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文字数 2,612文字

 葬式から一週間ほどたった後、真子は約束どおり、家を訪ねた。
 茉莉花の家は、高い壁に囲まれた、古びてはいたが立派な邸宅だった。
 手入れされた和風の庭を眺めながら、真子は玄関へと足を進めた。

 迎えてくれたのは、真子の両親より年配の夫婦だった。
 部の後輩である真子を丁重に迎えてくれはしたが、笑顔はない。

「部誌を譲っていただく約束をしていたのですが……」
 おそるおそるそう切り出すと、あっさり二階の茉莉花の部屋に案内された。
 娘の書いたものを手元に置きたいと言われれば、すぐさま固辞するつもりだったが、ふたりはむしろ持っていけと言わんばかりだった。

「他にもほしい本があれば、どうぞご自由に」
「あの子はよくできた子でしたけど……。小説を書くなんておかしなことに熱を上げて、文芸部なんて……」
 茉莉花の両親は、文芸部の後輩と名乗った真子に対しても、嫌悪を隠そうともしなかった。
 酔狂な――そんな思いが露骨に伝わってくる。

 この家で茉莉花は育ち、そして小説を書いていたのか――。
 暗澹たる思いが込み上げてくる。
 自分の両親も小説に特に興味を示さない人たちだが、少なくとも真子の行動を制限したり、批判したりすることはなかった。

 茉莉花は窮屈な思いをしていただろう。一人っ子ということもあり、茉莉花は期待されていたに違いない。親の選んだ人生を歩むことを。
 その重圧たるや、数分一緒にいた自分ですら疲れるほどだ。
 こんな家では落ち着いて創作できなかったのかもしれない。
 だから学校で書いて、書いたものは基本的に持ち歩くか部室にこっそり隠していた――。

 茉莉花の部屋はゆったりした十畳くらいの洋室だった。
 きちんと整頓されており、窓からは明るい日差しが差し込んでいたが、主を失った部屋はどこか寂しげだった。
 真子は整然と並べられた本棚の前に立った。
 部誌はすぐに見つかった。
 彼女の言ったとおりの場所にあったからだ。
 真子はそっと部誌を手にした。
 
 茉莉花の書いた物語。
 それは彼女の生きた証だ。

 ぱらりとページをめくる。

 鍵の王国物語 ――第1話――

 その文字が目に飛び込んできたとき、視界が滲んで揺れた。
 主人公の少女はつらい現実のなかを生きていた。
 新世界を求め、鍵を使って新たな世界へと彼女は足を踏み出した。

 そこが氷で閉ざされた国でも、嵐が吹き荒れていたとしても――それでも私は行くのだ。

 力強い言葉が目に入る。
 先輩も切望していたのだろうか。自由な新しい世界を求めていたのだろうか。
 いつか、この窮屈な巣を飛び立ち、広い大空に羽ばたくことを夢見ていたのだろうか。

 ――でも、それは叶わなかった。
 彼女は別の形で旅立つことになった。

 そして、茉莉花は鍵を後輩である真子に託した。おそらくは、もっとも自分の小説を愛している人間へ。
 ぐっと胸に込み上げるものがあった。

 あれが――先輩と話す最後の機会だとわかっていたら。

 言えばよかった。
 ドン引かれても、もっと熱く語ればよかった。
 毎回、続きをとても楽しみにしていたこと。
 主人公の真理に共感して、彼女の冒険を応援していたこと。
 彼女が諦めずに窮地を脱したとき、自分も力をもらった、と。
 私も頑張ろうって思えたってことを。
 そして、大ファンであること――部誌を盗むほど、小説を手元に置きたくて。
 内容はコピーすれば読めるけれど、本棚に並べたかった。

 ――あなただけよ。楽しみにしてくれていたの。

 だから、大事なものを託す。
 そう言ってくれていたのに。
 ちゃんと私の口から熱い思いを伝えていたら、先輩はどんなに喜んだだろう。
 なのに、ちゃちなプライドが邪魔をしてできなかった。
 悔しくて悲しくて、涙があとからあとから頬を伝う。
 真子はぐいっと乱暴に手でぬぐった。

 大事なことを伝えられないまま、人は突然いなくなる。
 どんなに若かろうと、その可能性はあるのだ。
 茉莉花は十七歳でこの世を去った。
 私だってわからない。明日、死んでしまうかもしれない。
 確実なのは、今この瞬間だけ。
 ぼうっとしている暇はない。書きたいものがあるのならば、書けるうちに書くべきだ。
 猛然と机に向かいたくなった。

        *

 茉莉花の家を辞去した真子は足早に歩いた。
 三日前には満開だった桜は、もう葉桜になっていた。
 なんて、儚いのだろう。

 桜の名所――今年も結局行かなかった。
 だって、行こうと思えばいつでもいけるから。
 桜は毎年咲くし、日帰りで十分行ける場所だ。

 ――でも、次に桜が咲く頃、自分はこの世にいないかもしれない。

 無駄にしている時間はない。
 新作にもすぐ取りかかる。
 気になる場所には必ず行っておく。
 たとえ明日死んだとしても、悔いがないように――。

 そして、もし小説を書き続けられたら。
 いつか、鍵の王国物語を自分の手で続けていけるかもしれない。
 どんな形になるかわからないけれど。
 誰にも見せないかもしれないけれど。

 まだ見ぬ未来。
 それは手にできないかもしれないけれど。
 せめて、必死でやったという爪痕を残すんだ。
 自分の体が塵と消えても――後悔しないように。

 さあ、足を踏み出せ。
 自分で望みを掴みに行くんだ。
 私は大魔法使いに鍵を託された、運命の少女なんだから――。

 涙がこぼれ落ちる。
 もっともっと茉莉花と話したかった――ずっと物語を書いてほしかった。

 後悔の念と己の未熟さを胸に抱き、今、少女の新たな旅が始まる――。

  了                 
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