甲本の戦争   1

文字数 5,644文字

 大正のはじめの頃、東中野に聖12使徒教会が作られた。医師の資格を持つカトリック教司祭手塚京志郎が建てた教会で、その隣には手塚が院長を務める聖ペトロ病院があった。聖ペトロ病院は貧しい人には、ほとんど無料で診察を行っていた。そのため、遠方からも多くの人が病院を訪れた。
 その病院の近所に甲本秀樹の家があった。甲本は1922年(大正11年)の生まれで、両親と四つ上の兄、三つ下の弟がいる五人家族だった。甲本家は家族全員が病気のたびに手塚先生に診てもらっていた。
 甲本家は仏教徒だったが、甲本の母親志摩子は長男が五歳頃から日曜に開かれる教会のミサ等に子供を連れて参加するようになった。甲本も同じ頃から志摩子と一緒に教会に行っていた。役人をしていた父親の勇実は教会に行くことはなかったが、ミサで手塚先生がどんな話をしていたか志摩子から聞いていた。
 長男の克実や三男の聡は、それぞれ十歳になる頃には教会へ通うのをやめていた。克実は思春期で母親に付いて行くのが嫌になり、聡は日本が軍国主義に傾いていた時勢でもあり周りの友達から軟弱だとか非国民だとか言われたからだった。
 そんな兄弟をよそに、甲本は旧制中学に上がっても教会に通い続けた。もちろん彼も周りの友達から軟弱だとか非国民だとか言われたが、それでも通っていた。その理由は一人の女性にあった。その女性は甲本と同い年の須藤日奈子だった。やはり、幼い頃から母親に連れられ大塚の方から教会に通っていた。甲本が十歳の頃、母親同士が仲良くなったのをきっかけに二人も仲良くなったのだ。そして、甲本と日奈子双方にとって互いが初恋の相手になった。二人がそれぞれ旧制中学と旧制女学校に上がってからは、母親達は二人の関係を認め日曜のミサの後に二人を残し先に帰ることもあった。
 司祭の手塚は軍部が台頭しはじめると、信者や病院に通う患者への弾圧を恐れ早くから天皇崇拝を表明して教会に神棚を設置した。さらには、年に何回か靖国神社の参拝も行った。病院の名前も所在地の町名から氷川町病院とした。そのおかげで、日曜のミサ等の教会行事は続けてこられたが、それも昭和15年までで、それ以降すべて中止せざるおえなくなった。
 その年昭和15年、甲本は東京帝国大学に合格して理学部物理学科に進んだ。実家から通うこともできたが、甲本は帝大近くに下宿をして一人暮らしを始めた。その下宿先は日奈子の家の近くだった。日奈子の方はというと、家の近くだった東京高等女子師範学校に入学していた。当然、甲本は頻繁に日奈子の家を訪れるようになった。双方の両親とも、いずれは二人が結婚するものだと思っていた。

 昭和16年、いよいよ日本が太平洋戦争に突入する年である。興行全般は検閲を受け内容の変更や上演中止を余儀なくされていた。そんな中で、日本人で世界的に活躍していたソプラノのオペラ歌手景浦珠子の独唱会が開かれることになった。時勢的に劇場での大々的な公演を開くことができず、場所は日奈子の家からほど近い「カフェ田園」の店内だった。
 明治期に出来た日本のカフェはパリにあったカフェを真似て作られ、上流階級の社交場や文化人の集まる場所だった。それが関東大震災以降、日本のカフェは風俗化して女給などが今のバーのホステスのように客の相手をする場所になっていた。そんな中でもカフェ田園は昔ながらに裕福な人達や文化人が集う店だった。景浦珠子の独唱会は、その田園の経営者と常連客が密かに企画したものだった。
 日奈子がその独唱会開催を知ったのは近所に住む女給として田園に勤めていた女性からだった。日奈子は景浦珠子に憧れていた。自分自身も旧制女学校時代から合唱部に所属していて、歌うことがとっても好きだっのだ。しかし、その入場料はとても高く女学生の日奈子には出せなかった。そのことを甲本に話すと甲本が入場料を出してやると言った。そして、自分も行きたいと言い出した。甲本も世界的な景浦珠子の歌を聞いてみたいと思った。それに、暗く重苦しい時代の空気を一時でも忘れ日奈子と過ごしたかった。

