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文字数 3,104文字

「――さん。田代さん」
 真子ははっと顔を上げた。
 茉莉花が話しかけていたのに、自分の世界に耽溺してしまっていた。
 恥ずかしさに顔を赤らめて、真子は茉莉花の顔を見た。

「あの続きは書かないの?」
「……書きたいとは思っているんですけど」
 当初、書きたいネタはいっぱいあった。でも、誰からも興味を持ってもらえず、同じ誌面に載っている茉莉花の『鍵の王国物語』と明らかに力量に差があって、自分の未熟な話を書く気力が失せてしまった。
 でも――茉莉花が気に入ってくれているのなら。
 勇気を振り絞って続きを書いてみたい。

「先輩は……小鹿先輩はもう書いたんですか?」
「え?」
 茉莉花がきょとんとした顔になる。
 真子は苛立った。この話の流れだと、連載中の『鍵の王国物語』の続きに決まっているのに。

「だから――第8話ですよ! 『鍵の王国物語』の!」
「……ああ、やっぱり」
 茉莉花がふっと微笑んだ。

「部誌を盗んだの、田代さん?」

 ぐうっと喉の奥で小さな呻き声がした。
 突如飛来してきた槍に、胸を刺し貫かれたようだった。
 真子は息すらできず、凍りついた。

 ――なんでバレたの?
 ――やっぱり春号の原稿なんてただの口実で、部誌を盗んだ犯人捜しをしていたの?
 ――そうだ、そうに決まっている。だって、わざわざ近所まで来るなんて。

 目の前のクリームソーダはバニラアイスが溶けてしまい、ソーダと混ざって濁ってしまっている。
 真子はなんとか平静を装おうと、ぐちゃぐちゃとスプーンでグラスの中をかき混ぜた。
 この場をやり過ごさなければならないのに、混乱して頭が真っ白だ。

「やだ、そんな顔しないで」
 おそるおそる目を上げると、苦笑している茉莉花がいた。

「驚かせちゃったね。もしかして、って思ったの。
 だって、私が入学したときから書き続けている物語のこと、ちゃんと読み続けてくれているのは田代さんだけでしょ? 
 そして、盗まれた部誌は三冊。私が一年生のときに書いた、『鍵の王国物語』の第一話から第三話が載っている分だけ。
 で、その部誌は後輩の田代さんは持っていない。だから、もしかして、って」
「……私以外、物語をちゃんと読んでないってなんでわかるんですか?」
 もう罪は暴かれた。なのに、拗ねたように食い下がってしまう。

「そもそも、小説を好きで読んでいる部員自体が少ないでしょ。『楽な部活だから』という理由で入部した雑談目的の子も多い。
 でも、ピンときたのは内藤(ないとう)くんの話を聞いてから」
「内藤先輩?」
 真子はぎくりとした。

 内藤は一学年上で茉莉花とは同学年。文芸部の副部長をしている。
「田代さんから、私のことをいろいろ聞かれたって。
 『鍵の王国物語』の他に何か書いてないのか、部誌以外で原稿があるなら、中学時代のものでもいいから読んでみたいって言われたって」
 頬が燃えるように熱い。顔が赤く染まっていくのがわかる。
 恥ずかしさでいたたまれない。
 真子は密かに、人の良さそうな丸顔の内藤を恨んだ。

 ――秘密にしてって頼んだのに、おしゃべり男め。

 内藤は副部長で茉莉花と仲がいいし、同じ中学出身と聞いて、藁にもすがる思いで尋ねたのだ。
 なのに、特に情報ももらえなかったうえ、本人に告げ口するとは。

 真子は茉莉花の物語に、すっかり傾倒してしまっていた。
 そうなると、他にも読んでみたくなるのが本読みの(さが)というものだ。
 これほどの作品が定期的に書けるなら、きっと過去にも何か書いているだろうと当たりをつけたのだ。

