りたいからね」
 
 そんな信一郎も昭和18年2月に、喜久子の看病や三津夫の願いも虚しく亡くなってしまった。
 三津夫は信一郎の遺体が寝かされた布団の傍で泣きながら眠った。2日後には幸太郎の戦死の知らせも届いた。幸太郎の乗っていた軍艦が沈没したため遺骨はなかった。
 2人の葬儀は一緒に執り行われた。葬儀の時、三津夫は泣かなかった。1人残った男の自分が母親と祖母を守らなければならないと思って涙をこらえたのだ。


 
 
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