 10月14日夜七時、甲本が親や兄に頼み込んだりしてどうにか工面したお金で手に入れた入場券を持って二人は独唱会の開催される田園に向かっていた。秋雨の降る肌寒い夜だった。甲本は帝大の制服にマント姿で、日奈子はセーラー服の下にモンペを履き同じくマントという服装だった。それぞれ傘を差して歩いていた。
 田園の近くまで来ると、後部を改造して薪を燃やすボイラーの付いた木炭車が水しぶきをあげて二人の脇を通っていった。燃料を軍にまわすために民間の車はガソリンの使用が禁止されていたのだ。そのため、東京の街を走っていたのは木炭バスや改良してボイラーが積める大型の車だけだった。
 二人を追い越し木炭車は田園入口付近で止まり、中から人が降りてきた。すると、傘を差して入口に立っていたボーイが出迎えて田園の入り口のドアを開け中に案内していた。二人はその様子を歩きながら見ていた。二人とも田園に入ったことがなかったので、入口の様子を見て何か場違いな所に行くような気がしはじめた。
 二人が入口まで着くと、場違いなところに来てしまった感じが強くなった。入口に立っていたボーイが二人を見ると怪訝そうな表情を浮かべたのだ。甲本はあたふたしながらマントの下の制服のポケットから入場券を出した。ボーイはそれを確かめると、怪訝な顔のままドアを開け中に案内した。二人が中に入ると、さらにいっそう場違な感じが強まった。女性客はすべてドレスや着物で着飾っていた。同伴している男性もカーキ色の国民服ではなく仕立ての良い背広や燕尾服を着ていた。
 二人は中にいたもう一人の、やはり怪訝そうな顔をしたボーイに「マントと傘をお預かりします」と声をかけられた。「いや、このままで結構です」と甲本が答えたが、ボーイは「濡れたマントのままでは困りますから、どうかお脱ぎください」と言った。仕方なく二人はマントを脱いでボーイに預けた。
 制服とモンペ姿の二人は、その場を逃げ出したくなるくらい恥ずかしくなっていた。二人とも青ざめた顔になって下を向きながらボーイに案内され店内の中央の席に座った。周りの客の奇異なものを見るような視線を感じ二人は顔を上げることができなかった。針のむしろに座らされたように縮こまっていた。
 田園の店内は独唱会用にテーブルが片付けられ椅子だけが整然と並べられていた。椅子の数は七十脚ほどだった。並べられた椅子の前にはピアノがあり、その近くにテーブルが置かれていた。そのテーブルの上には大きな花瓶に花が生けられていた。店内の壁にはいくつもの油絵が飾られてあった。しかし、二人はそれを見ることができなかった。
 二人には長い長い20分間だった。「それでは皆さんお待たせしました。景浦珠子独唱会を始めます」という男性の声がかかると店内の照明が消された。それでようやく、二人は顔を上げることができた。
 ピアノのある付近はスポットライトのように天井の明かりが残されていた。まず、燕尾服を着たピアニストの男性が現れ、一礼してピアノの前に座った。そして、ロングドレスを身に纏った景浦珠子が厳かに現れ会場は拍手に包まれた。二人も拍手をした。
 今や、世界的な大歌手となった景浦珠子がついに目の前に現れた。二人の頭の中からは、服装の恥ずかしさは無くなっていた。
 ひとしきり続いた拍手が終わり静寂が戻ると、いきなりピアノの前奏が始まった。曲は景浦珠子を世界へと羽ばたかせた、歌劇蝶々夫人の中の有名な歌「ある晴れた日に」だった。

      ある晴れた日に
      海の彼方に一筋の煙が見え
      白い船が港に入り、礼砲が鳴るわ
      見える、彼が来るわ!
      でも、私は迎えに行かないの
      丘のふもとであの人を待つわ
      待つのは辛くない、どんなに長くても
      ・・・・・・・