 それほどまでに固執してしまった結果、悪影響も出た。
 自分の物語が書けなくなったのだ。
 何を書いても比べてしまい、茉莉花の圧倒的な筆力の前では自分の作品が霞んで見えた。
 しかもついつい筆が進むのは、鍵の王国物語に出てくる登場人物たちのその後の話やサイドストーリー。
 こんなこと、恥ずかしくて誰にも言えなかった。
 真子は未練がましくストローをくわえていたが、もうグラスの中には氷とこびりついたアイスの残骸しか残っていなかった。

「すいません……」
 ストローから口を離すと、真子はぺこりと頭を下げた。
「部誌を盗ったのは私です。三冊とも家にあります」
 とても隠し通せそうになかった。ずっと罪悪感に苛まれていたし、しかも一番知られたくない相手に指摘されてしまった。
 自分の動揺っぷりに、どうあがいても誤魔化すのは無理だと痛感する。

 視線を感じたが、真子はうつむいたままだった。とても目を合わせられない。茉莉花がどんな風に自分を見ているのか知りたくなかった。
「部誌は部室の戸棚に戻してね。過去の部誌は予備がないから、今後の子のために」
 静かな声だった。そこには侮蔑も冷ややかさも感じられなかった。
 真子はそろそろを顔を上げてうなずいた。

「……はい」
 そうなのだ。内藤から過去の部誌は予備がないことも聞いていた。
 持ち出しの許可を取れば、コピーできるとも。
 でも、どうしても現物を手元に置きたくて、一人でいるときにこっそり戸棚から持ってきてしまったのだ。
 本好きとしてあるまじき、最低の盗みをした。
 真子はテーブルの下できゅっと手を握りしめた。

「……聞いてもいいかな?」
「え?」
 茉莉花がじっと自分を興味深げに見つめている。

「なんで部誌を持って帰ったの? 部室では自由に読めるし、手元に置きたいならコピーもできるのに」
 素直な疑問、というように茉莉花が尋ねてくる。
 その柔らかな態度に、すっと肩の力が抜けた。抱えていた秘密が消えたのも、真子の心を楽にしていた。

「……本って揃えたくなりませんか?」
「え?」
「お気に入りのシリーズって一巻から本棚に並べておきたいんです。確かに読むだけならコピーでいいんでしょうけど」
「そっか。なるほど……。わかるよ、本好きとしては。それに、コピーしたものじゃなくて、ちゃんと本になっている方が読み返すときもいいよね」
 真子はこくりと頷いた。

 本を開く、あの感覚がとても好きだ。物語の中に入っていくための、大事な儀式のように感じる。
 そして、大好きな本は何度も読み返したくなるものだ。
 茉莉花ならわかってくれると思った。

「じゃあ、私の部誌をあげる」
「え?」
 茉莉花のいきなりの申し出に、真子はきょとんとした。

「部誌は私の部屋の本棚の、三段目に並べてあるわ。好きな本を持っていっていいよ」
「ええ?」
 意味がわからない。
 そもそも、茉莉花の家になど行ったことがない。部屋に招待してくれるということだろうか?
 それになんといっても気になるのは――。

「でも、部誌に予備ってないじゃないですか。自分の話が載っている本って、手元に置いておきたくないですか?」
 ふっと茉莉花が笑った。
 ひどく寂しげで、見ている真子の胸が痛くなった。

「いいの。私の物語を好きな人に持っていてほしいんだ」
「はあ……」
 わからない。
 私なら、自分の小説が掲載された本は記念に自分の手元に置いておきたい。
 青春の思い出として、そして万が一作家になれたら――高校時代に書いた作品として紹介したい。

「そろそろ、本題に入るわね」
 茉莉花はちらりとテーブルの上の砂時計に目をやった。
「本題?」
 思わぬ言葉に真子は、虚を突かれた。
 春号の原稿の催促と、盗まれた部誌の回収――それ以外に何があるのだろう?
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