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文字数 2,977文字

 春休み中の部室は誰もおらず、真子は無事に茉莉花の箱を回収した。
 茉莉花の言葉どおり、棚の奥にアンティークの箱はひっそり置かれていた。
 宝物のように箱を抱え、真子は意気揚々と家に帰った。

「ただいまー」
 まだ六時半だ。夕飯までまだ時間がある――と思ったのも束の間、母が台所から飛び出してきた。

「真子! あんた、どこに行ってたの?」
 母が血相を変えて詰め寄ってきたので、真子は思わず硬直した。
「だから……先輩とお茶して、それからちょっと用事ができて高校に行ってきたの」
「小鹿さんと一緒だったの?」
「一時間くらい前にカフェで別れたけど……どうかしたの?」
 母の顔がくしゃりと歪んだ。

 顔からは血の気が引いていて、最悪の想像をするのに十分なほどの変容だった。
「先輩に……何かあったの?」
「さっき顧問の先生から連絡があって……小鹿さん、亡くなったんですって」
「は?」
 真子は声が裏返るのがわかった。

 ――小鹿先輩が……死んだ?

 まだ、母の言う言葉がうまく認識できない。
「嘘……なんで……」
「昨日の夜、事故に遭って病院に運ばれて集中治療室にいたけど、今朝になって息を引き取ったって」
 真子は呆然とした。
 カフェの帰りに事故にでも遭ったのかと思ったのに、事態はどんどん迷走していく。
 真子は何とか整理しようとした。

「今朝、亡くなったってこと?」
「……ええ。連絡を受けて先生たちは病院で対面したって。
 それで今日お通夜で、明日は葬儀だから、同じクラスと部活の生徒たちに連絡してるそうよ。それでウチにもさっき先生から電話があったの」
「そんな……」

 真子は手にした箱に目を落とした。鍵もちゃんとバッグに入っているはずだ。
 直接、茉莉花から手渡され、頼まれたのだ。
 クリームソーダの味だって、まだ覚えている。
 あれは夢でも幻でもない。
 ――そのはずだ。

「あんた……さっき、小鹿先輩と会ったのよね?」
 母がおそるおそる聞いてくる。
「会ったよ! 普通に話したし……お母さんだって電話出たでしょ?」
「そうだけど……私は声を聞いただけだから」
 何が起こっているのか理解できない。
 まるで不思議な小説の中に飛び込んでしまったかのようだ。

「ちょっとさっきのカフェに確認に行く!」
 箱を下駄箱の上に置くと、真子は家を飛び出した。
 右を曲がってすぐの所、真子は三十秒もかからず到着した――が。

「なんで……?」
 ついさっき出てきたはずのカフェが消えていた。
 そこは、ただのシャッターを閉めた店になっていた。
 看板もなくなってしまっている。

「そんな……」
 辺りを見回してみたが、カフェなど影も形もない。

「真子!」
 追いかけてきたらしい母が声をかけてきた。やはり母も気になったらしい。
「カフェってどこにあるの?」
「ここ……だったんだけど」
 真子は震える指でシャッターを指した。

「……ここは金物屋さんだったけど、もう長いこと閉めたままよ。この辺りにカフェなんて変だと思ったけど」
「だよね」
 こんな駅から離れた住宅街にカフェなんて、もしあったら知っていたはずだ。
 母がそっと真子の背に手をやる。

「とにかく、帰りましょ」
 真子は呆然としながら、母に連れられるようにして歩き出した。
 わけがわからない。
 先輩は亡くなっていた?
 そういえば、どこか変だった。ずっと違和感があった。

 ――箱を預かって欲しいの。

 それはまだわかる。隠し場所がなくて預かってほしいと頼むのは。でも、なぜ鍵まで渡したのだろう?
 それに、茉莉花のあの言葉。

 ――続きを書いてみない?

 自分が今書いているお話を他人に託すなんて、まるで遺言のような――。
 真子はぶるりと体を震わせた。
 盗まれた部誌に、あまり興味を示さなかった茉莉花。
 そういえば、自分の部誌をくれると言っていた。
 普通なら、そんなことしない。

 ――でも自分が死んでいたら?

 本題は真子に隠してある箱を回収してもらい、預けることだと言っていた。

 ――まさか、そのために死後に私を呼んだの?

 そう考えれば、理屈はともかく合点はいく。

 先輩は幽霊だった?
 あの店はいったい何だったの……?
 夢か幻……? でも私は鍵を受け取った……。

 混乱する真子の問いに答えてくれるものは誰もいなかった。 

         *

 翌日、真子は部活の友人たちと一緒に、茉莉花の葬儀に出た。
 葬儀には制服姿の高校生たちが大勢参列していた。
 茉莉花は部内でも慕われていたが、それは同級生たちも同じだったと見え、泣いている子やつらそうな顔をしている子たちであふれていた。

 だが、真子はここに来てもまだ、茉莉花の死を信じられなかった。
 昨日の、生き生きと笑う茉莉花の顔が焼き付いている。

 ――あれは先輩の幽霊だったの?

 でも、コーヒーを飲んで、鍵を渡してくれた。
 そもそも、幽霊って物を持ったりできるの?
 わからない。
 昨日のあのカフェでのひとときが、現実なのか夢なのか、まったくわからない。

 真子は周囲の部活仲間にそれとなく聞いてみたが、皆彼女の突然の逝去にショックを受け、嘆いているだけだった。
「もっと話したかった」、「こんなに急に」など、ただ早すぎる茉莉花の死を悼み、悲しんでいる言葉しか出てこない。

 クラスメイトや茉莉花の両親の様子もそれとなく観察したが、大事な人を喪った嘆きしか感じられなかった。
 もし同じ体験をした人がいたら、きっと自分と同じように不可思議なことを解決しようと参列者に声をかけたり、見回しているはずだ。
 真子の胸に、まさかという思いが去来した。

 ――私だけなの? 死後の先輩に会った人は。

 それは少なからず、真子に衝撃を与えた。
 自分はただの後輩だ。
 幽霊となった茉莉花が会いにいくべき人物として、ふさわしいとはとても思えない。
 両親をはじめとする家族、親友、もしいたならば恋人など、最後に会いに行きたい人はほかにいるはずだ。
 だが、茉莉花が選んだのは、ただの部活の後輩の真子。
 それは一つの真実を示唆していた。

 ――先輩は鍵を渡す人を呼んだんだ。つまり、自分の物語を託す人を。

 そして、私が選ばれた。
 預かって欲しい箱に入っていたのは小説。
 つまり、茉莉花の一番の心残りは、”書きかけの小説”だということ――。
 最後に会いたいのは、両親でも親友でもなく、小説を託せる人……。

 思い返せば、茉莉花は遺言を伝えに来ていた。
 同じ創作者として気持ちはわかる。
 自分がもし急死したら、隠してある創作ノートが気になる。書きかけの物語も。
 親に見られたくないし、できれば誰か信頼できる人に渡すか処分してほしいと願うだろう。

 でも、茉莉花は『処分してくれ』とは頼んでこなかった。
 箱の回収と保管、そして――物語の続きを書かないかとだけ。
理由は一つしか思いつかない。
 なぜなら、たぶん私が一番のファンだから。
 熱心に続きを――部誌を盗んでまで置いておきたいくらい大事にしていたから。
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