 日奈子はこの歌を吹き込んだレコードを持つ友人の家で何度も聞いたことがあった。甲本も何度かラジオから流れるこの歌を聞いたことがあった。もちろん、二人とも蝶々夫人の悲しい物語は知っていた。5メートルも離れていない景浦珠子の歌声は、二人に蝶々夫人の舞台に立っているかのような錯覚を与えた。日奈子は珠子の生の歌声を聞いた感動と蝶々夫人の悲しい物語を思い自然と涙がこぼれた。それは周りにいた女性客も同じで、皆がハンカチを手にしていた。
 甲本は日奈子の横顔を見た。涙が光っていた。それは、この世の何ものよりも美しいと思った。
 歌が終わると、一瞬の静寂を置き万雷の拍手が起こった。珠子は笑顔で何度も両手を広げ片膝を折りお辞儀をした。そして、鳴りやまぬ拍手を制するように話始めた。
「たくさんの拍手をありがとうございます。今晩は雨の中を私の独唱会に来ていただきまして、感謝申し上げます。さて、今の世の中、暗く重い空気に満たされてしまいました。でも、今宵だけは私の歌を聞いていただき、それをお忘れください」
 また会場から拍手が起こったが、景浦珠子は話を続けた。
「私はつい先日まで、大陸を慰問して回っておりました。まあ、歌わされるのは童謡や流行歌ばかり、軍歌も歌わされました。ほんと、ソプラノで歌う軍歌ほど間の抜けたものはございません」  ここで、少し笑いが起こった。
「私はオペラを歌いたくて仕方ありませんでした。今宵、カフェ田園さんで、このような会を開いていただき感謝します。思う存分、ここでオペラを歌わせてもらいます」
 またも会場は拍手に包まれた。
 景浦珠子は言葉通りに、踊るような身振り手振りで思う存分歌った。時には客席を回り客に話しかけるように歌った。
 ビゼーのカルメンでは妖艶なジプシー女になり、ヴェルディーの椿姫では純粋な恋に生きるか享楽的な人生に流されるかを悩む女性になった。モーツァルトのフィガロの結婚では愛の神に恋の苦しみからの解放を願い、プッチーニのジャンニ・スキッキでは父親に恋の成就を願う乙女心を歌った。
 その歌「私のお父さん」を歌い終えた珠子は、突然、甲本と日奈子に話しかけた。
「可愛いお二人さん、さっきから気になっていたのよ。お二人は学生さん?」
 二人は突然のことで声が出ずただ頷いた。
「そうなのね、それで、その制服はどちらの学校かしら?」
 珠子が甲本に聞いた。
「は、はい、東京帝大で、です」
 甲本はしどろもどろになった答えた。
「あらまあ、素晴らしい、帝大の学生さんなんて。それで、こちらの御嬢さんも
学生さんなのね、御嬢さんはどちらの学校?」
「私は・・・・・、東京高等女子師範です」
 小声で日奈子が答えた。
「まあ、素敵、秀才に才媛の恋人同士なのね」
 そう言われ、二人は顔が赤くなり下を向いてしまった。
「もう、恥ずかしがって下を向いちゃったのね。でも、恥ずかしがったらダメよ、自身を持って堂々していてね。どんな時代になっても若い男女の仲は止められないの。さあ、顔を上げて」
 二人はゆっくりと顔を上げて珠子の顔を見た。
「そう、それでいいの」
 珠子は満面の笑みだった。会場から拍手が湧いた。
「それじゃあ、これから二人に似合いの曲を歌うわね。プッチーニの歌劇つばめからドレッタの夢という曲よ。この曲はね、ドレッタという娘さんが学生に口づけされ世界が情熱に包まれたような恋を感じてしまい、気が狂うほどの陶酔を歌うのよ。でもそれは、じつはね夢の話なの。好きな人とそうなりたいという女性が自分の夢として歌ってるのよ」
 二人はそう聞かされ、また顔を赤らめた。口づけなんて考えてもみなかった。まだ、手も握ったことのない二人の恋だった。それでも、珠子の歌声によって二人は陶酔の夢の中に入った。
 その後、珠子は4曲ほど歌い最後にヘンデルの歌劇セルセからオン・ブラ・マイフを感動的に歌ってフィナーレを迎えた。
 アンコールの拍手が鳴りやまなかった。甲本も日奈子も力いっぱい拍手を続けた。それに応えて退場していた珠子が戻ってきた。
「万雷の拍手をありがとうございます。それではアンコールにお応えして、もう一曲歌わせてもらいます。曲目は何がいいですかしら」
 珠子は顎に右手を付けて考えた。
「じつは、大陸を慰問に回っていた時、若い兵隊さんがいると最後の曲をその人たちに決めてもらっていました。ここでも若いお二人さんに決めてもらいたいんですが、皆さん、どうでしょうか?」
 承諾の拍手がなった。
「よろしいようね。それではお二人さんどちらでもいいので、歌ってもらいたい曲があれば言ってください。童謡でも流行歌でも何でもいいわよ。知らない曲なら知らないって言うけど。大陸で相当歌わされたから大概の曲は大丈夫よ、どう?」
 二人は顔を見合わせた。甲本が「自分は思いつかない」と日奈子に耳打ちをした。日奈子は「それじゃあ、私でいいよね」と言い返した。そして、ゆっくりと手をあげた。
「御嬢さんの方ね。何を歌ってほしいのかな?」
「すいません、あのー、シュ、シューベルトのアヴェ・マリアを願いします」
 日奈子は緊張しながら言った。
「あら、素敵な曲、私もこの曲大好きだわ」
 ピアノのとの音合わせの後、珠子は両手を胸の前で組んだ。
「それでは大陸の戦争が早く終わり、若い兵隊さんがここにいる二人のように、好きな娘さんを連れ歌を聞きに行ける平和な時代が来るように祈りを込めて歌います」

      アヴェ・マリア 慈悲深き乙女よ
      一人の生娘の祈りをお聞き入りください
      この固く荒々しい岸壁の中から
      私の祈りが貴女のもとに届きますように
      ・・・・・・・・・・

 だが、その祈りは届かなかった。独唱会から二か月後に日本軍はハワイ真珠湾を奇襲し戦火は太平洋に広がった。そして、甲本も日奈子もそれに飲み込まれていった。

 
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